2019年に出会った沢山の人を振り返る【 part2 】卒制と就活

前回 2019年に出会った沢山の人を振り返る【 part1 】乙女成分強め - Go aopink’s blog

で1人の人物を語りすぎたので今回は満遍なくいきたいと思います。

 

  目 次

  • 2018年12月 〜大学の恩師〜 

  • 2019年1月  〜就活イベント〜

  • 2019年2月  〜本気ではなしができる人はいる発見〜

  • 2019年3月  〜「自分が世界の中心だと思え」〜

  • 2019年4月  〜関わりたい人と関わる〜

 

 

【2019年1月 】

・就活イベントで出会った男2人

検索避けのため具体的なイベント名は明記しない。「就活 ぼっち」とGoogle先生にお聞きした所、そのイベントがヒットした。世の中の就職システムに疑問を持った人達と一緒に数日間かけて就活をするらしい。しかも無料。わざわざこのために往復1万かけて東京まで行く必要があるのか激しく葛藤したが、かの武蔵美様の卒制展示が連日にあったので予定を合わせて理由をつけて行った。

5人ほどの集団でここに来た経緯を話す機会があり、全くの別分野で生きているが同じ思いを抱えた人間だったので超新鮮だった。絶対に関わることのない人と話した。帰り際、その中の2人と互いについて更に話した。大学3年生の小説家を目指す男と演劇をしている男だった。この時も今に繋がる核心的な頭のおかしい会話をしていた。自分を人に紹介するという機会が今までなく、自尊心の欠片もない時期に会い、本音をぶつけたので初対面で相当励まされたことに感謝する。受け取った言葉を要約すると、

  • 戦略的撤退をする
  • やってみたいことを1回やってみる
  • どん底まで一回落ちるといい、後は登るだけだから
  • 誰にも評価されなくても自分がやったことが1番だと自分を褒める
  • 毎日やっていることは大事
  • 学校の偏差値と頭の良さは関係ない
  • ぼっちでいい
  • 全員死にたがり
  • みんな赤ちゃんになりたい

別れ際に大学生の子が父親が死んでからやりたいことがやれている今が一番ハッピー、トイレ行くだけでも楽しくて笑顔になってしまう、この幸せを君にも分けてあげたい!と本気で言っていた。大変頭のおかしいことを言っていたのだが、其奴は抑圧されたなにかからきっと解放されたんだ。人生1周したような男達と本音で話せたことは私にとってすごく大きな収穫になった。(この頃は卒業旅行でスペインに行って過激派組織に拉致られて死にたいとかめっちゃ言ってたな、、、)

「みんな赤ちゃんになりたいんだよ、バブーバブー」とそれまた気狂いなことを言っていたがこの言葉を最近よく思い返す。私たちは年を重ねるにつれて余分な知識をつけすぎているのではないのだろうか。だからこそ比較対象が沢山あることにより自分と他人を比べてなんだか辛くなってしまう。人と比べるなんて概念すら存在しなかった、純粋にやりたいことだけやっていたあの頃に戻りたいのではないか。

  

・就活イベントで出会った女性

同じ就活イベントで泊まり込みの合宿があり、そこで仲良くなった。初対面の人と同じ部屋で一夜を過ごした。変なことしてたなあ。次の日が面接だったので夜な夜な必死に文言を唱えていた。アニオタという共通点から「BANANA FISH」の最終回について話をしていたんだけど、悪に染まった主人公の「死」の儚さに胸を締め付けられたと共感していた。だが、ここで思ったのがこの手の「切ない終わり方」を頭でテンプレートとして理解していることによって感動が薄かったのが辛い、という話をした。これが初めて、例えば幼少期に見た強烈な終わり方だったら、一生レベルで記憶に残っているんだろうなあと。上記の話の関連。

いや、これが言いたいのではなく、自分の卒制の作品を見てもらったことが大きな収穫になったのだ。アニメで話が合ったので恐る恐る自分の作品を見てもらいたいと思い見せたら、超褒めてもらえたのだ。私は「現代社会の女性の心の闇」というテーマで大変暗い作品を作ったのだがその女性は元キャバ嬢らしく、私の取り扱ったテーマを物凄くリアルな話であると賞賛してくれた。現実に賛同者がいただけでも大きな自信となり、最終プレゼンでは先生の前で大きくネタにさせてもらった。私のしていたことは間違っていなかったのだと。

 

・塚田さん

 カキコミタウン! | 北海道の田舎でweb時代の小説家のくらしを開拓するブログ

ブログは面白い、個人的であればあるほど。この人のブログは人間をすごく感じる。各タイトルが唆られる内容ばかりで合ったので一回ハマると数時間読み漁る癖がある。

大学で出会った彼にファンレターを送ったように、良いと感じた人にはダイレクトに感想を送ろう!と習慣づいたのはこの辺りから。少々人生相談ができたのも嬉しかったし、同じタイプの人が頑張って生きているということを知れただけでも心強かった。それと同時に、自分が人と会話できていることの手応えを感じた。

