「夢」を少しづつ擦り潰していく。

「夢」が「現実」に近づいて、また「夢」が「現実」に近づいて、そうやって少しづつ見えなかった景色が現実となり一体となり、何十年先と経験が蓄積されていったとしたら私に一体何が残るのだろう。

 

 自分に言い聞かせていることは 敷居の高いものなどない。

強烈な「憧れ」の先に待っているものは・・・

 

 

 目 次

  1. プリキュア」へのあこがれ

  2. 「遠くの高校」へのあこがれ

  3. 「名古屋」へのあこがれ

  4. 「神絵師」へのあこがれ

  5. 「東京」へのあこがれ

  6. 「国内」に満足したら

 

 

1 「プリキュア」へのあこがれ

幼少の頃、僕はプリキュアを見て大人になったらプリキュアを描く人になる。そして東映アニメーションに入りたい、と小学生ながらに思った。仕事をするなら「絵」に関わる仕事がしたいな、と思ったので絵が上手になるために通信制の講座を受講したりして、なんだか将来の目標っていうのは全然見通しがついていなかったのだけど、漠然と、ただ漠然と「大人」になったら成るようになると思って、「何か」を目指すための明確な努力、というものは特にしていなかった。高校の先生に東映アニメーションで業務委託で地方で働いている人もいるという情報を聞いたりして、僕も将来そんな風になりたいなあとか思ったりして、どうやったら成れるのかも知らずに時を過ごす。

いよいよ、僕は就活をする際に憧れの東映アニメーションを視野に入れる訳だが、調べていくうちに倍率の余りにも高さとネットの面接体験談など色々見て、完璧に怯んだ。こんなすごい所に入れる訳がない。僕のような凡人が入れる所ではないのだ、エリートしか入れない。卒業間近に少し別の部署に書類を出して面接をした事があるのだけど、面接日を間違えたりして色々悲惨だったのだが、余りにもの対応の優しさに僕は会社の信者になってしまった。メールの返事をちゃんとくれて、フィードバックをここまで丁寧に返してくれた所は初めてだし、大手様に相手にされるとも思って居なかったから、入社はできずとも1歩憧れに近づくことができたというだけでもういいのだ、、、、、。。。

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2 「遠くの高校」へのあこがれ

普通科の勉強はしたくないから、ある程度の学力のある専門性のある学科を選び、通学時間90分かかり最初の1ヶ月は限界を迎えて、定期的に泣いて、不登校寸前だった。学歴階級資本主義適合社会はもう、中学受験からとっくに始まっていたのだ。この誰かが負け、誰かが勝つという「競争」というギスギスした勝負の世界は物心ついた時から無意識のうちに開幕している。

目的を果たそうとするほど、それは「都会」になっていき、場所が遠のいてゆく。

田舎特有さの電車通学への憧れであるが、これはある程度大人になって通勤ラッシュとか経験をこなし慣れてしまうと、ゴミのような憧れである。電車ロマンスなど毛頭ない。ただそこにあるのは疲弊したおっさん達の顔と教室のノリをそのまま公共機関に持ち込む高校生などといったまるで統制の取れていない片田舎の鈍行列車なのだ。

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3 「名古屋」へのあこがれ

地下鉄を乗りこなして、名古屋周辺に住んで居る人はみんな僕とは完全別人種だと思っていた。というか、人間じゃないと思っていた。割と本気で。田舎人の意識と都会人の意識は全然違うだろし、単純に関わりがなくて想像出来なかったのもあるけど、男子が女子のことを異次元の存在と思っている並の差別はあった生きている世界が違う、こればかりである。人口数の多い駅構内を颯爽と歩いていく人々は限りなく未知であり、都会人なのであり、僕は田舎人である。

高校を出て、なんとなく進学するのだ、という気持ちはあった。自宅から通える範囲で学校を絞っていくと名古屋周辺に集中している。高校生になってスマホを所有するようになってから、通学時間はほぼインターネットに浸かっていて、名古屋みさとさんのブログにハマって名古屋の街の生態系に夢を膨らませたりして、私にとってはこれ以上にない大都会に毎日通学できるという事だけで嬉しくて、勉強をするために大学に行っている気ははっきり言ってなかった。勉強する学生という意識はまるでなかった、、、まあ遊び半分で学生するのがデフォだと思い切っていたし、それがFラン大学での学生としての在り方だと思ったから私はそういう意識で居た、と言ったらすごく言い訳じみて聞こえるのだけど、ダメ、ウーマン、ダメ、意識低い系学生。振り返ると最初からそういうもんだと思い込んで、日々の生活を消費していたのがダメだったのかも。

みんなから見て私がどう映って居たのかは想像に及ばないが、普通のごくふつうの突飛のない面白みのない女に見えていただろうか。諸要因は、学校の、大学の、外側つまりは世間の成り立ち、「社会形成」が全くもって見えていなかったのが、私の意識の大きな妨げになっていたのだと推測する。それが見えていた上でもう少し人間関係をどうにかして、付き合い方が違っていればこの微妙な中途半端な空白の大学生活4年間を実りのあるものにできたのかもしれない。「何も見えていなかった」という事実は今の私にとって、限りある「生」の4年を無駄にした、自己実現できなかった悔しさが堪らなくあるのだが、今の私の「見えている」つもりになっている「世の真実」のようなものでさえ未来の自分にとって「見えていなかった」世界なのかと思うとやはり無限回廊になってしまうので、今、現在の、私自身の危機的意識を尊重したい。

