『天気の子』レビュー

なんも大丈夫じゃねえええええええええええええええええええええええええ!!!

  

も く じ

  1. 総評

  2. 良い点

  3. 悪い点

 

  • 総評(ほぼネタバレ)

文句しか言えない。

 

万人受けにされた、お決まりテンプレートのような展開に嫌気が差す。ラストシーンは萎えに萎えた。

「君の名は」と似たような作品がまあよくも2回も作れたなあと関心するばかり。お前はいつまで立っても男子劣勢女子優劣の恋愛モノに囚われているんだなと。

最後の取ってつけたような感動要素はなんやねん。。。ずっと白目だった。見たくない。秒速100回見た方が良いわ。大成建設のCMかよ、、、、、、、

 

「で、何が言いたいの???」

映画館から出てきた人に1人1人、内容を理解できたかどうか聞いて見なさいな。パッと答えられる人、ほぼいないよ。たぶん、裏テーマとか細分化された内容の深みは沢山あると思う。しかし大枠として、読後感としてお前が伝えたかったものは「愛は地球を救う」みたいな普遍オブ普遍的なクソテーマでいいのか!?!?おい!!!

論文の補強的な裏付け、取材性、映像の技術力の高さ、キャラの動き・表情、申し分ない。どこから文句の言われることもない屈強なスポンサー陣。世の強みを凝縮されにされたまるで大きな企業広告のような映画。もうお前は大ヒットをして、世界に愛されてしまったから、金が集中している。世界の需要は新海のような現実リアリティ美術に傾いているのだろう。人は簡単にヴィジュアルで物を判断するから、そういう「技術」でしかものを見れないのよ。需要がそこにあるのだから仕方がない。

 

前回の映画キャラクターのサービス起用はぶっちゃけやり過ぎ。神木くんを使いたかったのだろう。というか、主人公の声も神木ボイスに引っ張られすぎて、特にラストの叫び声とか神木寄り過ぎて彼のアイデンティティが消失していた。声優さんが可哀想。クローンじゃないんだからさ、、、

 

  • 良い点

テンポが良い。流れるように展開していく様子は「君の名は」そっくり。音楽にのせた「ライブ感」は確立している。初っ端から視聴者の気持ちを盛り上げてくれる丁寧な流れは本当にどこの誰にも真似できない、新海の強みになっていると思った。今までの作品はそうでもないのに何故だろう。

 

主人公が上京してきて、初めて新宿に来て感じた事、景色、エピソードなんかは、実際に新海が東京に上京して感じた些細な出来事が沢山詰まっている。本当によく観察しているよなあと関心した。共感性の高さは本当にピカイチ。そういう変態的な観察力は本当に好き。

「食事」に関する評価の高いジブリの「観察力」はアニメーション(動き)に対する強みがある。新海の「調理」シーンはかなりの拘りを感じた。だが私は「食」よりも、「都会感」が最高だったと評価したい。空間の「空気感」が本当に本当にリアルで、新宿っていうものをよく観察していて、東京の都会感、建物の汚さや小道具感が素晴らしいと思った。

マクドナルドのイートインスペースの冷たさ、バス通いの都会っ子小学生たちの育ちの良さを感じる会話、坂道、人・物の混み合い具合、よく分からない謎の路地裏感、家賃の安いアパートの掠れたNHKシール、小綺麗な施設の色味の温度。

新宿を中心とした、人との出会い。普通の物語の展開だったら漫画的な奇跡なんだけど、新宿なら有りえなくもない。人が居過ぎて、良くも悪くも何が起こるか分からない。知らない人が多過ぎて、逆に何をしても許される気がする、とかいう気持ちも若干に湧いたり、、、

主人公のような固定された人間環境の狭い島国から抜け出して、東京に飛び出して、人の数だけ自分の身の範疇では抱えきれないほどのよく分からない目的が沢山動いていて、しかし同時に自分の目的に重なった変わりものの有志達も居たり、その混在した人々の中に潜り込んで関わっていく様子が、都会を本当によく表している。私が感じたことと全く一緒だったので。

 

音響には拘りを感じる。室内に居る時の曇った雨の音、湿気が伝わってきて、映画館の中に居ると同時に主人公たちと同様部屋に篭って居るような気持ちになった。

 

  • 悪い点

テンポの良さは、逆に感動を相当に味気のないものにしている。感動要素はあったはずなのに、私の目から涙が全くでてこないのだ。余韻に浸からせてくれる間も無く、細やかなギャグをいちいち挟んでくれるので泣けない。そして、読後感が非常にモヤっとさせてくれたから逆に怒りが湧いてくるのも可笑しな話だが、彼氏に振られた気分。

 

 

性 的 搾 取

気持ち悪い。

 

「性」を売りにしてる女の子はマジで凄いと思う。

か弱そうにしてるのは全部、売り。そういうことしている子が一番精神が男以上に屈強だったりする。ぼくは「女の子」でありたかったし、そういうことを売りに出来るちょうど良い年頃だから何回もチャレンジしたけど、どうしても性に合わなかった。性を売って仮面を被ることに違和感が生じて、自分を切り離すことが出来なかったからだ。

勘違いされて、気持ち悪いと思って避ける行為って「嫌い」とかそんな感情的な単純なものではなくて、突き詰めれば「生命の危機」を真面目に感じる。恐怖だから。男性諸君、肝に銘じろ。

この世界が男女の体力および筋力で力を虐げられる世界ではなく、論のみで戦うことのできる世界だったら私はボコボコにできる自信がある。そんなこと言ったら性別の概念も必要ないけど、、、

 

僕がヒョロガリオタクっぽい男の子を大好きなのは、「生命の危機」を感じないからなんだよ。筋肉があってたくましいから守ってくれる強い男が好き、とかそういう問題じゃなくて守ってくれるのは言うて他人な訳ですし、そこで思想の違いから衝突してしまったら殺されるのは自分だぜ?危険すぎるわ。ボディガードじゃないんだから常日頃一緒にいないし、全てにおいて自己防衛なんだよ、自己防衛。

