社会はとても複雑で

1 矯正されたくない

6月、別れの挨拶をされた時と怒られた時に思ったこと。

 

仕事は複雑だし、現実は超混み合ってる。

 

 

「現実」の情報量に比べたら、「ネット」の情報量なんて所詮、

屁みたいなものですよ。どうせ平面だし。視覚と若干の聴覚が働いてるだけじゃん。

ヒキニートが社会でたら情報量に圧倒されて死んじゃいそう。

 

単純に疲れる。

 

親に殴られたことはあるけど、言葉も物理も何もかも

僕の為にはなっていなかったかな。

 

社会が僕を正しい方向に矯正していってくれる。

外側の人からメンタルを殴られることは定期的にあるけれど、

僕の為にはなっていると思う。

傷つかない様に頑張って捏ねくり回して、咀嚼しています。

この人は悪い人じゃない、悪い人じゃないって。

 

 

僕はやはり下っ端に飽きました。

良い加減、上の人間に成りたいです。

所属先を変えれば毎度のこと、下っ端スタートで。

 

謙るのも良い加減面倒くさいな。

面倒くさい系の上司は大抵、

僕が心底小馬鹿に見ていることは、わかってる、後々薄ら透けてくるし。

どうせみんな優しいのは最初と最後だけ。

 

 

なので、僕は過程を大事にしたいです。

時間軸を共に、僕に対して定期的に優しい人を人生のパーティーに加えたいです。

中間地点を常に意識して。

 

 

適当なことを言いますが、僕は賢いのでほっておいても「上の人」になります。

 

だって出来がいいから。

どれだけ超人スキル身につけてきたと思ってるのよ。

 

僕が「上の人」になった時、僕は「腐った大人」になるでしょうか。

「上の位の人」は大体、下っ端から謙遜されます。

それを回避する為には下っ端の方が安全でしょうか。

 

どちらも嫌ですね。

面倒くさい。

 

分かり易いものは楽ちん。

ネットは僕の答えが探せる。現実は答えが分かりません。

 

 

 

2 人間関係における主に「嫌い」な奴について

7月、人と関わりすぎて思ったこと。

 

僕は同世代の人と本当の意味でCommunicationを取ることが 無くて、それは高校大学時代の全体の母数として未熟なだけだったのか、自身が未熟であったから機会をもつレベルに至って無かったのかは知る由も無いのだけど、23歳、社会人1年目、僕は「真剣討論」と言うものを現実でもネットでも沢山(当社比)した。

 

混みいった人間関係を経験したことが無かった(血縁関係以外で。親戚間は完璧に冷え切っていたのが「僕の普通」なのでこれは無視)ので、社会と言うか一般的に多い人?と言うのはこんなにも他人に興味関心があり、シャットアウトする能力が無いものだ、と云うことがよくわかった。こんな感想を心から抱いてしまうのは僕が他人に関心が無い(というか自身に関心を持ちすぎている?)、ドライな人間なことを露呈してしまったことに過ぎないのだけど、俯瞰するとどうせそう云う属性になっているのだろう。

基本的に嫌いな人っていないんだけど、それは僕が「他人」に踏み込むことをしてきていなかったからということがよく分かった。諸要因としては勿論環境が優位なのだけど、「仕事」で長時間集団生活に属するということは、頑張ってもネットのように見せたい所だけ見せて、生理的なことを切り離した距離感が保てない。ここまで苦痛だとは思わなかった。

嫌いな人も勿論良い面、はある。(俯瞰した社会的なメリット、利益的に作用する性質的な)それを上手いこと回して利用価値のあるものに仕上げていくのが生きやすさに繋がると僕は信じているのだけど、嫌いな奴が、どうしても向こうから関わろうとしてくるのが心底理解できない。僕は嫌いな人間にあからさまに態度に現れるのに、、、、関わらなければ良いのに、「無視する力」が彼奴らには無い。

 

好きより、嫌いな人の方が、Communicationを沢山取っているからやっぱり嫌いなんだと思う。となると、僕が好きになった人は、これ以上踏み込んだら「嫌い」になってしまう。「嫌い」な要素を超える「好き」があるのか僕には分からない。だから身動きが取れない。

嫌いな人は多分自分のいやな部分を写す鏡のようなもので、きっと僕に足りないものであったりして、反面教師にして生きていかないといけないのだと言い聞かせている。嫌だけど。

「一般的」なものの考え方を強要してくる奴が心底嫌いで、「深さ」が見えない「浅い」奴がすごく嫌い。僕の妄想で補強させてくれない要素を持ってない奴が、つまらない。

 

 

なんか好きも嫌いも、強制的に人と関われば勝ちじゃん、という図式が成り立ってきてしまった。「人間嫌い」という厨二的な属性をぶら下げて振舞って生きているが、ほっておいても何故か近づいてくる奴については関わらざるおえない。嫌いな奴は僕が嫌っていることに気づいていない気がするけど、そういうものなのでしょうか。メリットのない人には基本的に近づかないし、どれだけ気になっても目的がなければ関わる必要性がない。感情優位な人はそれでも接点を無理矢理にでも作ってくるのかな、、、すげえ、、、

減点方式で生きているので(あまり良くないですね)嫌いが、好きになることは絶対にないけど、そいつの性質はすごく「知っている」。

ただこれだけ。そこに感情をどう置くのかは後付けであった。

ソレの総合的な人間性をすごく知っている。ので、扱い方が非常に分かってしまう。

だから嫌い。

だって、人が関わる時には肉体がいるから僕の資本もいるじゃん。

僕のステルスが分離していれば良いのにそうじゃないんだもん。絶対に感情がついてくるから嫌だ。外部に動かされたくない。もうとっくに、「好き」の感情に散々振り回されているので、それ以外に労力を割いていられない。

 

好きな人も嫌いな人も、僕の立ち位置を教えてくれる。

僕の属性がどんなものであるのかを、関わるほど教えてくれる。

それを超拒んでいるのはやはり僕自身であった。知りたくもない。

知ると面白いけど、楽しくないことの方が多いから好きじゃない。

コントロールできないことは面倒臭い。

 

恒常生物の方が好きなのよ。メンヘラの癖に。

 

 

好きな人に対する「好き」の感情が整理できないので、同時に嫌いな人とも向き合うことができていない可能性がある。

僕は「嫌い」から向き合って行った方が良いのだろうか。