 

 

【2019年2月 】

武蔵美の男の子

この人は大変面白い子だった。

12月のある日、武蔵美の同人誌を部室で見かけたのだ。すごく人間味のある漫画で情緒があって面白い話だなと思っていたら巻末の作者のあとがきに書いてあったのが、自虐的なくせに変にポジティブで「これを読んだあなたはもう僕のことが好きなんです!感想ください!」なんてことが書いてあって超面白い人だと思った。そこで本人に直接凸ってやりたいなと思って卒制に行ったんだけど会えなかったからメールで漫画の感想伝えたら、数週間後に返事がきた。びっしり埋まった1500文字ほどの長文で。身の毛がよだつ長さだったから超楽しかったんだけど、その文は漫画の人間性を更に強化した内容であり、数週間に渡り我々は毎度約2000文字のメール文通をしていた。この頃は卒制の準備とか就活のストレスで精一杯だったが、返事がくるたびに電車でほくそ笑んで結構精神安定剤だった。就職活動は辛いけど、ぜひうちの卒制来てよって誘い案内することになり、すごく優しくて色んな事を考えちゃう不器用な子だった。未来ある学生生活が羨ましい。

人はどんなきっかけでも仲良くできること分かったし、それは私にとって直接のコミュニケーションよりも作品とか文章の方が得意かもしれないと気づいた。現実で魅力を出せないぶん、頭で勝負したほうが向いていると思った。社会人として面接では致命的だが。

 

手塚プロダクション編集部の人

卒制と就活と携帯の機種変更と同人誌制作とホストにはまっていて大変死にそうだった時期に描いた同人誌を提出したことを完全に忘れていた半年後に大学で漫画の添削講座があった。正直全く期待していなかったのだが、この4年間で受けたどの講義よりも為になる話であった。卒業間近の最後の最後でなんじゃそりゃですよ。

私の作った同人誌は自分自身に当てた葛藤要素が色濃く出ており、それをキャラクターに投影した道徳的で説教くさい話だった。ここで同人誌、ついでに卒制の作品を評価してもらった際にあるキーワードが浮上した。「絵本」。考えたこともなかったがそういえば「大人の絵本」というものを耳にした覚えがある。自分の新たな可能性を知ることができた。

 

・いきなり面接会で会った企業様

就活に迷走していた頃、書類選考なしでいきなり面接ができる新卒最後のチャンスと謳った就活イベントがあった。打てる玉はすべて打っておく、くらいの気持ちで動くに動いていたなあ。会場に着くと、お前らこれから会社見つけにいく人間かよってくらい猫背がちな新鮮さのないなんだか沈んだ空気が漂っていた。絞りカスが集まったのかな。初めて知る会社といきなり面接して何がわかるっていうんだ。勿論入社する気は更々ないし、これを体験してよかったことは普段話すことはまずない採用側のおじさん達と回転式合コンみたいに沢山会話をして自分にストレス的負荷をかけることで強制的に脳みそフル回転状態の言葉の瞬発力がついたこと。自分という人間は何者なのか紹介することによって他人から見たフィードバックを受けることができたこと。入る気がないから尚更話しやすい。面接練習として私のメリットはあったが、やる気のない学生と小一時間会話をしなければいけない企業側の方が可哀想になってきた。会社の紹介書類を見ていた時はこんな所入るわけねえわ〜と舐めてたけど、実際面接をしてやはり「人」と会話をしているのだと思うと果てしなく申し訳なかった。

1番最初に面接をしてくれた建設会社のおじさんが印象に残っている。「なんで君みたいな(デザイン勉強していた)学生さんがうちに応募してくれたのか分からない」「・・・私も分からないですね。ハハッ。」

いや、もう普通殴られるわ。失礼極まりない。大変理解のある方だったのが救いだった。「私、まだこれから5社くらい話すんですよ、どうしましょうw」「適当に流しておけばいいんじゃないですかね〜w」「いや〜なんでここにいるのか分かんないッスね〜〜〜」と会社の面接とは思えないほどまるで関係のない個人的な就職相談をしていた。「フリーターから正社員に起用されることとかあるし、そっち行った方がいいよ」と言われ、ほんとそうだよなと思った。なんかよく分かんないけど、初めて会ったのにこの人の言葉を一番信用したいと思った

 

・就活イベントの更にアウトローな人ら

まあよく適応してんなってくらい多ジャンルの人と話した。闇社会に片足突っ込んでる女児アニ歌う人、青学中退して海外放浪してた人、演劇やってるフリー素材の人、人生の終着点まで見据えて就活したらダメになって院に行った自己肯定感を研究している人、生まれも育ちも東京都内で田舎育ちの帰る場所がある私を少し羨ましいと言ってくれた人、それぞれの人生を見た。社会の縮図とはまた違う、どちらかというとはみ出し者同士。