か弱いから、可愛く見えて守りたくなる対象になるじゃないですか。ペットとか動物とか赤ちゃんとか無垢なものは無条件に愛するだろ?それは自分にとって絶対的に危害を加えないからこその動物的本能なのであって、その対象物が自分の言う通りにならなかったり危害を加えたりしたら怒るだろ?それと一緒だ。いくら男が女の子を守るだ言ったところで歯向かってきた瞬間に一瞬にして切り捨てるだろ。おめえの方が強いんだから。なんで強いこと言わないようにしてるのかって、お前のことが好きだから優しくしてるとかじゃなくて自分の生命の危機を脅かさない程度に相手のプライドを傷つけないスレスレのラインで煽ててんの(怒)勘違いするな。

 

これは今まで出会った気持ち悪い不特定多数のおじさんに向けた言葉なのであって、同世代の感受性豊かな男の子はスレてない子が大半でしょうから、積極的になるくらいが丁度良い。まあ性的コンテンツが豊富な現代で現実の女の子に興味も湧かないだろうけど。若い子は男女ともに見た目に気を使う子も多いから壊滅的に残念な人はよほどいない。逆に距離感がありすぎるくらい。おっさんは若い子に好かれたいなら、本当に見た目をどうにかしろ。一回自分の鏡をよく見て出直してこい。相手の気持ちを考えろ。

 

これを読んで、自分気をつけなきゃって少し傷ついた紳士はそもそも大丈夫です。本気でわかっていない奴はそもそも読まないから。こんな声も届かないし、自分のことをまるで客観視できない悲しい人ばっか。

不倫、浮気、ガンガンしようぜ!

は〜い、炎上もの〜〜〜^o^

 

 も く じ

  1. フリーの無敵さ

  2. 既婚者の方が良い人多くない?

  3. 感情論抜きで正論しか言いたくない

  4. そもそも何故不倫がダメになったのか

 

 

  • フリーの無敵さ

こんなひどいタイトルをつけたが、当方不倫どころかまともに男性経験は無い。なんでも好き勝手に言えるのも今の内なのかもしれない。だが、今の私の意見としてはこれが答えなのである。立派な彼氏持ち、夫持ちからしたら殴り殺される主張であるが、本気で僕は不倫や浮気をして良いと思っている。

 

  • 既婚者の方が良い人多くない?

これ、これなんですよ。良い男の方が良いじゃん。彼女持ちとか既婚者の男性の方が圧倒的に余裕があるか、大抵私が好きになる。誰かが居たら、諦めないといけない。この方程式って何なんですかね。

いやだ!諦めたく無い!!!僕は生物的に優勢な遺伝子を持つ異性と繋がりたい!これは生物的根源欲求!!!!

男の人って大体女性に優しいから、好意を示せばそれなりに相手してくれる。下手に出て、女の子から好きだって言われて嬉しく無い人いないでしょ???

時たまクソ無愛想な男いますけどね。無愛想な人本当に嫌いだし、人間として全く魅力を感じないし、愛嬌って本当に大事ですよね。ほんと、だから社会でスムーズに生きるための愛嬌すら知らないガキは嫌いなんだよ。

 

  • 感情論抜きで正論しか言いたくない

もう我慢するのが嫌いすぎて、野生的で非常に本能的で、自己中心的になっている。私の基準が全てに置いて正しい。

不倫浮気肯定派の至極真っ当な意見として、「浮気されるような魅力、及び彼を引き止めるだけの力が貴方に常に無かったのが悪い」。私はこう言うだろう。

 子供がいるから可哀想だとか、嫁の気持ちを考えろとかそういう話では無い。問題は私が快か不快か、ただそれだけの話なのである。こういう尖った事を言うとすぐに論点をズラす奴がいるが、すぐに感情論に持っていくな。

私の主張を世間一般に健全に運用して行くには、「一夫多妻制度」をもう一度戻していただくしかない。もう正直に夜這いくらいしろよ。

コンコン、今夜貴方と致したい。 

もう正直に言ってくれ、面倒臭い。お前が魅力的だからセックスしたくて堪んないんだよ!って言え。ビクビクするな。

今時の若い世代で見た目が酷い人って余程見かけないし容姿の整った人多いから、魅力的な人だと思った人を見つけただけでもラッキーだと思ってグイグイ果敢に挑んで停滞した世の中をドキドキさせてほしい。やり過ぎくらいの方が丁度良いと思うよ。

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  • そもそも何故不倫がダメになったのか

一夫一婦制は100年くらいしかない、比較的日の浅いものらしい。不特定多数と繋がっているのは不純だと言うキリスト的観点から一夫多妻制がなくなっただとかいうのもあったが、人間の生物的欲求の排除こそが尊く汚れの無い存在だとも言うのだろうか。限界が来るのも時間の問題だ。いつかボロがでるのは分かりきっている。どこかで障害が出て来る。根源欲求を押し殺した代わりに代償として、文化が生まれる。切り離された心が「文化」なのだ。禁止された抑圧からの脱却こそが「生きる力」なのであり、もっとも人間として生命力のある魅力的な人なのである。

『12歳。』と『17歳』に見る少女性

目覚めたての朝にスウィートセンセーション。

 

も く じ

  1. 17歳

  2. 12歳。

  3. 両者の興味の共通点

 

 

17歳

卒業制作でググっていた時に見つけたのだろうか。youtubeの関連動画だったかで出てきた『17歳』というフランス映画の予告を見たのを覚えている。予告はすごくゾワゾワした雰囲気で、暗くて、私の大好物だった。

たまたま、ツタヤに行った時に「17歳」を見つけてしまい、アア!!これだ!!と興奮して手にとった。2014年の映画だっととは、、、テーマは割と時期ものではなく普遍的なものであるから、今の時代にこれを作るかというのが正直な感想。

