いつまでも子供ではないが大人でもない。属したいコミュニティは何処か。

 どれだけ年をとっても常に迷っているし、いつも決断は苦しいものだ。

 

 

 

 

 

 目 次

  1. 専門学校

  2. あの時の進路選択

  3. 結局大学はどうだったのか

  4. なぜその時に「迷い」なぜその「決断」をしたのか

 

 

 

今日、専門学校のオープンキャンパスに行った。ゲストに希望業界の講話があったからだ。その専門学校に入る気はさらさらないが、大学を卒業し就活真っ最中の私は少しでも情報を聞き出す事と質問をして顔を覚えてもらおうという気合を入れて申し込んだのである。業界の大人と話す時はいつも思ってるんだ。「いつか、数十年後、あなたと一緒に働くことになるか、取引先か、ライバル企業になってるぜ。」まだ業界に入ってもいないのに根拠のない自信はある。 人に説明する際、既に"うちの業界"って言うほどだから。後に引けないし、引かない。今のところ。

 

 2

専門学校のこの縦長移動の佇まい、懐かしいな。午前中に味気のない蛍光灯とプロジェクターのある薄暗い部屋で学校説明を受ける流れ、私以外ほぼ高校生の子らの元気のない挨拶、受け身がちな姿勢、ださい私服。そういえば今から5年ほど前も私はこのような場所に色々足を運び、進路選択に悩んでいた。私は一体何になるのだろう。製菓学校に行ってパティシエになるのかな、ファッション学校でデザイナーになるのかな、歯科衛生士になるのかな、医療事務のお姉さんになるのかな、パソコンに強い所に行ってゲーム会社を目指すのかな、短大行こうかな。

いや〜夢だけは無限に膨らんだね。専門学校様にオープンキャンパスという甘い、大変あま〜〜〜い汁を吸わせてもらったよ。学校はやっぱ ”学校” って感じ!!!守られている、うん。教育機関を卒業すると見える景色がある。就活しながらよく分かったよ。けども今回のテーマ、「迷い」と「決断」に就活ネタを書いてしまうときっと飽和状態で無個性になりそうなのでメインテーマにはしない。

 

高校3年生の進路選択で、あの時、別の学校を選んでその道に歩んでいたとしたら、今の私はまるで形作られていないだろうし、今の悩みとはまた全く違った方向を向いた人間になっていたのかもしれない。迷いと選択は人類永久テーマ。高校3年生のあの時に戻った気分になり、数ヶ月前まで過ごしていた大学生活4年間をまるっと一度タイムリープさせる。ちょっと箱から抜いてみる。

大学選びに失敗した、というのは同級生含めうちの大学の人は結構言っている。少なくとも自信をもってここは最高だぜ!オススメ!と言っている奴はいない。劣等感を抱いている人が多い。県立落ちの所詮妥協Fラン、的な。

だが私は結果的に、今の大学を卒業してよかったと思っている。終わりが全てよかったから。

通っている時はそれほど楽しくなかったけど。(留年しかけた時以外は)大学を途中で辞めようとも思わなかったし、他の大学に転学してやろうとするほどの熱もなかった。「大学」が何たるものか私は本気で分かっていなかったから(高校の進路選択の時、大学の欄に専門学校の名前を書いてたくらい)、兎に角1年、2年と何を目指して何の為に勉強しているのか分からなかったのよ。先生の面白さの価値観がまるで分からなかったり、意味不明な世界を知った。で、就活をはじめてから自分に足りない所がごまんと見えたり、大学でやったことが如何に社会に通用しないか打ちのめされたわけ。

しかし失敗して、迷走して、自分を見失って、迷って迷って、当たってみて、頼ってみて、ゼロから人脈作って、散々遠回りをして、ここを卒業しなかったら、振り返りシリーズの人(以下)は出会ってないし、こんな劣等感にまみれたブログの内容だって無い。順調に進んでいたらそもそも書こうと思わないよね。失敗したと思うからどうすれば軌道修正できるか考えるし、成功したら考えない。

 2019年に出会った沢山の人を振り返る【 part1 】乙女成分強め - Go aopink’s blog

2019年に出会った沢山の人を振り返る【 part2 】卒制と就活 - Go aopink’s blog

2019年に出会った沢山の人を振り返る【 part3 】自己実現さがし - Go aopink’s blog

 

 

「出会いは ”奇跡” ♪」

という某CMの呑気な言葉は好きではないが、まあ出会った全ての人達に感謝も大事よね。いくら想像で可能性を広げた所で全ては結果論なのだから。まず目の前の人を大事にすること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……さあ!ここでシメにするとキリが良いのだけど、「〜〜〜みなさん、いかがでしたか?♪」といった身も蓋もないまるで解決策にもなっていないゴミ記事は大嫌いなので、言及する。

 

今回の記事を考えるに至った経緯は、専門学校のオープンキャンパスに5年ぶりに行って高校生に戻った気分なり人生の分岐点を過去回想した話であるが、そこから生じる疑問点は何故私が高校生の時に散々進路に迷った癖に「専門学校」を選ばずに「美大生」になったのか。

さあさあさあ、さ〜〜〜〜あ、長くなるぞ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(^o^)

 

 

 

 

 

 

 

 

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大学を選んだのは高校の美術教師の母校で、勧められたから。

まあとんでもなく他人の意思決定に委ねた進路選択になっているのだが、それでもなんでその教師の言うことをすんなり聞いたのかというとその先生が変人で面白い人だったから、というのが1つ。考えて見ると、私は高校も大学も先生に勧められた所に入学していた。勘違いしてはいけないのが、自分の意思がないことはない。性格上昔から拘りが強いことは明白であるので、あそこに入ることはない、と最初から選択肢を除外している。その中から最も妥当な学校を選んでいるに過ぎない。さらに突き詰めて、私が無意識のうちに選択している「先生の意思」の妥当性はどこからやってくるのか。

答えは「人」。

興味の範囲内でコミュニティに属する人の雰囲気」がポイント。

色々な将来の職業選択に迷うだろう。高校選びから、大学選びまで。私の場合、高校で普通科の選択肢はなかった。専門的なことを学びたかったから。普通科に行った所で今までの延長線で勉強をしたくなかったというのが本音だが、ビジョンが見えなかったのが強い。進学くらいしかなくないか?そこで、家から通える範囲で専門的な学科のある高校は、家政科か工業。機械をいじるより家庭的なことをしたいから家政科。(昭和の価値観で止まった男と女で分かれそうな学科の選択肢に近代的な娯楽を一切許さない田舎を感じる)近所の高校は偏差値が県最低レベルで、民度が低そうだから嫌だった。だから通学時間がいくらかかってもまともな人が多そうな遠くの偏差値がそこそこある高校を選んだ。