兎も角、都会への憧れは私にとって「名古屋」であった。名古屋人になれば、都会の女子大生になってブイブイ言わせて婚活パーティーとか合コンとかたっくさん楽しい事して爆オシャレになって異性関係も豊富になって、明るい毎日が待っていると思って居たのだけど、蓋を開けたらどうだい。あの時の甘い華やかな「期待」から、今このような根暗ブログを書いているような現状は果たして想像できただろうか。婚活パーティーをするどころか、彼氏すら出来ずに終わったし、古着を立派に着こなす超絶オシャレマンにも成れなかった。名古屋にある刺激的な場所にはそこまで手を出す機会もなければ、全然都会に染まらなかった。染まるような悪友も出来ないし、周りの人はもっと良識のある大人ばかりであったし、僕はぼくの築いた理想の女子大生にはなれなかった。

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4 「神絵師」へのあこがれ

絵の上手な人を見て憧れたり、嫉妬をすることはまるでなかった。身近にそんな人と親しくもなければ、別次元の人間だと思って居て、知り及ぶところではない、と思っていたからである。しかし、どんなに上手な絵を描く人とて所詮同じ人間。ツイッターを始めてから、同世代の「神絵師」という者達の日常を知り、思考法を自分に取り込むことによって、自分も「成れる」と思った。というか、自分が何故成し遂げていないのか、という謎の悔しさに駆り立てられる。実際、憧れの人物に出会い、人となりを知り、マインドにかなり影響された。出会ったら想像と違い落胆したという話もあったりするが、ぼくの場合は運良く、完璧にトリガーを引かれた。

上手な絵を描く人というのも、やはり積み上げた時間と努力があるからこその今の力があるし、上手な人にとっても更に憧れの人がいたりするので、幸せとか現状に満足しているか、といったら別段そうでない事は関わってみてよくわかった。僕も時間をかければ、絶対良いものが描ける。他人に評価されなくても自分の中で最高オブ最高、表立って居ないだけ、と断固信じる。

 


5 「東京」へのあこがれ

就活の影響、そして、ツイッター著名人は大体都内に住んでいる。東京に住めば、自然と僕もすごい人に成れてしまうのではないか、という淡い期待で上京したくなるのは、あるある失敗談だと思うが、僕はもうちょっと目標のある人の部類であると思う。彼方でやるべき事、環境を利用してやる事、性格上都会の方が合っている感覚、など住むべき理由とメリットは明確にあるのだ。

都会、あんな所住む所じゃない、と散々親戚に聞かされたが住んだ事もない癖に一体何を言っている。僕はもうそういった先入観は信じないぞ。気になった事は全部自分の目で確かめた上で判断を下す。その都度、環境に合った適応方法をして、誠実に対応すれば、最悪だった経験はほぼない。ダメな時は自分に否がある時。

就活以前は上京する事に憧れは全くなかったし、東京という場所に漠然とした恐怖感を抱いていただけなのだが、それは知らないものに対する恐怖なのであったのだ。どれだけグーグルマップで見ても現地にいる時と感じる印象はまるで違うし、全然怖くないし、名古屋の上位互換なだけである。そう、今まで色々な場所に行ったが、どの街だって都市の発展レベルによって若干の差はあるものの代価可能の互換性のある場所ばかりだ。日本で1番発展した都市でもう「いけるな」と感じたくらいだから、もう怖いものはない。ここは人が多いぶん、ピンからキリまで全部居るから、地方の人間も多そうだし、まさにダイバーシティ。逆に生きやすい。都会に対する消費娯楽欲求も消えたし、あとは、自己実現の為の努力のみ。

           f:id:gogoaopink:20190703012752j:plain(by中野)



6 「国内」に満足したら 

 そして、僕は思った。この小さな片田舎の世界から「憧れ」を抱いてはそれを自分の目で実際に確かめて着実に自分のモノにしてきて、人、場所、所属に対する敷居の高さというのは少しずつ消化していった。国内はもう満足した、と言ったら日本全国各都道府県を回ったこともない癖に偉そうなことを語るなと怒られてしまいそうだけれど、郊外は大体各地互換性のある街で地域ごとに特色が少し違うだけで特に目的がない限り、他に興味を向ける必要はない、と判断したので、満足した、ということにする。今僕に「憧れ」が残されているとしたら、「国外」であろうか。海外の聖地巡礼がしたい。学生も終わり、これからはお金に比較的余裕ができるはずだし、お金で我慢する事はなくなってくるから、やるべき事、成し遂げたい事をやりまくって、勝手に楽しい奴になってやる。ぼくは僕自身が1番よく分かっていないので、もう目の前にあるやった方がいいであろう事を只管やって、必要とされる事に向かって真剣にこなしていけば、道が拓けていつの間にか「すごい人」のレベルになっている事を信じて、とにかく動く。

恐らく僕の最終目標として、自分が「すごい人」になったということを理解するには、やはり自分が憧れる「すごい人」のレベルまで成るように成らないと納得しないと思うので、相手にされるまで頑張り続けるのだろうなあと思う。全てに置いて知れば知るほど悔しさばかりが増してくるので、留まる所を知らないのだが、現実的に考えると体がダメになるまで辞めないのではないか。

私にとっての強烈な原動力である「憧れ」の力は、「相手にされる」ということがキーポイントであるような気がする。勿論、自分の経験値として強みを増していくというのもあるのだけど、それの応用先から、真に自分の力に備わって根付いたと感じるのは、やっぱり「他人に相手にされた」時なのだろうな、と。

どこまでも承認要求は尽きなかった。