海外版「パパ活」かと思いきや、出会い系サイトでお金を稼ぐ主人公のかなりメンタルな話だった。これはあれですよ、僕は直ぐに分かりました、またしても電波がビビッと来ました、メンヘラです。というか、僕ととっても似ていた。 

過去記事に書いたことと全く同じ事を言っていて、私は爆笑していた。

「出会い系サイトで男を物色して、チャットして、出会いにこぎつけるのが、ゲームみたいで楽しくて仕方がないの」

こんな感じのことを言っていた。まあ、此奴は賢い女だ、メンヘラの真髄だ。

 

僕はただのアニヲタなので実写映画って全然知らないんですけど、最近良さが分かってきました。メジャーどころがダメだっただけです。表情豊かな海外俳優の眼だけで語る演技とか間がとても面白い。僕はそういうのをアニメに求めていたんだよ。なのでこれからフランス映画を物色します。洋画デヴューです。

17歳(R-18バージョン)(字幕版)
 

 僕の極小洋画知識で感じたのは、フランス映画とか北欧映画の雰囲気って、バットエンドが多い?のか分からないですけど非常に不満足気な終わり方が多いんでしょうか。すごく好きです。

友人にある日連れられて行った映画『ゆれる人魚』というノルウェー映画を見ましたがこの青春期の「少女性」にシンパシーを感じました。

ゆれる人魚(字幕版)

ゆれる人魚(字幕版)

 

 少女が大人の階段を登り、「女」になっていく段階が美徳とされる欧米価値観と、中学生や幼女などの純粋な潔白期間を美徳とする日本的価値観に大きな隔たりを感じる。

1番許せなかったのは予告動画ですね。映画はもっともっと繊細で美しいものだったのに、予告がキャッチーなシーンしか抜粋してなくて、下品なAVの宣伝にしかみえない。お色気シーン目当てで鑑賞したら大間違いである。

「処女からの脱却」といったテーマは日本では少女漫画でよくあると思うが、実写映画なんかで美しく昇華されているものはなかなか無いと思う。実写になるとすぐに下品になる。おっと、、、欧米コンプレックスが増してしまうな。

 

展開自体は結構サクサク進み、処女を失う→なぜか出会い系に目覚める→おっさん釣る→痛い目にあう→警察に捕まる→出生について→健全な男と恋仲→自分の本性はやはり搾取側→出会い系で釣った男の妻と会う、みたいな流れで最後の締めがイマイチ分からなかったのだがこのシーンを入れたからには絶対に意味があるはず、、、、と考えてみる。なんだかな〜最後に大ボスみたいな年配淑女がでてきて、主人公が出会うべき人だったというか完璧なママの姿とかそういう感じかな〜。母子家庭の娘の不安定さとか、まあ小出しにママが1番問題の原点な気はした。これそういうのを描きたかったのか、、、?複雑な問題が絡み合ってるのは分かるんだけど、順序に失敗すると主軸のテーマが薄くなると思うんだよな。

最高に良かった!と言えるものではなかったが変に間延びせずに展開を楽しめるので全然難しい作品ではなく見やすい。

 

 

12歳。

 内容も毛色も全く関係のない『12歳。』という少女漫画原作のアニメがある。

先ほど私が言ったように、日本的価値観でいうとこの年代くらいの「少女性」が(オタクに)もてはやされる。ネット動画のコメント欄にドン引きを超えて爆笑レベルの気持ち悪いコメントが沢山書いてあって、日本の限界を迎えた人らの様子を垣間見ることができて、それを側から見るのがとても好きなのである。

「12歳」「17歳」と年齢をタイトルにするのがやたら好きなようだが、ある種の折り返し地点という意味合いでテーマにしやすいのだろうか。

このアニメ、性的なシーンは一切無いにも関わらず、変態達が想像力を最大限に膨らませ各々の養分にしている。

 

 

両者の興味の共通点

僕は女児向けアニメばかり見てきて、今もなぜか「少女性」を売り出した作品にどうしても惹かれてしまう傾向がある。書いていていい結論が出てくる予感が全くしてこないのだが、両者から何を導きたいんだ。

 

なんかこう、、、、何も知らない子供の時は誰だって純粋な女の子だったのに、賢くなって知恵を付け出すと、どんどん厭らしい存在になって、守られる対象ではなくなる、儚さというか、、、それを「自立」とか「成長」っていうんですけど、「可愛くなくなる」んだよね。

「可愛く無い」という判断の基準が国によって文化的な差が謙虚に感じる。日本は「かわいい」が優勢なので、先ほどの論から直球で言うと、「成長すること」=悪 ってことなんです。だって「かわくいない」から。「かわいくない」人には受け入れ先が無いんです。だから、無理して可愛くなろうとしている人も沢山いると思います。有利に生きる為の強要といった所でしょうか。

「17歳」の感想文を書こうと思っていたのですけど、関連した両者を引き出したことによって、「可愛い」の善悪の話になってしまいました。それを敢えて、作品として仕上げる事によって女性は悩むであろう「葛藤」部分を共感の生みやすいように表現されているので、上手い事出来ています。

「すごい」という気持ちは何処(いずこ)

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すごい、すごい、すごい、すごい、すごい、すごい、すごい、すごい、すごい

 

目次

  1. 「すごい人ら」と対等にはなしをしている自分

  2. 「会うべき人」

  3. とんでも拍子で「憧れ」の人に会う

  4. 「憧れ」に疲れた

  5. 「告白」

  6. 「心配事」

  7. 「すごい当人達」は実際のところ

 