高校生時の進路選択では、最初に言ったように職を基準にして進路を選んでいた。勉強して良い大学に行く考えはない、親戚周りに学歴の高い人はいないから強要されることもない。勝手にやりたいことやって人並みに稼いでくれって感じ。

オープンキャンパス行って、現地視察っていうか学校とか人の雰囲気わかるじゃない。それでチャラそうだな〜元気いいな〜就職に強そうだな〜綺麗な人多いな〜オタクっぽいの多いな〜とか多少印象が残るんだけど、そんな感じの人たちと一緒に仕事をして生活の大半を一緒に過ごしていくと思うと自分の性格のタイプが違うなと1つづつ判断するようになる。自分が何をすることが好きか、というよりもどういう人達と過ごしたいかが判断基準になっている気がする。

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 色々な方向に興味はあったけど、私は元気な人間よりも静かなの人間の方が好きなのでオタクよりな場所に進学した。「絵」に特化できる自信はなかったので現実味があって潰しのきく「デザイン」を選んだ。(曖昧に「デザイン」を選んだことにより最終的に「人生はデザイン」という哲学的境地に至り、選択肢は増える。実際入ってみて意外にアニオタがいなくて愕然としたんだけど、隠している人が多ければ、やはり興味のジャンルが人それぞれなのでタイプは違った。)

そして、今就活の軸が最大限にブレてしまっている。希望する所に入れない、技術がない、一人暮らしする金がない。三重苦!!! 利益を出せる人間じゃないと、熱意のある人間じゃないと入れない。どうやら就活は職業に「迷う」ことすらさせてくれないらしい。迷走してどこでも良くなっちゃいそうだけど、それは絶対に許さない。数ヶ月足りとも自分の貴重な時間をやりたくないことの為に捧げたくない。私は今までのアルバイトだって毎度拘って探して「決断」してきたのだ。自分の居心地の良い環境づくりのために民度の整った所に属したいし、できるだけ話の合う人と働きたい。

 

 

ツイッターを初めてから人を更に感じるものを見るようになり、「文」で人を判断する事が顕著になる 。興味の方向も今は完全に「人間性」から。どちらかというとこういう人に成りたいかな、という選択で日々の「決断」を下している。ブラックコーヒーを飲む人はかっこいい、音楽やっている人は面白い、モード系のファッションをしている人はこだわりがある、美術やってる人はメイクも心も綺麗、文章強い人は普段からよく考えて生きている、アクシーズブスは舐められる、黒髪の方が大人の扱いをされる、男性的な性格の人の方が話しやすい、などなど、、、

今の私はそういった価値観から形成されたものの結果で、成りたいものを日々追っている訳です。最終的なアウトプットが憧れと同じものに仕上がっているとは限らないけど、これ良いよな〜と思うものを追求して生きたいよね。

 

怖い

苦しい。特に何もしてないけど、なんかやってるけど、文字書いてるけど、くるしい。

頭の中だけで完結した考えが苦しい。ネットはすべてではないのに、この世界は常に動いているから、必然的に置いて行かれている気分になる。外に出れば、100倍のどかな風景が広がっているのに。こんなに時間は止まっているのに。心だけが、現実にシフトしていない。誰となにを話をしても、常に心は”置いて行かれる”焦燥感でいっぱいで、別に置いて行かれている訳でもないのに、ただフリーターやってれば生きていけるのに、”私の知らない所で世界が動いている”のが怖い。果てしなく怖い。平和が怖い。もっと私は苦しい所でストレスフルに生きるべきなんだ。けど、外に出てみても、自分の無力さを知るばかりで、苦しさを同情してもらうことしかできなくて、結局何者でもないどこにも当てはまることの出来ない、私を形として捉えることのできない、それはつまりいてもいなくてもどっちでもいいのだ。

今日ハガキが来た。2年ほど前に行った美容院で担当してもらったらしい美容師が昇進したらしい。どうでもいいほどにそんなこと覚えていなかったが、アシスタントだった其奴も2年頑張って何かを成し遂げたらしい。よく分からんが、おめでとう。私はこの数年で何かを成し遂げたか、、、。

新しいものに手を出すのが怖い、知るのが怖い。知っている範囲で知っているものが動いているのが理想。私は昔のままずっと止まっている。私を本当に支えてくれるものは私自信がそれに価値を見出してみつけたものだけ。偉い人らが価値を見出すものが凄いってのもわかる、けど私はそれの価値が分からないというかどう価値を見出したらいいのか基準が分からないというか、好きじゃないからそれに価値を認めた瞬間に私の人生の価値基準が全て否定されてしまうから、私がここまで生きていた意味がないことと同じ、、、、、。一生消費者のままでいた方が幸せだったのかもしれない。みんなの凄さに気づくことなく私には関係のないことだと肝が座っていたらどんなに幸せだったことか。「知る」から幸せになるし、生きづらくなるし、比較する。「理性」だけにしてロボットになるか、「本能」に従い猿のように生きるのか、極振りできたら悩むことなんてないのになあ。「時」があるから「心」が移り変わる。時間がなければ心もないし動くこともない。時間芸術は「心」か。夏目漱石の「こころ」を現代文の授業で知ってから薄暗い雰囲気に身の毛がよだったことを覚えている。理由を作って未だに本編を読んでいない。あれの良さが分からない奴に「こころ」はない。

価値

4月は胸苦しい、吐き気がする。季節の生暖かさが今までの微妙に嫌な思い出を体感的に思い起こされる。寒さが暖かくなって日々の寒暖差が安定せずにゴールデンウィークに移行するこの”季節感”。気持ち悪い。大していい思い出などない。いい日もあったかもしれないが総評として私は”辛かった”。何が楽しかったか。帰りながら、電車で新作のアニメを見て、音楽を聞いて集中している時。人は見た目のみで人間関係を”足切り”する。死ねばいい。私の味方は作品から受容する自己の想像力しかない。これしか頼るものがない。

新規人間構築が苦手な割に接客業をこなしてきたため、そちらを評価される。金が必要だったからそうしてきただけなのに、すべては結果論だ。やってきたことが身につくだけ。金のために誰にでもできるやりたくない接客をしてきただけ。適当な人当たりが上手くなっただけ。外部が勝手に評価を下すだけだ。だれにでもできる空いた穴に。

いくら勉強したって消費者志向がなくならない限り、ずっとちゅうとはんぱ。

他人基準

子供は羨ましい。

あいつらはやりたいことだけやっている。話したいから話している。話を聞いてくれそうな「人」を認識しているから無邪気にマシンガントークを展開できる。こんなこと言っても相手は興味ないだろうな、とか余分な躊躇が一切ない。” 自分が勝手に楽しそうになっている ”。こんな無条件に幸福はことはないと思う。やりたくないことをするのが「おとな」なのか。やりたくないことをするのが社会にもっとも適合する大人になる形なのだとしたら我々は”社会の為”に生きているのか。それは人類として文明の発展、つまりは歴史の為に生きているのか。社会で幸せに生きる為に自分を騙すのか、個として生きる為にルールに従わないことによる最終的な幸せの保証はあるのか。個の価値の発展の為に少数派として生きるのか。しかし、自分の価値を他人が見出し始めたら私はきっとそこから離れるだろう。孤独は避けられない。行き着く先は自己愛。

