◼️テンプレに乗るつもりのない人生設計ができるほど意識が高いか

といったらそうでもない。

 

 

 

月給18万の金の力により僕は昔からの憧れを少しずつ消化しているのだが、瞬間的な満足は数日で消え、また次の興味へと移行してしまう。

やってみたかったことは早めに消化した方がいい。見えた景色は自分の体感でしか感じ取れないものがある。

僕の中で、煮えたぎる衝動は、自活で燃やせるほどの爆発力はない。

思ったより人に対しては受動的で、大多数には興味はないし、近づかない。僕が「観察者」を徹底しているのは、近づく興味よりも、近づいたことによる他人からの自己の認知の恐怖意識が勝るからである。どんな言葉を己の口から発露し、目の前の相手とベストなコミュニケーションをとっているのか不安であり、失敗をしたくなかった。

瞬間的に方向転換できる判断ができるほど、僕は即興性がない。

 

 

周期として、1ヶ月も文字を書かないと素材がたまる。

快ではないだろうが、基本的に不快であろう。直喩として不快さを表記することは非常にダサいと思っているので、720時間ほどの気持ちの変動をパズルのように、「物語性」を持って改変することがきっと好きなんだろう。

詩人レベルになると改行毎に、前後関係のまるでない、時系列不明な感性のみで記された美術手帖にのるような不思議脳人物も世の中にいるが、あれは文章というより、抽象絵画だよなあと思ったりする。文字の形を模した絵。あのリズムが理解できるのって作者以外いないのではないか?全く違う解釈を果たして作者は狙っているのだろうか。端的に言えば、知能レベルの上層、下層で解釈が変わるのは当然といえば当然なんだけども、その見えない間の、説明を省いた部分の空白って、認識として繋がっている、共有できていると言えるのだろうか。それこそ1つに凝縮された感覚的な文体、図絵って作者に乗り移ることって完璧にはできなくて、それは自分が認知して仮想作者を隔てて解釈をしているのだと思うのだけど、僕的にはゴールに行き着くまでに沢山の情報が記号化されたものを読み取らないといけないと思うととても疲れてしまう。

作者側からしたら、鑑賞者の解釈が違っていることは新鮮な発見かもしれないけれど、鑑賞の立場として少しでも作者の思想に繋がりたいと思って読み解いているのにそれが全然違っていたなんてことが分かったら、喜ばしいことじゃないんだよなー。

 

能力の欠陥による劣等感的自意識が何故ここまで絶えず生まれ、いつまでたっても満足せず、自分の足元に目が向いていないのか。周りの環境のせいにするのは未熟で責任転嫁が得意な人間のすることだ、と明るい印象ではないのだけど、粗方周りのせいだと思う。自己改革をするのは勝手にしろなんだけど、自身に郷の価値を刷り込んでいるのは周りなのだから適合するしかない。違和感の意思が産まれる頃にはもう、外部の知見をとっくに得ていて、知っていても尚、変わるか変わらないのかは自分自身である。

 

計画性は勿論大事で、案外途中で衝動に駆られるほどの出来事なんてものは自発的にはなく、練った上で発進した方が楽なのであった。行動している時は実は何も考えていない。

「人生は1回きりだから、やりたいことをやった方が良いよ」

と24歳の若さで1周回ったかのような発言を毎度口にする彼女であった。

では果たして、みなさん、今いる立場は理想の地点なのだろうか。

ベストポジションで現状満足なまでに達観できたら、といつも思う。

他者を完璧に切り離したい。僕が劣等感を抱いていても、満足感に満たされていたとして、他人にとっては関係がないのだ。まあしかし、ダメだね、すごいね、くらいは寂しいから共有させてほしい。

 

 

 

⭐︎ ペルソナが崩れる時。

 二面性は他人に用いるとあまりいい印象を抱かなかったりするが

自己に焦点を当てた時、複数の顔を持ち合わせていない、というのは普通に賢くない。

態度、話し方、目つき、どの環境に居ても全部一緒って普通に考えて馬鹿やろ。

社会に適応する気がないのか、そもそもそんな概念すらないのか、怒られるまで分からないのか、とはいっても流石に18歳くらいで学習するでしょ。

敢えてそれをしない選択をしているのなら、心底防御力が強いのだなと思う。まあ自分が理解のできない人の話をしてもひたすら不毛なだけなので良しとしよう。

 

1人につき、1つのペルソナを持っていたい。基本的に二面性を見せたくはない。

これが根付いたのは「仕事」というものを覚えてからだと思う。

微量ながらも「責任」がのし掛かってきた時に、「失敗」した時のカバーは一体誰がする。これもまた自身でしなければいけない。

基本的に他人を頼ることができない。信じていない。

把握できないことが怖いからだ。言葉は本当に責任とはかけ離れていて、ごまかしも匙加減も必要な嘘も全ての事実を知っているのは自分しかいないことを知っているからこそ、他人も私に対して、都合が良くなるような「事実らしい事実」を述べているに過ぎなかった。結果的にそれは本当なのか本当でないのかは本人しか分からない。

だから数字を信じるしかないのか?

 

類義語にギャップがあるが、これは不意打ちに知られてしまって、一方的に相手に感情を抱かれているだけの状態だと思うので、ペルソナが崩れるとはまた違う。

簡単にいうと、恋人の出会って間もない高揚感と丁寧さが、時間と共に距離が縮まることによって自己のペルソナ範囲の位置が変わってしまうことによる態度の変化だってことを言いたい。

「赤の他人」ではなくなってしまった。

これが果たして喜ばしいことなのか、幸せなことだったのか、ということについて問いたかった。

 

 

 

⭐️ 境界に入ってくるな。

入ってきてもいい、むしろ踏み込んで欲しい境界線を突破できる人はとても賢いし、大人だなと思う。勘違いバカはダメだけど、、、

僕のことより、嫌いな奴より、すごいと思う人の話をしたい。

まず表情が歪まない人。僕は少しでも後ろめたい気持ちがあると必ず表情とか視線が歪むと思う。ポーカーフェイスってほどではないけれど、自然に視線がぶれずに微笑ができる人がめちゃめちゃすごいと思う。

無駄な言語を介さずに言葉を選んでいるのが、視線から読み取る姿が結構好き。取り繕うとして考えていない時って分かるからなあ。

言葉に無駄がない人と、僕の言葉を掬い取ってくれる人がめちゃめちゃ好き。

 

 

 

⭐️ 会話の浸水

 

どこに連れて行かれるのだろう。

 

見えない。

次は何がやってくる。

そうきたか。

返す

笑った

感触がいい

これ以上は行きすぎか

力加減を決めろ

ベストか

流れが違う、これは今じゃない

やっぱり面白い

ドキドキする

 

 記憶の咀嚼が大好きな僕でした💗