「すごい人ら」と対等にはなしをしている自分

みんなすごい、すごい人多すぎ。初めて入った会社は、自分が「すごい」と思う人ばかりで、具体的に何をしている人か覚えてないけど兎に角、日本のトップで「すごい」ことをしている人たちなんだなという気持ちになって、その空間に自分が居てしまっていいのか、という葛藤と同時に平等にいち社員として接してくれるみなさんに対して、へり下りすぎるのもまた失礼なのではないのか、という自分としてはどうでも良くない気持ちと、社員としては非常にどうでもいい気持ちでいっぱいになっている。ここで余所余所しくしすぎるとまた、大学の二の舞だ、、、と恐怖でいっぱいになり、ローゼンメイデン桜田ジュンの学校への畏怖とまるで変わらない気持ちで居る。

チームの一貫として、社会を形成する人間として、この大多数の人たちと仲良くしていかないといけない。ここで良い人の皮を被らなければ私の化けの皮が剥がれ社会に疎外される。私はここでどういう「人」として、どういう立場として、「何者」として振る舞うべきなのだ?。一向にして自分が分からない。「嫌だ」という気持ちが先行して目の前の事に全然集中できない。人が怖い。フロイトに影響されて更に頭のおかしい人間になった。目の前に見えている現実は本当に現実のものなのか?この顔は本当にこの人なのか?ヤバイほど自我が消えそう。メンタルの居座る場所がない。自分がおかしい人間だって分かっているから、メンタルが居座って集中してしまうと完璧に人間をシャットアウトする空気を纏うことを知っているから、落ち着いてしまってはダメなんです。そして、それをアクティブな人はボーッとしてるように見えると言うことも知っている。

 

ひとつ、私は感じた。この全くもって遜った感情は大学の時に感じた「劣 等 感」だ、、、

しかしここは学生の時の環境とは全く違う。会社は教育機関ではない、もう終わったのだ、商業資本社会だ。同じ仲間として、見てくれている。勝手に遜って、勝手に色眼鏡をつけているのは自分だって気づいている。もう学習したのだから。だが、劣等感ばかりを感じて逃げの姿勢に入っている自身の気持ちの揺らぎも察知できるようになってきた。逃げていたらいつかメスが入るであろう、緩い世界ではないだろうから。

(この言い方は好きではないが)レベルが低めの所属でトップになるか、東大に入るけど成績下位みたいなやつで、私は後者になった訳だな。所属の名前だけがでっかくて、外では粋がれるけど内では小さいやつだ。あ〜惨めだなあ。どうしたって階級社会からは逃げられない。

 

会うべき人

大学はまるで人と関わって居なかったし、(いや、バイトやサークルで全く関わっていないことはないが)、面接とか次のコミュニティ探しの努力期間を経て、自分を晒け出して、本物の自分に合致した人に会い、やっと会うべき人達に出逢うことができたという表現でいいのだろうか。己が信じた道に進んで、本当に良かったと思う。そして、これからこの人らと一緒に私の経験を用いて、道を作っていくのだ。

 

とんでも拍子で憧れの人に会う

今年は正直「憧れ」に会いすぎた。憧れの人、憧れの町、これからも「憧れ」に会ってしまいそうなのだけど、良い意味で現実を知るたびに私自身の強烈な「憧れ」という気持ちは一体どこから来て、何処へ流れて行くのだろうか、という気分になる。地に足が付かずして、常に不安定であり、心が宙に浮いており、今の気持ちを表そうとするとどうにもポエミー染みた文体になっている。取り敢えず今は自分の信じるままに、今までの私の記憶・経験・知識を信じて、成るように、なる。私の頭脳だけはいつも味方だから。頭脳だけは絶対に裏切らない。私の中から飛んで行った「憧れた」先にいる人々に実際に出会い、現実を知り、自分から無くなったものを取り戻すための旅に出る、といったイメージに近い。嗚呼、ポエミー。具体的に話せないのか、話したくないだけなのか分からないけど、概念で話した方が楽しい。只それだけだ、、、。

 

「憧れ」に疲れた

何かに憧れることに疲れた。今はただ単と仏のような気持ちなのである。在るが儘を受け入れ、もう余分なものは欲しないし、手を出さない。もうこれ以上フィルターに洗脳されないように、振り回されないように、自分を律して、この目で判断し、気高く生きたい。

 

「告白」

今年はなんだか、沢山告白をしている気がする。就活とか、就活とか、憧れの人とかに対して本気というか、もう包み隠さずに直球でエネルギーを抑えずに言わなくてもいいかな、と悩むレベルなら全て相手に伝えてしまう勢いで生きてきた。

自分の特性は人間関係の希薄さからだんだんと学習してきたので、まあ言える事は言える時にガツンと言ってしまおうといった次第でプレゼンや紙媒体のような一方的な機会があれば全部ブチまけてしまうただのコミュ障である。それを言った上で食いついてくれた人に対しては、私も全力投球でお返ししたい。この「根暗さ」というものは人対人といった会話コミュニケーションを介していないからこそ、文体として、作品に昇華されているからこそ、面白いものに仕上がっていると思うが、コミュニケーションにこんな暗い話を持ち込まれたらひたすら反応に困るであろう。当たり前だが。じゃあ、暗い話は一体どこで話すんだよバカ。やっぱり此処しかないじゃないか。理解できない人は僕と悩みのベクトルが違う。

同世代は真剣に聞いてくれる人は割と真剣に聞いてくれる事が分かってきた。しかし、更に上をいく人は、この「根暗さ」を純粋に聞いて笑ってくれる。「暗さ」を笑い飛ばす、これが出来る人というのはどういう人なのだろう。まだ此処まで到達していない僕はそのような人達を計る事ができない。僕は常に余裕がないので(若年層に心の余裕のない人はあまりいないと思うが(社会的昇進の意味で))、余裕のある人がとても好きです。余裕のある人は王たる器をとことん感じるし、進んで話しかけて水のように癒着していきます。この意識の尖った残念な僕を、ママンのように、パピーのように、笑っちゃってくれる人と一緒にいる時が最高に心地が良い。1番救われるというか、(プライドが折れるとか軟弱になるとかそういう事はないと思うけど)僕自身が最も健全に野比のび太になれる。