 

 

2019年に出会った沢山の人を振り返る【 part3 】自己実現さがし

おかしいな。1記事で収まると思ったのに1万文字を超えていた。ブログにしては長すぎる。こんなの自己満足にすぎないのに、思いついたものを文章にするのが楽しいんだ。

前回 2019年に出会った沢山の人を振り返る【 part1 】乙女成分強め - Go aopink’s blog

   2019年に出会った沢山の人を振り返る【 part2 】卒制と就活 - Go aopink’s blog

 

 

 

目 次

  • 2018年12月 〜大学の恩師〜 

  • 2019年1月  〜就活イベント〜

  • 2019年2月  〜本気ではなしができる人はいる発見〜

  • 2019年3月  〜「自分が世界の中心だと思え」〜

  • 2019年4月  〜関わりたい人と関わる〜

 

 

【2019年3月 】

・T橋N子さん

卒展で初めて知ったかと思いきや、実は結構前からこの人の制作物を見かけていた。展示空間はとても病んでいて、彼女の固有結界がそこにあった。日々の人間関係を生々しいほどに痛烈に批判した言語が蔓延っており「本当はこうなんだろ!!!」と言わんばかりの思いが絵と文字でぶつけられていた。その一部にあったクロッキーの紙切れに書いてあったことを覚えている。「先輩に言われた名言。"自分を世界の中心だと思え。"」

ただの自分勝手な人のことではない。他人のことを考えてばかりで繊細で仕方のない人や感受性の豊かで傷つきやすい人間に向けて送られた言葉だ。他人の凄さばかりに目がいき自分の無力さに打ち拉がれて心がガスガスになったメンヘラ驀地の人間がどうしたら自信を取り戻せてもっと生きやすくなるか、ということだと思う。

すごい人はいっぱいいる、強いて言えば自分以外の学生はみんなすごい。Twitterにも学校生活にも比較対象は山ほどいる。みんなすごいから私がなんで生きているか分からない消えてしまいたい、と悲しくなった時に、オレが世界の中心なんじゃボケエエエと思うくらいの方が少し元気になるからそれくらいの気持ちが丁度いいよってこと。毒舌な人は非常に好感がもてる。

 

・卒業式に初めましての人ら

 この日はめっちゃ楽しかった。

私は卒業式に果てしない恐怖を抱いていたので、ぼっちになってもおかしくない、ここで4年間すべての人間関係が試されるんだと半ば覚悟していた。他大の友人と卒業式が被ったので、ぼっちになったらもうそっちに逃げるから!!!と宣言していた。心に逃げ場があっただけ僕に怖いものはなかった(嘘)。当日、僕は4年生終盤に渡って巻き返した人間関係は着実に築かれていたのだと安心した。地元の成人式みたいにみんなと話せて、写真も撮れて、ぼっちじゃない女子大生になれた。それだけで人間関係の終わった自称 "暗黒の大学時代" は回収できたような気がした。

同じくフリーターになる別の優秀な同級生と将来について話し、彼女は卒業記念パーティーに向かった。僕はぼっち前提で考えていたからパーティーなんてギラついた人が行く所にぼくの居場所なんてないと思って行かなかった。その後、他大の友人と無事に会い、初めましてのそれまた友人の大学内輪トークになぜか混じっていた。なんか対人能力が物凄くあがっていることに驚く。驚くことにその友人の友人達とはまるで旧友のようにノリが合ったような気がしてすごく心地が良かった。パリピを毛嫌いしている姿勢がとても面白かったし、友人達もパーティーなんてあんなパリピの巣窟絶対行かねえという反骨精神の仲間意識がひたすら心地良かった。その日は大学の卒業生らしき人が名古屋駅に沢山ひしめき合っていて、学生の終わりを穏やかに感じた。最後別れ際に僕は「みんな4年間よく頑張った!!!卒業おめでとう〜〜〜!!!」と互いの祝杯をあげ、心からおめでたい気持ちで笑顔で別れを告げた。

地元に帰還し、卒業式の面影を残した派手にセットされた頭で市内のある議会の説明会に行った。そこでは、大学生が10人ほど固まって自己紹介などをした。ここにいるのはほぼ大学3年生でぼくは大学4年生というか今日卒業したばかりの無職。正直ここにいていいのかとモヤモヤした気持ちにしかならなかったが、「先ほど卒業して来ました〜!」というと元気よく「お〜めでとうございます〜!!」と野太い声で祝ってもらい、改めて卒業ってめでたいことなのだと実感した。頑張ってきた4年間をひたすら肯定されたようで幸せに満ちていた。無条件に心が暖かい日だった。

 

・ハロワとか就職支援の人ら

 卒業して、とにかく数を打とうと思った私は叔父の知り合いの紹介で市内のハローワークをあたった。ここに希望する職がある訳ない。もしかしたら変な仕事があるかもしれないという希望のみ。

「君の言う、"面白い仕事"って何なのかな?^^:」「う〜ん、もっとオリジナリティに"考える"仕事、ですかね〜」

なんだか地に足の付いていない、頭の悪い人に思えてきた。

別の就活支援の人は卒業後に関わったが就活2周目の不満感と初めての内定 - Go aopink’s blogでも散々愚痴ったように納得していなかった。誰でも受かるような会社と思うと尻込みするんだけど、冷静に考えればそんな人でも受け入れる体制の整った余裕のある会社とも捉えることができる。1番ムカつくのは担当者が((ほ〜ら見ろ!お前なんかを雇ってくれるような会社はここしかないんだぜ!お前の実力なんて所詮そんなもんなんだよドヤァ))となること。ア〜〜〜いやだ〜〜〜

 

・靴修理の店長

次の就職までの繋ぎとしてバイトを掛け持ちしようと思って、靴修理のバイトの面接に行ったんだけど、承諾してもらって断られた。なんか悪いことでもしたのかな。就活のお祈りメールで散々傷ついてきたのに、バイトすらお祈りされると本当に社会に必要とされていないのだなと。

 

 

【2019年4月 】

・瀬田さん

「LIFE SHIFT」読んで人生考え直せば、ちょっと分かることがあるかもと思っていた頃、承認要求の答えが出てしまった - Go aopink’s blog で紹介したように瀬田さんの記事にのめり込むようにして数日間に渡って読んだ。自分の外側の外側を知り、途方もなく不安に駆られた訳だがそれは知識として”分かった”に過ぎず、”解決”はしていない。数年前の記事とかだったらリアルタイムでコンタクトすら取れなかったが生存確認ができただけでも心の救い。ネットって受け身になりがちで判断材料が画面だけなのでレスポンスがあるだけでも人を感じて安心する。還暦を迎えるほどの年上の人と対等に話ができているのはネットの特権とも思った。自分よりも40年考えて生きてきた人とどう感性の擦り合わせができるのか。人生のロールモデルを探したい。これからどう生きればいいか分からないから。

