大学生活、メディアデザインで卒業制作し思ったこと色々

我々は「作家」を目指していたのか。

 

大学4年生として卒業制作に切磋琢磨していた。長いようで短い1年だった。

 

 

 目 次

  1. 最適な「テーマ」選びは

  2. ベストな「卒制」は

  3. 「作家」について考える

  4. 「大学」は職業支援学校ではない

  5. 出荷先

  6. すごく大学に直して欲しい環境

 

 

 1 最適な「テーマ」選びは

どんなにくだらないことだ、と思っても世の中の事象に「くだらない」ことはない!これは断言できる!どんなに人から見られて恥ずかしいことかもしれないと思っても、樹形図のように深く考察することができるから、好きなことを大真面目に馬鹿になって研究した方がいい。マジで自分の為に。そう、自分のために。

勉強は教授のためにやってるんじゃないんだよ。先生に評価されるためのテーマ選びをしている良い子ちゃんは本当にダメです。あなたは誰のために生きてるのですか?先生に良い評価をされるために生きてるの?そう思うならそうすればいいさ、ずっとずっと永遠に他人に評価される為に生きて、あいつの為にやってあげてるんだとか言って押し付けがましく苦しいのは当たり前的な生き方で人生終えればいいさ。自分のことを抑える事を美徳としてやりたいこともやれずに他人のことばかり羨ましがって、大人になったフリでもすればいい。「やりたい事自由にやれる人って羨ましいよね」とか勝手にほざいとれやア。資本思想に淘汰された人種とでも呼んでやるよ。

 

 

2 ベストな「卒制」は

「作家」は個人の思想に寄り添った感じ、「商業」に寄った作品は技術で評価される、「教授の好み」に寄った教養は教授に評価されやすい。作品のアウトプット方法は学生ごとに全く違うのだけど、(あくまで僕の感じた印象で大学によって特色も絶対違う)大体この3つに分かれる。

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教授が教えてもらった知識かつ評価してくれる作品がベストだと思っているような良い子ちゃんは、無味無臭の私からしたらドクソつまらないものになっているし、商業コンテンツを主軸として卒制を試みる子(主にゲームが多い、あと線画のアニメーションとか)は、技術的な苦労をめちゃくちゃ必要とする割に現実にある商業物とクオリティーの差で教授に努力が伝わらなくて評価されないことに怒る生徒が多い。「作家性」が強い子は、今までの作品や生徒の性格、趣向が教授に理解されていれば評価されることが多いが、衝突すると卒業するまで喧嘩してるかも。

そして、僕のように自身の作家性を就活の面接でアピールすると、どこにも拾ってもらえません。1番思い入れの強い卒制は語らない方が良いレベル。一般企業が特にドン引き。そして、作家タイプなんてたださえプライド高いから面接でマウントとった所で、大学で築き上げた「個」の才能なんて会社様で何の役にも立ちません。はやく会社の色に染まってください。

 

 

4 「作家」について考える

 卒業制作の振り返りは上記過去記事でやった。

僕には「作家」というキーワードがやたらちらつく。大学に入るまで「作家」という世界を全く知らなかった。生きている世界の違う人だと思っていたから、気にも留めなかったが美大生というものは、1人1人が「作家」なのである。誰一人として同じ作品を作ることはない。同じ学びはあれど、作品として昇華させる応用力は個人としての人生観が顕著に反映されているものであると思う、少なくとも僕は。

卒制は完璧に個人で課題を見つけて進める作業なので、僕のような孤独を愛するタイプの人間は作家性が露骨に現れてしまう。自身、作家的な作業の方が作品に昇華する上で非常に楽しく、人間味のない工業製品やデザインなどに全くの魅力を感じない。良さが分からないから。使えれば良い、読めれば良い、物を使用する上で合理性しか求めてないから小賢しい工夫や努力をすることに面白さを感じないのだ。やっぱ、デザイン学部超向いてねえな。技術の向上、表現の幅増しと考えれば身のためになったのかもしれないが、、、楽しくはなかった。現代社会に適合するための努力期間と捉えよう。