僕は良い加減救われたい。いや実質、少しずつ救われてきた。辛い期間を経て、そこそこ屈強な人間にもなれたはず。辛い時の対処方法、逃げ道、回復方法はある程度学習したし。苦手そうな人はとことん距離を置くし一切関わらない。私は自身の観察眼を信じている。ダメな人は最初から分かるし、良い人も最初から分かるから裏切られた事もない。余分な事は考えたくない、もう面倒くさい、駆け引き面倒臭い、そもそも得意じゃねえ、そんな事にリソースを割きたく無い。在るが儘に生きるぞ。

 

 

「心配事」

「すごい人」とばかり関わっていると、自分の地位がなんだか上がったような気がしてしまう。いや、というか私は極悪人なので、すごい人の苦手なことを会話をしながら探って、自分を少し安心させている節がある。私はこれからきっと自身の経験談を必要とされて誰かに何かを話す時に、この人はああだ、あの人はああだ、と知ったような口を聞いて自分の人脈自慢をするような人として中身のない、比較的疎まれる人になってしまいそうで怖い。まあ自身のネガティブ要素が消えることは一生ないので、完璧傲慢野郎になることは絶対ないが。しかしながらも、私のクリエイティブは現時点で文字を記入することでありそれまたエッセイであるので、あまり創意工夫をしていないのだ。これで私の「自分磨き」なるものの補強が一体されているのかというのが問題である。

この駄文がインターネットに残って、今後一体何に活用されようというのか。私が「すごい人」になった時のための20代最初の記録書にでもなっていつかの参考資料に成り得るのだろうか。

 

 

「すごい当人達」は実際のところ

みんな伊達に自分らの成し遂げている「すごさ」に気づいていないんじゃないか。

どれだけすごいことをしている、と消費者視点で夢見がちに思っていても当事者達はいち社会人であり、意識としては、普通のサラリーマンと同じように「責任」を持って皆さん働いている。毎日がキラキラしたような日々ではないし、普通に淡々と日は過ぎていくし、み〜んな普通に人間なんす、、、、、。

 

上には上がいる、という悩みはどこに行ったって付きまとうし、何だかそこで悩んでいたら一生かかって微妙なネガティヴ抱えて生きるだけなので、やはり考えるのが大層無駄に思えてきた、、、。ので、私は今ある環境をただ大事に目の前の人らと仲良くすることに決めた。と綺麗事を言うパリピ人間が使うセリフを使う。

 

三角ピラミッドはどこまでもネガティヴ要素の塊ですな。競い合って苦しむことを本当に辞めたい。苦しんで産んだものって、少数を犠牲にして、後の世に生きる大多数を救うものなのでしょうか。後の世に生きる顔も知らねえ大多数の他人の為に自身を犠牲にすることこそが「善」とされるのでしょうか。嫌です。動物のように、虫のように、ただピュシスのままに生きたい。

◼️1年前の今日を思い起こす

  1. 資本に適合しないで欲しい

  2. あれから「成長」したのか

  3. 認められたい「凡人」

  4. inner child

 

1 資本に適合しないで欲しい

あなたがインターネット世界でみるみる成長している内に、現実に生きるしかない私は何が変わったというのか。自分は何も変わっていない(様に見える)といった認知は自己のメンタリティは常に不安定であり過去から現在までの自己経過を先から先まで見てきたからこその判断であるが、部分的な努力だけを知っている人から見えたら1年前と比べると結構成長しているのかもしれない。認知バイアス

私が見ているあなたもまた、あなたのたかだか一部であり知らない部分をまた、妄想で補っているという時分だ。あなたは頭が良いから、自分の売り方や強みをよく分かっている。たまたま性格特性上、一点直下型な出力技法が多くの人にとって認知しやすいものであったから、という理由もあるだろうが、私はただあなたが資本主義にどんどん適合して行っているのが怖い。時代に求められる方向に進もうとしているのは分かる。その方が売れるから。技術という社会レールに乗っ取っていない個人の感性的アートは商業をする上で重要視なんてされない。技術があって初めての認知だから。

そんなあなたを如何にも心配しているかの様に、売れる作品を作るようになったらクリエイターとして終わるという迷信を当てはめているようだが、私の表面的な答えとしてはそうである。だが、私はそんな人の心配を心からできる善人ではない。というか人間が善人ではない。私は人の行う「善行」を日常生活全てに置いて信用していない。1周回った「利益」の獲得の為の善行である。まあ、本人がどれだけ狙ってしているのかはいざ知れず、それを無意識的に行なっていたとしても、私がこうやって批判的な論調で「善行」を行う「善人」を非難しているのは自身の人間の器の小ささの露呈と思われても致し方ない。

言ってしまえばただの「嫉妬」。私に出来ないことをあなたが成し遂げているから、羨ましくて仕方がない。そして、私はそれを立派な論調じみた正論らしきものを掲げ、あなたの成長をただただ引き摺り下ろしたい。幸せにならないで欲しい。私は現実の貴方を知ってしまったから、私の知らない世界、界隈で水を得た魚のように生き生きとしているのが嫌だ。独り占めにして、枯れた干物ギリギリにまでにしたい。これは流石に言い過ぎだけど。性悪説だよ、どうせ本能なんだから。

 

2 あれから「成長」したのか

では、私の一体どこが成長しているのか。私は物事をすぐに取り入れるのが上手い方ではないが、1度取り込んだら、一生レベルで消えないタチなので何かが変わっていると信じよう。まあ、このブログの初期と比べると身の詰まった文章を書けるようになったと思う。しかし、メンタルレベルでの喜怒哀楽は常に現在、「今」に重点を置くことばかりであろう。どれだけ時間軸が変わろうと、今が常である。思いを過去に馳せることがあっても。その時点で、気分のムラによって自己評価を下そうとした所で、正常な判断がどうも出来ていないと思う。