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

 

 

・アニメ交流会の人ら

大学2年生の時に課題でお世話になった他大学の先生にダメ元でメールした所二週間後に返事が来た。当たるだけ当たるのは大事だと思った。ある女性にコンタクトを取りたいと言った所、(取れなかったが)目指す業界の若年層を応援する活動団体があると紹介され、交流会という名の飲み会がちょうどGWにあったので参加した。落ちた企業や気になっていた企業、業界関係者が沢山いた。全体的に駆け出しの人だったので、業界人と直接話が出来たことはよかったかもしれないが、ただ生きてきた世界が違うなと思い知らされただけ。もうさ、住んでる場所と金銭面だけで人生違うよな。高望みしすぎたのかな。最初からこんな業界諦めて身の程を弁えている同級生のモチベーションが羨ましい。なんで出来もしないことにわざわざ苦しんで頑張っているんだろう。

 

同人音楽家の人ら

 就活、卒制と果てしなく孤独で辛い時期に、ずっとお世話になっていた「作業用BGM」。音楽家を掘り当てた時の快感が楽しくて仕方なく、同人音楽が大好きだ。人の声を聞くよりもずっと音楽を聞いていたい。(最近逆に他人の声にすごく敏感になっている気がする。何かをしていても他人の言葉が聞こえてくると耳を通過し過ぎて本当に目の前のことに集中できなくなる。やばい。)

GW、本来の目的はアニメ交流会だったが予定を合わせて同人音楽イベント「M3」に行って来たのだ。CDなんて通販でいくらでも買うことのできる時代だけど、作者に直接礼を伝える大事さを知っている私は隙あらば感動を伝える。いつも心がお世話になっている作者と直接話ができる、例えるならスーパーで普段買う野菜農家は顔が分からないけどいつも美味しく食べさせてもらっている生産者に直接礼が言えるまたとないチャンス。著名人だったら直接話すこともできないのに同人関連は直で言えるからすごいことだ。他にも予定はあったんだけど、なんだかんだ普段から関心もっていることが1番満足した

 

 

 

 

 

1つ1つの出来事を振り返ると結構毎回発見があることに気づく。一応読んでもらう前提で書いてるけど、こんな個人的な話を誰が楽しくて読むのか。身内だけだろ。時系列で書いても1つの出来事から感じた思いが沢山あるし、1こ1こバラして書くには数が多すぎる。

 

 

人が変わるには、「関わる人」「時間の使い方」「住む場所」を変えろ、という。

シュタインズ・ゲート」岡部倫太郎の有名な言葉がある。

最初のお前を騙せ
世界を騙せ

自分という駒を動かすために、自分の思考を丸ごと入れ替え、意識を変える。自分を騙す。

日常会話でこれ言ってたら厨二乙と軽く片付けられて終わりだが、あながち間違いではないのではないか。

論を提唱した所で、これが合ってるかどうかの確証はない、が、もう後は感情論でいいと思う。「好き」か「嫌い」か、この考え方が好きだと思えばやればいいし、頭おかしいんじゃねえのと思えばやらなければいい。それだけの話だ。

戦う場所は選んだ方がいい、と思う。

 

 

2019年に出会った沢山の人を振り返る【 part2 】卒制と就活

前回 2019年に出会った沢山の人を振り返る【 part1 】乙女成分強め - Go aopink’s blog

で1人の人物を語りすぎたので今回は満遍なくいきたいと思います。

 

  目 次

  • 2018年12月 〜大学の恩師〜 

  • 2019年1月  〜就活イベント〜

  • 2019年2月  〜本気ではなしができる人はいる発見〜

  • 2019年3月  〜「自分が世界の中心だと思え」〜

  • 2019年4月  〜関わりたい人と関わる〜

 

 

【2019年1月 】

・就活イベントで出会った男2人

検索避けのため具体的なイベント名は明記しない。「就活 ぼっち」とGoogle先生にお聞きした所、そのイベントがヒットした。世の中の就職システムに疑問を持った人達と一緒に数日間かけて就活をするらしい。しかも無料。わざわざこのために往復1万かけて東京まで行く必要があるのか激しく葛藤したが、かの武蔵美様の卒制展示が連日にあったので予定を合わせて理由をつけて行った。

5人ほどの集団でここに来た経緯を話す機会があり、全くの別分野で生きているが同じ思いを抱えた人間だったので超新鮮だった。絶対に関わることのない人と話した。帰り際、その中の2人と互いについて更に話した。大学3年生の小説家を目指す男と演劇をしている男だった。この時も今に繋がる核心的な頭のおかしい会話をしていた。自分を人に紹介するという機会が今までなく、自尊心の欠片もない時期に会い、本音をぶつけたので初対面で相当励まされたことに感謝する。受け取った言葉を要約すると、

  • 戦略的撤退をする
  • やってみたいことを1回やってみる
  • どん底まで一回落ちるといい、後は登るだけだから
  • 誰にも評価されなくても自分がやったことが1番だと自分を褒める
  • 毎日やっていることは大事
  • 学校の偏差値と頭の良さは関係ない
  • ぼっちでいい
  • 全員死にたがり
  • みんな赤ちゃんになりたい

別れ際に大学生の子が父親が死んでからやりたいことがやれている今が一番ハッピー、トイレ行くだけでも楽しくて笑顔になってしまう、この幸せを君にも分けてあげたい!と本気で言っていた。大変頭のおかしいことを言っていたのだが、其奴は抑圧されたなにかからきっと解放されたんだ。人生1周したような男達と本音で話せたことは私にとってすごく大きな収穫になった。(この頃は卒業旅行でスペインに行って過激派組織に拉致られて死にたいとかめっちゃ言ってたな、、、)

「みんな赤ちゃんになりたいんだよ、バブーバブー」とそれまた気狂いなことを言っていたがこの言葉を最近よく思い返す。私たちは年を重ねるにつれて余分な知識をつけすぎているのではないのだろうか。だからこそ比較対象が沢山あることにより自分と他人を比べてなんだか辛くなってしまう。人と比べるなんて概念すら存在しなかった、純粋にやりたいことだけやっていたあの頃に戻りたいのではないか。

  

