定期的に吐かないと無性に苦しくなってくる。ネットのゴミ。

この文章だって、見せようとしなければ非公開にすればいいだけの話だし、PCのメモ書きに残しておけばいいだけなんだけどあえて公開してるっていうのは『何者』の拓人君のように誰かがこの文章を見て、このクソみたいにしみったれた文章について共感してくれるんじゃないかって薄々期待しながら自分の弱小プライドを敢えて強めの熟語に乗せてプライドを誇示してるんだよな、君も。ああ、わかるよ。君とぼくは一緒だ。一緒にするなと怒られそうだけど。

 相手にされていないと感じる時の個人尊重の維持

ぼくを知らない人から見たら、よくあるネットのよくある誰かの書いた個人ブログに過ぎないのだけど、この文章情報は誰かが何かを調べた先に見つけた記事なのかもしれないし、間違えてクリックして飛んだものかもしれないし、タイトル記事が微妙に惹かれるものだったから見て見たけど内容がどうでもよかったからすぐに消え去っただけかもしれないし、どうでも良いけどたまたまアクセスしちゃったら読んでみたけど肌感が違った、それだけで無駄な時間を過ごしてしまったよね。そんなことしている暇があったらさっさと現実充実させて自己実現しろやって話。まあそれが出来ないからネト充なんですが。

フリーターとしてそこそこ働いて実家暮らしをする道もなかなかありな気もしたが、このままぬるま湯に使ったままでいいのか。もう色々なギラついた世界を体感してしまった僕はなんだか苦しくて悔しくて堪らないんだ。なんで相手になされないんだろうって。入学したばかりの時、美人を目の前にした時、飲み会の時、高島屋の商品を見ている時、面接官の前、どれだけ謙っても私を個人の尊厳一切無視したかのように人として見られていない時、従業員、求職者、買わなそうな客、つまらなそうな人間、ブス、としてカテゴライズしてモノとして判断されている時、私もまた生産活動をする大多数の人間の一部に過ぎないのだな、と自分の小ささを知る。海外の括りから見たら私は数億人のイエローモンキーの一部の日本人の括り。ここに個人としての「色」を見せるとしたら私はやはり作家として色濃いものを表現していかないと個人の尊厳が全く無くなる。それはいてもいなくてもどっちでもよいということであり、やはり子を産んで人間としての文化発展を維持するための国家の奴隷を継続的に生産するための装置でしかないということ。それに私は成りたくない。そんなことに一々突っかかることなく生きていけたら幸せだったのだけれど、僕は如何せん突っかかってしまった。なぜだろう。信じ切った先の見えないレールから外れてしまったからか。たぶんそうだな。これがストレートにさらに先を行き、40代50代頃になってリストラされて職のない生活を急に押入られてしまったら、自殺する自信が絶対にある。芸もなければ、新しい知識を吸収する脳みそもない、若さを売りに体を売ることもできない、なら、死ぬしかないだろ。20代で一回ここまで絶望してしまえば、中年で絶望した人よりはまだ未来がありそうな気もしたが、それは後々になって大器晩成さを若干にして約束されたような、いわば長年生きなければいけないという保証のない強要。生きるのは私の勝手だし、死ぬのも私の勝手。「親より先に死んではいけない」というのは宗教的な縛りがあった状態の思想の強制力が働いている場合でのみ長寿の強制が働くのだ。残念ながら自由宗教国家日本で生まれ、さらに無宗教な家庭に生まれた僕は何もかもが自由でありすべての選択はぼく個人に委ねられてしまっている。僕を強制するものは他人に物理的であったり環境的な妨害を与えられた場合のみに働く。たまたま爆発して死んだ、たまたま車に轢かれて死んだ、たまたま無差別殺人事件に巻き込まれた、それくらいしか僕個人としての生命活動を終える要因はない。

自由意志尊重主義の必要性

職業柄、年配のおばさんと話すことが多いのだけど、「昔は身分とかが強くてどうにも抗えないものとかあったでしょ。女は結婚しろ、嫁げ、家事をしろって強制されてばかりで辛かったのよ、今の子は自由で最高。本当に素晴らしい時代よ」っていうけれど、実際に自由選択ばかりに身を置かれてみてもな、困るんだよ。ぼくは反論したさ、「けど今の時代って逆に自由すぎて困るんですよ、結婚してもいいししなくてもいい、働き続けてもいいしどっちでもいいじゃないですか」今の子は自由自由て、そんなのクソほど聞き飽きたわ!!!実際にこの時代に赤ん坊から投げられて見ろよ。所詮無い物ねだりなんだよ!!!!人間ある程度の強制力が働かないと生きづらいんだぜ。勝手に人生に目的意識を見つけて突っ走れる人間は生きやすくて堪らない時代だけどな、それが大半じゃねえ。だから、どのみちそういう人はいつの時代にも分かれるから両方を幸せにすることなんて出来ないんだって。だから無理なの。両者の意見を取り入れるのは無駄なんだって。クレームの意見を取り入れるのも会社の人間の意見も無駄、正しい意見なんて何ひとつないの。上に立つ者、今でいう社長とかの意見がそっちを向いたらそっちに従うのみ。それに付いていけない、合わない消費者はほっとけばいいの。ああ、もう全てが滑稽。ぜんぶ辞めちまえ。生きるな。生物学者が虫や植物をこよなく愛する理由がよく分かってきたような気がするよ。人間がやってることは全てにおいて無駄だから死んだ方がいい。みんな植物になった方が絶対的に幸せ。みんな早く葉緑体になろう。