「親が私を認めない」、「社会が私を認めない」、この二重苦は私の「認められたい」承認欲求をますます加速させるものであるが、幼少期のベースがすでに資本主義体制に整っていることから、頂点にでも君臨しない限り永遠に不幸せであることは決まっているので、下手に不満足で凡人に成り下がるよりかは、どんな手を使ってでも他人に強烈に残る様な「体験」を脳裏に焼き付けてやり、私、という人間を「認めて」もらわないといけない。これは今書いてみて思ったのだが、犯罪者の発想である。やっぱりこういう所なのだろう。それを冷静に判断出来たかどうかの違いくらいだ。

 

3 認められたい「凡人」

これは、「呪われた」ことを自覚して健全に自己を回して、運営していくしかない。犯罪者にはなりたくない。そこまでして、捨てるものはない。心配してくれる人は辛うじて周りにいるから、迷惑はかけない。如何にもヤバそうな人を演出しているが、私は極めて「凡人」であり「一般人」である無知の知と同じニュアンスで捉えてくれればいいが、わざわざコレを言っている、ということは自分をそういった人間として「演出」したい、という作者の心理状態を常に忘れてはいけない。その裏側まで読めないバカがまんまと情報社会に淘汰されていくのである。そして、バカではいけないとも言っていない。私もただの凡人だ。

 

4 inner child 

インナーチャイルド

常に脳裏を駆け巡るワード。私はこれを心に宿した人を微妙なニュアンスまで測るのが得意になってしまったような気がする。そういった人と  は全力でぶつかりに行くのだ。だいたい私の判断は合っている。中身の薄い社会性だけ身につけた人になっていはいけない。つまらない人間になってはいけない。時間をかけて私を知って欲しい。君たちを知りたい。そこから純に順に派生した性欲なら許す。理解できる。それ以外の性は不純だ。社会性の身についた大人の作った「性」だ。それは相手をモノとしか見ていない。何にも分かっていない。私も分かっていない。だから、せめてそこまで到達してくれ。

 

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既卒無職終了 〜地方から東京に出向いて身についた事アレコレ〜

即落ち2コマのような展開です。

第一志望になんと受かりました。

 

 

このブログ、無職からの奪還劇を売りにしていたのに、4ヶ月でネタが回収されてしまった。ほぼ1クールアニメじゃねえか!!!!!!!!僕が既卒になってブログを始めた時の心意気というか、当初の予定としては早くても1年、2年くらいの長期スパンで人生逆転起死回生劇をつらつらと書き殴って、お涙頂戴、友情・努力・勝利!!なシナリオで進む予定だったのに、1年経たずと終わっちまったよ!!!浪人生よりも短いわ!!!

いや!まあ!良い事なんですけど!?そりゃ!数ヶ月足りとも興味のない仕事したくないって自分で言ってたし、書類落ちると毎回絶望するし、進路が決まらないバイトのない空白の休日の方が余程かストレスで禿げるオーバーヒートだったけどね。人生のシナリオ的につまらないってだけだ。簡単に報われすぎた気がしてしまうんだよ。もっともっと苦労した先に叶えるべきものであると思っていたから。難易度は職種にもよるかもしれないが、、、。

 

頑張って適合しましたよ。会社っていう資本に、適性の職種に。合致したんだかしてないんだか、現実の自分をただ只管見つめることしかできない。それが凄いことなのか、大した事がないことなのか、もう分からないのだけど、ただ自分の努力した「つもり」になっている過程から徐々に「当たり前」っつーか、ニュートラルな状態にまできているから、結構淡々としてるんだよなあ。たぶんこれがモチベーションとしてはベストなんだと思います。

最終面接まできていた時点で既にヒャーヒャーヒイヒイなっていたが、落ちるとまた人に落ちた連絡をする事がもう嫌だし、慰めてもらう事しかできなくてひたすら微妙になってしまうので、もう何も言わねえ、期待しねえ、1人で始末をつける、とこうやって気持ちを文章化するとまるで武士のような戦い方をしていたのだが、人に語らずしてある日唐突に内定通知が来た。

 

きつい事が最初から分かっている業界に足を突っ込む事、そして、田舎から誰もが憧れる東京に上京する事、内定報告から必然的にくっついてくる、あからさまに頑張っている方向に向かっている「感」「人」。私自身のメンタルはいつだって真下に行ったり頂点になったり結構情緒不安定なのだが、1人でいる時は特に立ち位置が不明になっている。生活習慣や見る物、読む物、知識を入れるべき所は2年前からかなり変わっているはずなんだけど、僕の今まで過ごしたごく一般的な「普通の人」の人生の価値観は「経験」してしまったから崩せない。久しぶりに親戚などと話しをすると、自分は変わったのかな、と会話をしながら思う時がある。会話のテンポとか語彙の引き出しとか出てくる言葉が昔と違う気がする。大学であらゆる生活場面で今までの価値観を否定されて(されたように勝手に感じた)、自分自身がそちら側に価値観を合わせるように、自分の「今まで」を全部消して(滲み出て消しきれてないだろうが)そういうもんなんだって、苦しいのが当たり前なんだって、騙してきた。おかしいものにおかしいと断言できるだけの力が私にはなかった。家族および親戚一同は何も変わっていないのに、私ばかりが勝手に変わっていて、めちゃくちゃ解離しているようで、私は一体どこに向かって何者になろうとしているのだ、と悟り戻ったのだ。相手からいつも言われる言葉は、よく分からないけど頑張れよ、といった具合。この人達は私の実質的な社会的成功を納める上での「力」にはならないし、僕ばかりが勝手に頑張って、辛い気持ちになって、私は一体何と戦っているのだ?社会に相手にされなかったら、僕は一体どこで誰と戦っているんだ?その、「戦」を僕自身がしていることを再確認・理解するためのものが就活、面接だったり。本物の戦は社会で動くようになってからなんですけどね。楽に引き上げてくれるような神様の様な都合の良い味方なんていないし、戦いたくなかったら別に「戦わない」という選択肢だって勿論あるのだけど、私は「戦っていない奴」が嫌いなのだ。能天気で賢くない奴と一緒にいたくない。一切の能天気さを取り払って、常に真剣な人と関わりたい。僕の今の理想像は「馬鹿に見えるけど常に楽しそうな賢い狂人」。「楽しいキチガイ」これ、これが1番かっこいい。何故かというと表層に現れていないから。「想像力」が無いとその人の行動原理と内側まで知ることが出来ない、「読める」人間であるから。「読む」面白さの無い人間に何の価値もない。そして、僕の価値を表層から一発で読み取れない人間も価値がない。