・就活イベントで出会った女性

同じ就活イベントで泊まり込みの合宿があり、そこで仲良くなった。初対面の人と同じ部屋で一夜を過ごした。変なことしてたなあ。次の日が面接だったので夜な夜な必死に文言を唱えていた。アニオタという共通点から「BANANA FISH」の最終回について話をしていたんだけど、悪に染まった主人公の「死」の儚さに胸を締め付けられたと共感していた。だが、ここで思ったのがこの手の「切ない終わり方」を頭でテンプレートとして理解していることによって感動が薄かったのが辛い、という話をした。これが初めて、例えば幼少期に見た強烈な終わり方だったら、一生レベルで記憶に残っているんだろうなあと。上記の話の関連。

いや、これが言いたいのではなく、自分の卒制の作品を見てもらったことが大きな収穫になったのだ。アニメで話が合ったので恐る恐る自分の作品を見てもらいたいと思い見せたら、超褒めてもらえたのだ。私は「現代社会の女性の心の闇」というテーマで大変暗い作品を作ったのだがその女性は元キャバ嬢らしく、私の取り扱ったテーマを物凄くリアルな話であると賞賛してくれた。現実に賛同者がいただけでも大きな自信となり、最終プレゼンでは先生の前で大きくネタにさせてもらった。私のしていたことは間違っていなかったのだと。

 

・塚田さん

 カキコミタウン! | 北海道の田舎でweb時代の小説家のくらしを開拓するブログ

ブログは面白い、個人的であればあるほど。この人のブログは人間をすごく感じる。各タイトルが唆られる内容ばかりで合ったので一回ハマると数時間読み漁る癖がある。

大学で出会った彼にファンレターを送ったように、良いと感じた人にはダイレクトに感想を送ろう!と習慣づいたのはこの辺りから。少々人生相談ができたのも嬉しかったし、同じタイプの人が頑張って生きているということを知れただけでも心強かった。それと同時に、自分が人と会話できていることの手応えを感じた。

 

 

【2019年2月 】

武蔵美の男の子

この人は大変面白い子だった。

12月のある日、武蔵美の同人誌を部室で見かけたのだ。すごく人間味のある漫画で情緒があって面白い話だなと思っていたら巻末の作者のあとがきに書いてあったのが、自虐的なくせに変にポジティブで「これを読んだあなたはもう僕のことが好きなんです!感想ください!」なんてことが書いてあって超面白い人だと思った。そこで本人に直接凸ってやりたいなと思って卒制に行ったんだけど会えなかったからメールで漫画の感想伝えたら、数週間後に返事がきた。びっしり埋まった1500文字ほどの長文で。身の毛がよだつ長さだったから超楽しかったんだけど、その文は漫画の人間性を更に強化した内容であり、数週間に渡り我々は毎度約2000文字のメール文通をしていた。この頃は卒制の準備とか就活のストレスで精一杯だったが、返事がくるたびに電車でほくそ笑んで結構精神安定剤だった。就職活動は辛いけど、ぜひうちの卒制来てよって誘い案内することになり、すごく優しくて色んな事を考えちゃう不器用な子だった。未来ある学生生活が羨ましい。

人はどんなきっかけでも仲良くできること分かったし、それは私にとって直接のコミュニケーションよりも作品とか文章の方が得意かもしれないと気づいた。現実で魅力を出せないぶん、頭で勝負したほうが向いていると思った。社会人として面接では致命的だが。

 

手塚プロダクション編集部の人

卒制と就活と携帯の機種変更と同人誌制作とホストにはまっていて大変死にそうだった時期に描いた同人誌を提出したことを完全に忘れていた半年後に大学で漫画の添削講座があった。正直全く期待していなかったのだが、この4年間で受けたどの講義よりも為になる話であった。卒業間近の最後の最後でなんじゃそりゃですよ。

私の作った同人誌は自分自身に当てた葛藤要素が色濃く出ており、それをキャラクターに投影した道徳的で説教くさい話だった。ここで同人誌、ついでに卒制の作品を評価してもらった際にあるキーワードが浮上した。「絵本」。考えたこともなかったがそういえば「大人の絵本」というものを耳にした覚えがある。自分の新たな可能性を知ることができた。

 

・いきなり面接会で会った企業様

就活に迷走していた頃、書類選考なしでいきなり面接ができる新卒最後のチャンスと謳った就活イベントがあった。打てる玉はすべて打っておく、くらいの気持ちで動くに動いていたなあ。会場に着くと、お前らこれから会社見つけにいく人間かよってくらい猫背がちな新鮮さのないなんだか沈んだ空気が漂っていた。絞りカスが集まったのかな。初めて知る会社といきなり面接して何がわかるっていうんだ。勿論入社する気は更々ないし、これを体験してよかったことは普段話すことはまずない採用側のおじさん達と回転式合コンみたいに沢山会話をして自分にストレス的負荷をかけることで強制的に脳みそフル回転状態の言葉の瞬発力がついたこと。自分という人間は何者なのか紹介することによって他人から見たフィードバックを受けることができたこと。入る気がないから尚更話しやすい。面接練習として私のメリットはあったが、やる気のない学生と小一時間会話をしなければいけない企業側の方が可哀想になってきた。会社の紹介書類を見ていた時はこんな所入るわけねえわ〜と舐めてたけど、実際面接をしてやはり「人」と会話をしているのだと思うと果てしなく申し訳なかった。

1番最初に面接をしてくれた建設会社のおじさんが印象に残っている。「なんで君みたいな(デザイン勉強していた)学生さんがうちに応募してくれたのか分からない」「・・・私も分からないですね。ハハッ。」

いや、もう普通殴られるわ。失礼極まりない。大変理解のある方だったのが救いだった。「私、まだこれから5社くらい話すんですよ、どうしましょうw」「適当に流しておけばいいんじゃないですかね〜w」「いや〜なんでここにいるのか分かんないッスね〜〜〜」と会社の面接とは思えないほどまるで関係のない個人的な就職相談をしていた。「フリーターから正社員に起用されることとかあるし、そっち行った方がいいよ」と言われ、ほんとそうだよなと思った。なんかよく分かんないけど、初めて会ったのにこの人の言葉を一番信用したいと思った

 

・就活イベントの更にアウトローな人ら

まあよく適応してんなってくらい多ジャンルの人と話した。闇社会に片足突っ込んでる女児アニ歌う人、青学中退して海外放浪してた人、演劇やってるフリー素材の人、人生の終着点まで見据えて就活したらダメになって院に行った自己肯定感を研究している人、生まれも育ちも東京都内で田舎育ちの帰る場所がある私を少し羨ましいと言ってくれた人、それぞれの人生を見た。社会の縮図とはまた違う、どちらかというとはみ出し者同士。

此処ばかりは日常生活で所属している自分よりも少し殻を破って本音で直感的にやってみようと思った。ヒエラルキーの存在しない環境だ。1人1人フラットに関わることができる。余分なことは考えなくていい、まっすぐ、もっとフラットに、よく分からないイベントにただ身をおいて流されてやるべきことをやった。

東京周辺の会社の人とこれまた回転式合コンのような形で、自己紹介および1つのお題に沿って対話をしたのだが、私は求職者の中でも異端なクリエイター。作品集とこれまでの経緯を話したのだが、話をしていて虚しくなるほどにひたすら同情と励ましをされた。すごい!と今までにないほどに褒めていただいたが、私は大学で一切褒めらたことはなかった。どれだけ褒めてもらっても「(要約)いえいえ!他の子の方がもっとすごいんです!私はすごくない!劣等感しかない!」としか言えなかった。ベースが最底辺だから。ある社長に励ましてもらった言葉を覚えている。

「(要約)ダメな奴って下しか見てないのよ。けど劣等感があるっていうのは上昇しかしないのね!ほら、すごい人っていうのは常に謙虚なんだよ。自分のことをダメだと思いすぎずに、そういうすごいと思う人の良い所、キラキラを少し貰って取り入れるといいよ。キラキラやで!!