 

『作家とは厄介な生き物である』枝豆(2019/6/21) https://ncode.syosetu.com/n0998ez/

断言してもいい。人間は触れてきた作品通りの人間になる。

才能という言葉を軽々に使うべきではないのだろうけれど、分かりやすくそうさせてもらえるならば、作家は才能に振り回された哀れな犠牲者なのだ。才能という乗り物を乗りこなせず、引きずられて巻き込まれて生きている。社会に感動を広げ、受け手の人生を豊かにするために自己犠牲を払っている、なんてつもりは彼ら彼女らにはまったくないにせよ、結果からみれば、それはあまりにも事実であるとしか言いようがない。

▲ ぼくのブログは主観が混ざりがちで雑だが、こちらは結構真理が書いてある。

  「作家」は世の中に必要不可欠ではないし、ほぼ利己的なメリットを占めているので、世に「作家」として認められて初めて、作品を世に出し金銭を貰う権利が発生する。自己以外の思想を強要されたら、残るのは培った技術を惰性として世に提供するのみ、なんだよなあ。金が発生する時、評価をするのは「他人」だからな。

 

 

4 「大学」は職業支援学校ではない

教授の授業は「面白さ」「考え方」を教えてくれるが、それを実現するための「技術」は完全に学生自身の能力、自主性に委ねられている。どれだけ「考え方」をインプットした所で表現者として相手に伝わるように表現しきれていなければそこに作品としての価値はない。「アイデア」を純粋に評価するべき所が、最終的に教授に評価されるものというのは「クオリティの高いもの」なのである。

外部に紹介した時に自信を持って人に見せることができる作品だ。考え方の工程など他人にとってはどうでも良いことなのだ。しかし、教授が評価しなかったら誰がする。教えたれたことを淡々とこなし、テストで丸を打つような模範解答だけを評価していたら今までの義務教育となんら変わりないじゃないか。技術が1人前に伴っていることが前提で、それができて初めてスタートラインに立てるのだとしたら、学費を何百万と払ってこの学校は一体何を教えているんだ。4年間通い身についたものは中途半端な技術と無駄な作家性の意識の高さの植え付け。世間に適応する応用力、実践的な力、実務的な仕事に使える考え方はほぼない。全部、狭い世界の共通用語として鼻高く生きていくための「教養」。

こんなのニートになって当然だ。無駄に生きている世界の違う上流階級の教養を齧って、劣等感を植え付けられて終わったな。こんなん技術だけ身につけるのだったら、独学で学んでいた方がよほどかメンタルを健全に維持できた。

 

今でも昨日のことの様に思い出す。大学1年生のコース専攻の見学の際、先輩たちに決まりきってこう聞くのです。「卒業後の進路はどうなりましたか?」

先輩になった今、思います。こんな残酷で無知な質問をしてはいけない。ここは卒業後の進路、大多数の一般人が想像している「就職」っていうゴール向かって勉強をする所ではないのだよ。将来「金」を稼ぐために勉強しているんじゃないのよ。「自分」の頭で「考える力」を身につけるための勉強なのよ。大学は自分との戦いなんだ。けど、大多数の一般人は勉強すること=いい会社に入ってお金を稼ぐことが常識として、苦労して勉強した先に金を持つことが「良いこと」とされているのね。僕も就活以前は卒業して、普通に会社に属してお金を稼ぐことが普通の行為だと思っていたから、まさか無職になるとも思わないし、ぶっちゃけありえな〜いと思っていた側に自分が成ってしまったことに「何故こうなったのか」という問いを問い続ける。

だがしかし、金がないと当然生きていけないよな?大学だって多額の奨学金を背負って社会に放り出される。世の中は「金」ですべて動いている。黙っていても生きているだけで金が要求される。では何故、その「教養を学ぶための大学」が「金稼ぎを目的としていない」のに「多大な学費が必要」なのかというと、最初からお金を持っていることが前提だから。