1番ムカつくのは同じ経験をしていない人間に知った様な口を聞かれる事。しかし、私が向いてきた方向と同じ場所を向いている人らに共感して貰えた時はこの上ない「仲間意識」を感じる。私はいよいよ、狭い狭い所に入ったのだなと思うのだ。誰も経験しない領域にどんどん入って行く代わりにどんどん孤独になって、狭い空間でしか生きることが出来なくなる。別に行かなくてもいいのにさ。けど、やっぱり気になるから死ぬ前に1回足を踏み入れたいのだよな。

 

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就活を経て身についたことがある。

  1. 履歴書の書き方マスター
  2. 高速バスマスター
  3. 東京銭湯マスター

結構人に教える事ができる自信がある。これについて、語ろう。

 

  • 履歴書の書き方マスター

1・1年前、初期

初期の自分が書いていた書類の文章をもう覚えてはいない。壊滅的な文章ではなかったと思うが、就職支援の人には自動詞と他動詞の使い方が混合していると言われた。今だってめちゃくちゃなことを書いているだろうが、1年前と思えば文章能力は恐ろしいほどに上がっていると思う。日常生活でさえ、文字が浮かんで仕方がないからだ。こうやって書け、と言われて散々添削された文章を何度も何度も書き直して完璧な、優等生の、テンプレート的な、何の尖りもない、毒のない、丸みのある、物語性のある、起承転結をつけた文章に直されてきた。びっしり、黒い文字に覆われた四角を人事は逐一丁寧に読みさえするのであろうか。もし仮に100くらいの書類が送られてきて、その中から選別する作業だとしたら、私だったら、面倒臭いから絶対丁寧に読む気にならん。が、それでも否応がなしに私はそう鍛えられてしまったので、何かと書く文章量は必然的に多くなってしまう。

2・読ませる文章

文量が多い事のデメリットは中身の薄い小学生の作文の様な熟語を無駄に書いて量を膨らませたものが読む気のないものにさせているだけであって、着地点がしっかりと定まった物語の順序が具体例を伴って記されていれば倫理能力の確固たる証明になるのである。しかし、世の中には文章を書くのが苦手な人も沢山いる。文章の下手な人、というのは私は評論家でも先生でもないので一概に指し示してはいけないと思うが、読む気のさせない文章は一般投稿の新聞コラム4行くらいで大体わかる。あ、頭の良くない人の文章だ。と、すぐに読み飛ばす。たぶん、採用人事の判定基準だってそんなものだろうよ。

けど1番大事なことって、どれだけ優等生的回答を上手い事を並べた所で、読み手の心に訴えかけるものじゃないと何にも意味ないんですよね。採用担当者は、企業様異世界宇宙人じゃないんです。やっぱり求職者と同じ人間なんです。こう書かないと落ちる!こうやってこうしてこうして書けってキモいテンプレ腐るほどありますけど、な〜にメディアにコロコロ踊らされてるんですか。たいした仕事もした事のない学生風情が一丁前に横文字や業界用語を語れるのは文章で限界だわ。そんな恥ずかしい言葉を面接で口語にすると思うと聞いている方も居た堪れない。言うもむず痒くなって言えた試しがないわ。にも関わらず、その恥ずかしさも分からずに平然と言っちゃう子は5年後に黒歴史にして馬鹿にしてやりたい。ア〜恥ずかし〜〜〜。知ったかぶりほど恥ずかしいことはないっすわ〜。

3・人心掌握を知れ

 で、訴えかけるもの、強いては印象に残る文章、というのは、超個人的エピソード。これに限る。逆にこれがなかったらすべて無なのでは?やっぱり当たり障りのない事書いたってダメ、適当に数打つとか、あんまり入りたくないけど取り敢えず送るとか時間の無駄だから止めろ。単純に給料とか休日の量で考えていて、本当に拘りが無いなら良いんですけど、入りたい会社あるけど関連した業種受けておくなんて事をしても、やはり自分の気分が1番に乗らないし、どうせ面接で伝わるし、自分が面接官の立場になったとしても、よほど人手不足で無い限りそんな人に入って欲しく無いだろ???入りたい所は努力して自分のレベルを上げるしかない、僕から言えることは以上です。

御社と僕の「繋がり」、共通点を愛を込めて赤裸々に語ってしまった方が良いです。告白というものは真っ正面から恥ずかしいセリフを堂々と言ってしまった方が、相手の心に刺さります。書類から相手を口説いてください。口説くことも出来ない人は恋愛及び、コミュニケーション能力がないです。これが出来ないということは、相手の気持ちになって物を考えることが出来ない、という証明になります。人心掌握です。そういった意味では、消費者つまり自分が仕事によって生み出した「価値」を消費して金銭を払ってくれる人の気持ちが分からない=「価値」を提供することが出来ない人間、ということなので資本で成り立つ仕事上、使えない人間ということで淘汰されますね。

最近、若者が恋愛をしなくなった、と言いますがこれは非常にヤバいです。特に私の大学ではジェンダーの薄い人が多く、心理学の授業アンケートなんかでも、異性に恋愛感情を抱いたことが無い、という人が他大学と比べ多いということを言っていました。趣味、教養という意味で個人能力を延ばすには文句は滅相ございませんけど、金を稼いで生きていく人間という以上、人の気持ちが分からないということは致命的欠陥です。その様な人が、技術屋になっていくのでしょうか。