メンタルどろどろの俺がこの言葉を素直に取り入れるのは一生レベルの課題になりそうだが、自分が今まで戦っていた戦場(大学)から外野(社会)にでてみると反応がまるで違うことを知る。外野にでると調子付いてしまいそう。いや、ないけど。戦場から逃げ、評価されそうな場所で粋がっている俺はズルい人間だろうか。

 

毎週東京に行き、往復1万消えて、何が残ったか。本来の目的は企業からの「内定」である。イベントの流れに沿っていくことに必死で、さあこれからという肝心の就活はこのイベントに関してはやる気が起きなかった。ただ、知る、中にはこういう考えを持つ人間が切り盛りしていて、こういう会社があることを知る。ただそれだけだった。残ったのはこういうことをしたという経験。豊かな経験値だけは残った。

あと、主催が話していた「底辺から頂点まで経験するといい」 という言葉。ぬくぬくした平穏より、私はなんだかそっち側にいる気がするので(借金地獄の波乱万丈を歩んだなんて人とは比べ物にならないが)、これから先もっと振り幅のある人生になるとたぶん思います。

 

 

・卒業制作展で会う外部の人ら、OBなど

改めて大学でやってきたことを外部に紹介する機会はない。内に内に篭って、与えれた日々の課題は何のためにやっているのかも分からない。外部に出して、フィードバックをもらえることによってようやく自分が一生懸命作って考えた作品の存在意義を確認できた。「作りたいから作っている」無機質なこれだけの理由では私が何かを作る上で、それを行う意味が本当に分からなかった。そんな私はクリエイターとして失格だろうか。

感想ノートを置いた。自分が出したものに対する反応が欲しくてたまらなかった。他の生徒は無骨に作品が置いてあるだけ。なぜ置かない。みんなそこまで無機質な人間なのか。卒制のために、卒業のために課題として作ればそれでいいのか。先生の為に作っているのか?いや、自分の為だろ。

こんな無名学生がイキって「感想お願いします!」と他人に評価してもらえるほどさぞ立派な人間なのか?例え感想なんて一言も書いてもらえなかい可能性だったある。けど、私の作品を見た人が何かを感じることがあるかもしれない、すごく言いたいことが出てきてしまうかもしれない、私はその少しもの可能性に賭けたかったのだ。思いを伝えやすいきっかけ、装置はできるだけ工夫した。先生のことはとても無視したかった。自分の為だけにいいと思った工夫をしたかった。批判されるのが怖いから、全部勝手にやった。

すごく満足のいく結果だった。感想がこんなにもらえるとは思わなかった。直接言えないことは文字で言えたりする。もっと人間関係が円滑で、大手企業とかに就職が決まっていて、 OBも見にきてくれるようなすごい学生しか感想が貰える権利なんてないと思っていた。私を見てくれている人はいるのだ、と1年の努力がすべて報われた思いだった。

イギリスの大学の人の前でもプレゼンをした。このいち一般家庭出身の日本女学生の4年の集大成をどう感じてくれたのか、知り及ぶ所ではないが楽しそうに見てくれていたと思う。私自身が良いと思ってごく自然に湧いてくるこの表現をちょっと引き気味で見てくれていた外部の人の反応は、この大学で過ごしたどの時間よりも新鮮だった。今まで私は一体何をしていたのだろう。こういうことをやりたかったのではないか。

頑張ってよかった。 が、私はこうやって過去の栄光にいつまでも縋って生きるのだろうか。

 

 

 

2019年に出会った沢山の人を振り返る【 part3 】自己実現さがし - Go aopink’s blog へつづく

2019年に出会った沢山の人を振り返る【 part1 】乙女成分強め

大学時代、人と関わることを諦めていた。

 

だが、進路探しをするようになり色々な人やものに手を出すようになってから、

出会うべき人に会い、如何に狭い世界で生きていたかを知る。世間は思ったより優しい。

出会ったみんなの言っていた意味がどんどん、どんどん分かってくる。

私たちは子供に帰りたがっている。人間に成りたい。余分な知識をつけすぎた。

 

頭がいいガキは頭がいい。

そいつはそのままでいてほしい。どうか汚れていかないで欲しい。

どうかそのままで、健やかに育って欲しい。

 

社会不適合者に、幸あれ。

 

 

 

 

 目 次

  • 2018年12月 〜大学の恩師〜

  • 2019年1月  〜就活イベント〜

  • 2019年2月  〜本気ではなしができる人はいる発見〜

  • 2019年3月  〜「自分が世界の中心だと思え」〜

  • 2019年4月  〜関わりたい人と関わる〜

 

  

ちなみに初詣で願ったことは 「人脈をください」

※ 今回とても長いです。1人目があまりにも長いので区切ります。

 

 【2018年12月 】

・大学生最初に「絵」に出会い、最後に「対面」した人

1人の男に出会った。この人と出会ってから今日に至るまで、頭から離れない。

憧れなのか嫉妬なのか執着なのかも分からないほどにその人が全てであった。私には無いものを持っているから惹かれたのか、似たものを感じたから惹かれて仕方がないのか。目指したかった姿が彼だったのか。 

大学1年生の作品展示で彼を知り、彼の展示品のあまりものなさに指を指して笑っていたことを覚えている。170人ほどの膨大な数の同級生の展示を一通り見て、なぜこの人のブースを覚えていたのかも不思議なくらいだ。この人は卒業する気があるのだろうかと思ったが、数枚のイラストとラフ絵のファイルが印象に残っており、非常にいい絵を描く人だと思って写真を残した。