此処ばかりは日常生活で所属している自分よりも少し殻を破って本音で直感的にやってみようと思った。ヒエラルキーの存在しない環境だ。1人1人フラットに関わることができる。余分なことは考えなくていい、まっすぐ、もっとフラットに、よく分からないイベントにただ身をおいて流されてやるべきことをやった。

東京周辺の会社の人とこれまた回転式合コンのような形で、自己紹介および1つのお題に沿って対話をしたのだが、私は求職者の中でも異端なクリエイター。作品集とこれまでの経緯を話したのだが、話をしていて虚しくなるほどにひたすら同情と励ましをされた。すごい!と今までにないほどに褒めていただいたが、私は大学で一切褒めらたことはなかった。どれだけ褒めてもらっても「(要約)いえいえ!他の子の方がもっとすごいんです!私はすごくない!劣等感しかない!」としか言えなかった。ベースが最底辺だから。ある社長に励ましてもらった言葉を覚えている。

「(要約)ダメな奴って下しか見てないのよ。けど劣等感があるっていうのは上昇しかしないのね!ほら、すごい人っていうのは常に謙虚なんだよ。自分のことをダメだと思いすぎずに、そういうすごいと思う人の良い所、キラキラを少し貰って取り入れるといいよ。キラキラやで!!

メンタルどろどろの俺がこの言葉を素直に取り入れるのは一生レベルの課題になりそうだが、自分が今まで戦っていた戦場(大学)から外野(社会)にでてみると反応がまるで違うことを知る。外野にでると調子付いてしまいそう。いや、ないけど。戦場から逃げ、評価されそうな場所で粋がっている俺はズルい人間だろうか。

 

毎週東京に行き、往復1万消えて、何が残ったか。本来の目的は企業からの「内定」である。イベントの流れに沿っていくことに必死で、さあこれからという肝心の就活はこのイベントに関してはやる気が起きなかった。ただ、知る、中にはこういう考えを持つ人間が切り盛りしていて、こういう会社があることを知る。ただそれだけだった。残ったのはこういうことをしたという経験。豊かな経験値だけは残った。

あと、主催が話していた「底辺から頂点まで経験するといい」 という言葉。ぬくぬくした平穏より、私はなんだかそっち側にいる気がするので(借金地獄の波乱万丈を歩んだなんて人とは比べ物にならないが)、これから先もっと振り幅のある人生になるとたぶん思います。

 

 

・卒業制作展で会う外部の人ら、OBなど

改めて大学でやってきたことを外部に紹介する機会はない。内に内に篭って、与えれた日々の課題は何のためにやっているのかも分からない。外部に出して、フィードバックをもらえることによってようやく自分が一生懸命作って考えた作品の存在意義を確認できた。「作りたいから作っている」無機質なこれだけの理由では私が何かを作る上で、それを行う意味が本当に分からなかった。そんな私はクリエイターとして失格だろうか。

感想ノートを置いた。自分が出したものに対する反応が欲しくてたまらなかった。他の生徒は無骨に作品が置いてあるだけ。なぜ置かない。みんなそこまで無機質な人間なのか。卒制のために、卒業のために課題として作ればそれでいいのか。先生の為に作っているのか?いや、自分の為だろ。

こんな無名学生がイキって「感想お願いします!」と他人に評価してもらえるほどさぞ立派な人間なのか?例え感想なんて一言も書いてもらえなかい可能性だったある。けど、私の作品を見た人が何かを感じることがあるかもしれない、すごく言いたいことが出てきてしまうかもしれない、私はその少しもの可能性に賭けたかったのだ。思いを伝えやすいきっかけ、装置はできるだけ工夫した。先生のことはとても無視したかった。自分の為だけにいいと思った工夫をしたかった。批判されるのが怖いから、全部勝手にやった。

すごく満足のいく結果だった。感想がこんなにもらえるとは思わなかった。直接言えないことは文字で言えたりする。もっと人間関係が円滑で、大手企業とかに就職が決まっていて、 OBも見にきてくれるようなすごい学生しか感想が貰える権利なんてないと思っていた。私を見てくれている人はいるのだ、と1年の努力がすべて報われた思いだった。

イギリスの大学の教授の前でもプレゼンをした。このいち一般家庭出身の日本女学生の4年の集大成をどう感じてくれたのか、知り及ぶ所ではないが楽しそうに見てくれていたと思う。私自身が良いと思ってごく自然に湧いてくるこの表現をちょっと引き気味で見てくれていた外部の人の反応は、この大学で過ごしたどの時間よりも新鮮だった。今まで私は一体何をしていたのだろう。こういうことをやりたかったのではないか。

頑張ってよかった。 が、私はこうやって過去の栄光にいつまでも縋って生きるのだろうか。

 

 

 

2019年に出会った沢山の人を振り返る【 part3 】自己実現さがし - Go aopink’s blog へつづく