あ〜〜〜残酷残酷、大学は義務教育じゃないからね。営利活動ですよ。全入生にして、学費を搾取するだけしておいて上のおじさん達が潤沢な利益を得るためのものですよ〜。貧乏人は話になりませ〜〜〜〜〜ん!!それでも大学教養を学びたかったら入れてあげるけど、何十年も生きて働いてお金を利息にして返してね〜〜〜♪って話。長年生きて働く代わりに大学に適合するのか、倍率の高い大学に猛勉強して低価格で適合するのか、どっちかっていうのが私立と公立の違いって所か、、、。

 

 

5 出荷先

そうして、一流になれる訳でもないデザインを学んだ先に何を進路に選ぶのか、というと「デザイン土方」だろう。今は世に煩いほど広告が溢れかえっているから、仕事も多いらしいし需要はバッチリある。会社で1から無知な人間を育てるよりも、大学である程度分かっている奴の方が効率がいいに決まっているから、こだわりのない人は勧んでデザイン土方を就職先として選んでいくのではないのだろうか。

そして一方、劣等感と中途半端に作家性を植え付けられた人間は、世の中に鋭い視点でメスを切り込んでいくのだという謎の使命感に駆り立てられ大学で着実に育てられた承認欲求および自己実現を達成するために自我が芽生えるも、社会に出た途端そこはやはり資本で動いている社会であり、知名度、人脈、出身大学、で1人の人間の存在が選別されることに絶望する。もしかしたら大成するかもしれない、という僅かながらの希望を胸に抱き永遠に苦しむのだ。

 

 

6 すごく大学に直して欲しい環境

最初から感じていた「違和感」なんですけど、なんで、この学校は、学生を、褒めない??? 

昭和か?????

生徒同士も最初みんな「敵」って感じだったし、仲間内感半端ねえし、こちとら蹴落としあって自然と伸びるようなドMじゃぬねええええええええええええええええええんだよ!!!!!

いや、高校の時とかもっと専門性のある人がバラけていた時って、クラスで絵が上手なだけでもすごい!って褒められたじゃん。何か作っただけですごい!って先生が褒めてくれたりしたのよ、ぼくは。大学入ってから、どれだけ課題をこなしてもどれだけ自分なりに頑張ったとしても、そもそもの初期値が低いから、できて当たり前みたいな空気がめちゃくちゃあったのね。そして、学生同士もお互いの作ったものに対して、こんな風に作ってここに苦労して頑張ったとか、いつも興味なさそうだし、ほんとマジやべえよ。どんだけ1人で鍛え上げられてメンタル強いのよ。この空気にめちゃくちゃ違和感を感じていた。生活のほぼ大半を占めている制作活動の話を「しない」というのが謎すぎる。まあ、僕の知らない学校以外の場所で仲間内でしていたのかもしれないけどさ、、、、。そしてこの違和感を大学内で叫ぶこともなく、ブログに書いている時点で負けている。

 

高度経済成長真っ只中の昔の人が、怒られて伸びる教育をされて上手くいっていたのは、その先に頑張れば「報酬」が待っている希望があったからなんだよ。おい、平成令和、お先真っ暗だぞ。見返りのない、漠然としたものに誰が喜んでわざわざ怒られて頑張ろうと思うんだよ!アホか!?

褒められたら嬉しいに決まってんだろ。大人気持ち悪すぎ。利益のある「消費者」「取引先」にはあんなに笑顔で褒めるくせに、社員とか生徒とか仲間内は全然態度違うし。「金」としか思ってねえだろ。自分と同じ「人」となんてまるで思ってねえ。こんなんだから、「物」ばっか豊かになって、資本主義に負けた人間が自殺してんだよ。キャバクラのやばさがよく分かるわ。