大学3年生から一人暮らしを機にTwitterを始めたが、そこで絵師達をフォローし色々巡回していると見覚えのある名前が関連で表示された。もしやと思いクリックしたら、1年生の時に見たその人と同じ絵があり確信した。大学はろくな会話相手もおらずバイトも転々としていた私は孤独を極め、Twitterがお友達になっていた。2年間彼の経過を追い、一方的に思いを募らせていた私は、彼が「大学辞めたい」を連呼していたこともあり勝手に心配をしていた。4年生になり、人物が気になって仕方がなかったので、喫煙所を通るたびにガン見したり、1年生の時に彼と同じクラスだった知り合いに話を聞いて詮索しようと奮起した時もあったが、唐突に聞く勇気も機会もなく断念していた。卒業制作も落ち着きだした頃、1人心の友としていた神絵師がしばらくアカウントを停止すると言った。その辺りから、大学の彼もいつネット上からいなくなるのかも分からない。連絡手段すらなくなる。直談判せねば、と決意した。教室まで殴り込みに行くという選択肢は絶対ない。メールを送るしかないと思った私は「大学どうか辞めないでください」といきなり送りつけるのもどうかと思ったので、「卒業制作のイラストを楽しみにしている」と長文のファンレターを送ったのだ。身元が不明なのもアレなんで作品との出会いと今までの経緯も書いた。素直な気持ちを全部書いたから正直気持ち悪いと思ったけど、会うことはないし数ヶ月で卒業するし、どうにでもなれの気持ちで、おりゃっと勢いでタイピングしたものを送りつけた。返事なんて来なくてもいいと思ったといえば気取っているが(若干期待していた)、数日後に超丁寧に返事が来てしまった挙句、相手もコンタクトをとってくれる姿勢を示してくれたのだ。死ぬかと思った。顔の知らない憧れのアイドルに会える、みたいな感覚。会ってしまっていいのか、会うことによってもしかしたら少し期待外れで作品が好きじゃなくなってしまうのではないか、純粋にTwitterを見れなくなっちゃうんじゃないかと勘繰ったが会いたい衝動に突き動かされるままコンタクトをとっていった。(今思うと出会ったことによる衝撃と今後の影響が激しすぎて好きじゃなくなる所の話ではなかった、、、)ラインを交換するまでになるというびっくり展開。私がプレゼンのためのポスターを仮印刷して準備に取り掛かっている時に友だちになった通知が来て大興奮してたんだけど、プレゼンをする前に後ろ盾があるという謎の安心感に包み込まれた。返事が丁寧で既に好きだった。

当日、いつも通り教室は卒業制作の相談を淡々としており疲れた空気が漂っていた。そんな中、授業から抜け出して今日は運命の日だ、と最高潮に達し気分は本気でシンデレラ。制作は一通りキリがついていたので、不安も何も一点の曇りもなかった。こんな爽快な日はない。ドキドキが止まらなかった。これからのことなんてどうでもよかった。

ひと気のない14:00、普段使っている食堂、ここが約束の場所になった。4年間同じ大学にいるのに顔すら知らないのもどうか、実は見たことある人なのかもしれないと思い、ツイートから把握している人物像から思いあたりそうな人物を記憶から総動員して列挙していた。(もしかしたら彼処にいた人物かもしれないという記憶が3回ほどある)待っていると、突然電話がかかって来た。心臓が飛び出た。もしかしたらテンションの低めの渋いオタッキーな人かもとか考えていたから、年相応の青年の声で驚いてしまった。

結果的に3時間ほど話し、超絶圧倒されていた。刺激が強すぎた。初めて会うのに話がすべて合う気がした。相手が合わせてくれていたのかもしれないけど。その日は雨だった。食堂が閉められてしまうので、必然的に帰ることになり傘を教室に置いたままであったので取りに行き、丸1日すっぽかしていたので同級生に心配され適当に受け流したが、本当にこの日だけは明らかに挙動がおかしいし不自然だったと思う。

生身の人間は想像を遥かに超えた考えを持つ男だった。普通に考えたら頭のおかしい会話をしていたと思う。けど2人だけだから成り立っていたし、きっと同じクラスで4年間共に過ごしていたらこんな話をすることもこんな感情を持つこともなかっただろう。卒業間近に出会ったこのタイミングが全ての必然だったと思う。その時に感じたのはトキメキよりも、なぜか「悔しさ」。私がとてもちっぽけのちちちーな存在に思えた。この人が人生の主役なのか?私はモブなのかと。これもまたおかしい捉え様、、、。帰りの電車はいつも音楽を聞くのに、その日だけは彼との会話を一言一言すべて思い返して、なんにもせず30分突っ立っていた。嬉しさと興奮と悔しさと寂しさが全部一緒になって、嵐のような感情が込み上げて涙がでた。

 

その後は割愛するが、この男に出会ってから私の意識が相当に変わってしまった。Twitterだけでも結構影響を受けていたが直接会って話すことの刺激は尋常ではない。この4ヶ月間で飛ぶ鳥落とす勢いで追いつこうと知識と意識を変えている。何故だろう、人生は違うのに、彼の価値観に追いつこうと必死になって理解しようとしている自分がいる。自分の人生と今まで好きだったものを全て否定したくなるような気持ちに襲われる。その後の私の行動指針は彼が主軸になっている。

ここから2019年数々の出会いの火蓋が切って落とされた、開幕開幕〜と言っても過言ではない。

彼に対する思い入れが強すぎてアホみたいな長文になってしまった。全部読んだ人いたら気持ち悪いわでもいいので感想ください。

 

(余談)この執着じみた気持ちがどうしても「プリティーリズムレイボーライブ」の速水ヒロとかぶる。コウジの本当の才能を理解しているのは俺だけだ!!!みたいな、依存傾向をリアルに表しすぎ。

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2019年に出会った沢山の人を振り返る【 part2 】卒制と就活 - Go aopink’s blog へ続く

 

自分を取り戻したい【〜幼少時代の絵編〜】

神絵師は幼少期の時から天才、というツイートをみたので私も小学1年生の時の絵を物置漁って見てみた。

 

大学を選んだ理由はなんとなく「絵」を描くことが好きだから。大学に入って遥かに上手い絵の人たちと比べて、評価されて、格差社会を感じてヒエラルキーを感じて、卒業制作で雑な絵だと言われ深い傷を負い、就活で絵を散々否定されてお祈りされて、私にとって「絵」ってなんやったんやろ、、、と自分が分からなくなってしまった。

 

幼ければ幼いほど不純物のない本物の感性が見られると思ったので、自宅に現存する一番古いもの、、、だと小学1年生のアルバムを開いてびっくり。涙が出てきた、、、、幼き日の自分を最大限に愛したい、、、、、天才すぎる、、、、、、もうこれは自分を肯定する以外ないので、徹底的に自己満足していきたいと思います。

 

 

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おいおい、6歳でこの色彩センス。物をものとしてしっかりと捉えている感やばい。人がそこに立っている。幹に皺がある。観察力抜群だな!!!!!!

 

 

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人物の距離感とか車のサイズ感は無視して、「伝えたいもの」がめちゃくちゃ伝わってくる絵!!

車の危険さとか、飛び出すなって状況めっちゃ分かる!曲がり角も把握できる!天才!!!!

 

 

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構図がめっちゃいい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

人がそれぞれ、人として走ってる!!!!!!!!!!!