 

 

  • 高速バスマスター

高速バスに乗ったことがなかったので就活以前は未知の領域であったが、数々の面接を繰り返し僕の使うバスは徐々に固定化されていった。新幹線で行くのとバスじゃまるで違いますからね。親がお金を払ってでもくれない限り学生は基本的にバスでしょう。新幹線8900円とバス1900〜4800円ですから。月に2、3回も面接をしていたら数万無くなります。

まず、名古屋から行く場合、バスの種類が郊外と比べて沢山あります。1番メジャーなのはJR東海バスさん(https://www.kousokubus.net/BusRsv/ja/)ですが、名古屋からの直行便などもあるため、停留所が高速ICから乗るバスよりも1時間に数本走っています。その代わり利便性が高いため、人が多いです。平日でもお隣さんと5時間を共にすることはザラにあります。JR東海さんの1番のメリットと言えば、

  • 学割率が半端ねえ所。他社は元値が安いので学割は見かけませんが、JRさんは1000円以上安くなります。
  • ネット割で更に100〜200円ほど安くなります。学生さんで窓口に行ってアナログ的に席を注文する人は余りいないと思うので、ネット予約でしょう。
  • 無名バス会社より席も広くて綺麗
  • 名古屋、金沢、京都、大阪、東京駅共に専用ターミナルがあるので電光掲示板や地図を見れば絶対に分かる。駅前にある。
  • 昼行便が1時間に1本はある

JR以外のバスを使って1番やべえと思ったのは、東京駅の集合場所です。JRさん以外の格安バスはクソ狭い所に収容されてしまうので、人がひしめき合っていて大手の土地の豊かさを思い知りました。アレはさすがにお年寄りなんかが迷っていたら蹴り飛ばされてしまいそうなので、出来るだけ避けたい。バスタ新宿や池袋など東京駅を外した停留所の方が絶対に分かりやすいです。東京は電車の運賃が2、3駅なら162円で移動できるのでどこからでも乗降可能なら池袋にしておけ。

 

数社利用しましたが逐一解説をしていたら長くなるので、オススメだけ書きましょう。※愛知限定

1 できるだけ日帰りで帰れ

面接・合説が午後からなら朝一の高速バスに乗り、昼行最終18:00代まであるから日帰りが絶対楽JRでキメろ。

2 朝面接の場合

新幹線で行け。夜行は絶対にやめろ。まともに寝られる訳が無いので、悠々自適に新幹線で面接の文言をブツブツ言いましょう。帰りは勿論JR昼行バス。

3 次の日朝早く行動したい場合

夜行バスに乗らざるおえないですが、名駅からの格安バスは若者多しで、夜中騒ぐパリピとかヤベー人が居たことは経験上ないので、比較的民度はあると思います。その他バス(さくら観光https://www.489.fm/ WILLERhttps://travel.willer.co.jp/)は女性専用席が選びやすいというか売りにしている会社が多い気もするので、その辺りJRさんよりは安心かと。豊橋発の場合はほの国号(https://secure.j-bus.co.jp/hon/Route/aichi_tokyo)一択。名古屋まで行っていたら交通費の方が高くなるので、ほの国号さんは大変ありがたいですが、夜行しか無いのが悔しいかな。

4 夜行バス朝の過ごし方

そして、1番問題なのが朝5時なんかについて何するのよって困るんですけど、新宿近辺の早朝のチェーン店で時間を潰すのは辞めた方がいい。夜行バス明けの死んだ顔した大人がひしめき合ってて、化粧するにもトイレはクソ混んでるし、とても眠たくなるからです。とてもじゃないけど落ち着いて入られません。面接当日だったら最悪。新宿だと「ワンカラ」という1人カラオケ専門店があって早朝営業12:00まで1200円、完全個室、静か!!!!!!(重要)静か!!!!!!(重要)なので、安心して爆睡も化粧も出来ます。もしくは、目的地が都内から外れていたら、駅前から少し外れた落ち着いていそうなイートインスペースの広いコンビニを狙って下さい中野駅の早稲田の隣のファミマは広くてカウンター席もあり、空いていて最高でした。

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  • 東京銭湯マスター

東京からの夜行バス待ち、となると大体24時まで待たないといけません。カラオケ、漫喫、遅くまでやっているカフェ、など早朝よりは選択肢があると思われるが僕のオススメは「銭湯」です。理由は

  • 東京は銭湯文化が充実しているので、郊外でも都内でも銭湯が沢山。六本木だってある。
  • 24時以降も営業している所が大半
  • 面接でストレスマッハな状態からの開放感と安心感
  • 休憩スペースで待てる
  • 500円以内で数時間居座ることが許される環境
  • 化粧落とせる、歯磨ける

漫喫の数時間パックがバカらしくなってきますね。初めての東京って、みんな冷たい感じがして気分的に怖いじゃないですか。けど、どんなに都会でもオシャレに着飾った若者でも銭湯に入ればみんな同じホモ・サピエンスなんだってことが分かるんですね。巣鴨駅の地下の銭湯http://www.toshima1010.org/sentozyoho/378.htmlはおばあちゃん多くて居心地が抜群。表参道駅の銭湯http://shimizuyu.jp/はバリバリ街中にあるので驚きましたが凝った湯もあって手頃で良い。年齢層が低くて、ピーク時はかなり混む予感がするので原宿で遊んだ人向けかな?

裸になると全ての緊張感から解放されて、家のような温かみを感じるんですよ。どれだけ文明が発展していようと、東京人もみんな僕と同じ人間だ〜^^って。どうせ遠出する時くらいしか銭湯なんて入る機会ないだろうし、折角なら銭湯に行きましょう!