1番のポイントが見切れている別のお友達の足!構図が単調じゃなくて動きを感じるし走ってる主役が引き立ってるわ!!!!!天才かよ!!!!!!!!!!!

 

 

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いつも仲良くしていた友達との様子がわかる。総合公園のでかい鯉のぼりが印象的だったんだろうな。

太陽に目があるんだぜ?全ての生き物に生が宿ってるって感じてたんだんだなあ、天才。

 

 

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動物園の噴水広場の風景だろう。画面の切り取り方ほんと上手いな。家族の特徴もよく捉えている。

 

 

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超俯瞰。プール、図書館に行った時の風景を記憶で捉えていて、天井からみた鳥瞰的な視点で絵日記に落とし込んでいる。いや〜〜〜〜〜〜〜〜〜もうこれ、衝撃受けましたね。特にプールの構図、でたらめにプール全体の絵を描くんじゃなくて画面4分の1に必要な場面を切り取ってるあたり、よく分かってるな。風景切り取るのうますぎ、、、、、、、、

 

 

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個人的に好きなやつ。大掃除を沢山やったらしい。壁に体が張り付くほどに頑張ったのだろう。構図がめちゃくちゃ好き。画面中央にバシッと線を引いた構図とシンプルな色使いとレゴブロックのような人の描き方がたまらない。

 

 

 

 

分かったこと

  • 構図が上手い
  • 色使いが必要最小限
  • 物体を物体として捉えられている
  • 自分と周りの人が共存しているのが分かる

 

今まで背景を真面目に描いて来なかったし、浮かばないし、描こうと思っても正確なものを描こうとして描き始めて納得せずに辞めて、人物しか描いてこなかったんだけど、これ見たら先入観突破られましたね。

何が線画だ、何が写実だ。

この頃は他人と絵を比較なんて微塵もしたことなかったじゃないか。劣等感のレの字もねえ。

 

画力で人を評価される場所って、技術➕感性だからその辺一緒くたになると、素直に感性を表現することすら恥ずかしくなってくるんですよね。絵って時間を凝縮したものだから一瞬で評価ができてしまう。成長するたびに広告だったり本だったり情報が自然に入ってきて上手い絵っていうのを自然と理解できるようにになってくる。上手い絵なんて所詮技術の集合体でしかねえのに。

 

 

 

この方、割と変わった描き方なんですけど、キャラクターのトキメキが超伝わってくるんですよね。色使いが最高なんですよ。

 

 

自分も先入観なしにまっさらな状態で絵を描けたらいいな。

 

 

 

生きている実感

『アイマイカイワイ』

 ツイッターでみかけて面白そうだったので以下の番組見たんですけど、最後のコメンテーターの感想が

「 生きてるなって思います! 」

みたいなことを言った。

そうだ、この人たちは「港区女子」なんてアホっぽい名前をつけられているけど、戦略立てて、ちゃんと考えて、生きている。そう、生きている。

 

 

  

 

 目 次

 

 

 

 死んだように生きている人ら

この世は嘘で塗り固められている。

バイトしながらいつも思うんだ。客に対する笑顔も丁寧な接客も全ては店の利益のために行なっている虚構、偽善行為なんだって。本気で純粋なのは子供だけなんだと。子供に向けて商売をしていると自分が詐欺師になった気分になってくるんだ。「楽しいよ〜面白いよ〜いかがですか〜」、嘘つくの苦手だから引き笑いになってるだろうしな。元気で一点の曇りのない質問をしてくるガキを見ていると、君の10年後は絶望しかないんだぜ、、、、って悲しい気持ちにしかならない。行き着く先は絶望しか待ってない。大半の子はそのまま学校教育のレールにのって偽りの社会に出荷されるんだ。大人になって絶望しなかったらとしてもそれは虚構の世界に気づいていないだけ、社会の歯車に回されているだけだって思うんだ。(このまま行くとプリキュアの悪役ボスになるな。倒されるのかわいそ、、、、、、)

よくこの社会はできている。みんなきっと理屈のルールに縛られて、きっと死んでるんだ。企業理念がガチガチの宗教じみた会社なんて特にそう、朝一に社訓叫ぶやつとか。死んでもやりたくない。あんなん洗脳してマジで機械人間にして、これが正しいって思わせて死んでる。じゃあ、仕事終わったらみんなどうやって人間やってるのさ。そうやって日中仕事ばっかり考える社畜が生まれるのか?

綺麗事言ってる奴ほど信頼できるものはない。

 

 

 

出会い系アプリが楽しい理由

「出会い系アプリ」は楽しい。 騙せるから。

大学生になって興味本位で使ってみたら、生身の人間とやりとりしてると思うと楽しくて仕方がなかった。傍観者ではなくプレイヤーとして、自分の発言に対してレスポンスが返ってくるのが楽しくて仕方ない。これから会うかもしれない、付き合うかもしれない、ヤリ逃げされるかもしれない、人たちと恋人ごっこみたいな探り合いをするのが超楽しかった。幸い危険な目にあったことはない。

ハマったから一回辞めて落ち着いたんだけど、定期的に手を出したくなる自分がいるんですよね。ここで感じた「楽しさ」や「興奮」って、生きてる実感だなと思った。

出会い系で危険な目に合いそうなドキドキ、リストカットした時の手の痛み、これらはメンヘラ特有の生の実感ですよ。ベースの心が死んでいる分、生命を脅かすくらいのストレスがないと生の喜びを得ることができないのかもしれないな。うわ、言ってて結構やばい。

 

 

 

梅原猛

図書館で、芸術新潮2019年4月号を読んだ。

芸術新潮 2019年 04 月号

芸術新潮 2019年 04 月号

 

梅原猛『人類哲学序説』の冒頭部分 特別掲載みたいなものがあって面白いから読んじゃった。「人間の本質とは」、というはるか昔からある永遠のテーマをこの人が再定義するみたいな内容だった。

「人は戦争する生き物だ」と定義していた。

生物は繁殖するために生きているのに殺し合うのは人間だけ。権力者の考えに従うために反発する人間を殺して、何かを成し得て文明が発展してきた。人は考える、知を欲し、情をもつから戦う。戦ってなくても守るために武力を持つ。

 

 

 

『アイマカイワイ』の港区女子、当事者の女性が言っていた「後ろめたいことをやっているってもちろん分かっているけど、私にとってこれが楽しい」って言葉とてもいいと思う。

後ろめたくないことを当たり前のようにやってる奴、後ろめたいことを後ろ指指して笑ってる奴、オメーらは法に守られた死んだ世界でぬくぬくと生きているだけだ。客観的にダメだと思っていてもなお、その行為をしている人間は自分の力で考えて、戦って、生きていると思う。

そんなひとに、わたしはなりたい。

人類哲学序説 (岩波新書)

人類哲学序説 (岩波新書)