いつまでも子供ではないが大人でもない。属したいコミュニティは何処か。

 どれだけ年をとっても常に迷っているし、いつも決断は苦しいものだ。

 

 

 

 

 

 目 次

  1. 専門学校

  2. あの時の進路選択

  3. 結局大学はどうだったのか

  4. なぜその時に「迷い」なぜその「決断」をしたのか

 

 

 

今日、専門学校のオープンキャンパスに行った。ゲストに希望業界の講話があったからだ。その専門学校に入る気はさらさらないが、大学を卒業し就活真っ最中の私は少しでも情報を聞き出す事と質問をして顔を覚えてもらおうという気合を入れて申し込んだのである。業界の大人と話す時はいつも思ってるんだ。「いつか、数十年後、あなたと一緒に働くことになるか、取引先か、ライバル企業になってるぜ。」まだ業界に入ってもいないのに根拠のない自信はある。 人に説明する際、既に"うちの業界"って言うほどだから。後に引けないし、引かない。今のところ。

 

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専門学校のこの縦長移動の佇まい、懐かしいな。午前中に味気のない蛍光灯とプロジェクターのある薄暗い部屋で学校説明を受ける流れ、私以外ほぼ高校生の子らの元気のない挨拶、受け身がちな姿勢、ださい私服。そういえば今から5年ほど前も私はこのような場所に色々足を運び、進路選択に悩んでいた。私は一体何になるのだろう。製菓学校に行ってパティシエになるのかな、ファッション学校でデザイナーになるのかな、歯科衛生士になるのかな、医療事務のお姉さんになるのかな、パソコンに強い所に行ってゲーム会社を目指すのかな、短大行こうかな。

いや〜夢だけは無限に膨らんだね。専門学校様にオープンキャンパスという甘い、大変あま〜〜〜い汁を吸わせてもらったよ。学校はやっぱ ”学校” って感じ!!!守られている、うん。教育機関を卒業すると見える景色がある。就活しながらよく分かったよ。けども今回のテーマ、「迷い」と「決断」に就活ネタを書いてしまうときっと飽和状態で無個性になりそうなのでメインテーマにはしない。

 

高校3年生の進路選択で、あの時、別の学校を選んでその道に歩んでいたとしたら、今の私はまるで形作られていないだろうし、今の悩みとはまた全く違った方向を向いた人間になっていたのかもしれない。迷いと選択は人類永久テーマ。高校3年生のあの時に戻った気分になり、数ヶ月前まで過ごしていた大学生活4年間をまるっと一度タイムリープさせる。ちょっと箱から抜いてみる。

大学選びに失敗した、というのは同級生含めうちの大学の人は結構言っている。少なくとも自信をもってここは最高だぜ!オススメ!と言っている奴はいない。劣等感を抱いている人が多い。県立落ちの所詮妥協Fラン、的な。

だが私は結果的に、今の大学を卒業してよかったと思っている。終わりが全てよかったから。

通っている時はそれほど楽しくなかったけど。(留年しかけた時以外は)大学を途中で辞めようとも思わなかったし、他の大学に転学してやろうとするほどの熱もなかった。「大学」が何たるものか私は本気で分かっていなかったから(高校の進路選択の時、大学の欄に専門学校の名前を書いてたくらい)、兎に角1年、2年と何を目指して何の為に勉強しているのか分からなかったのよ。先生の面白さの価値観がまるで分からなかったり、意味不明な世界を知った。で、就活をはじめてから自分に足りない所がごまんと見えたり、大学でやったことが如何に社会に通用しないか打ちのめされたわけ。

しかし失敗して、迷走して、自分を見失って、迷って迷って、当たってみて、頼ってみて、ゼロから人脈作って、散々遠回りをして、ここを卒業しなかったら、振り返りシリーズの人(以下)は出会ってないし、こんな劣等感にまみれたブログの内容だって無い。順調に進んでいたらそもそも書こうと思わないよね。失敗したと思うからどうすれば軌道修正できるか考えるし、成功したら考えない。

 2019年に出会った沢山の人を振り返る【 part1 】乙女成分強め - Go aopink’s blog

2019年に出会った沢山の人を振り返る【 part2 】卒制と就活 - Go aopink’s blog

2019年に出会った沢山の人を振り返る【 part3 】自己実現さがし - Go aopink’s blog

 

 

「出会いは ”奇跡” ♪」

という某CMの呑気な言葉は好きではないが、まあ出会った全ての人達に感謝も大事よね。いくら想像で可能性を広げた所で全ては結果論なのだから。まず目の前の人を大事にすること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……さあ!ここでシメにするとキリが良いのだけど、「〜〜〜みなさん、いかがでしたか?♪」といった身も蓋もないまるで解決策にもなっていないゴミ記事は大嫌いなので、言及する。

 

今回の記事を考えるに至った経緯は、専門学校のオープンキャンパスに5年ぶりに行って高校生に戻った気分なり人生の分岐点を過去回想した話であるが、そこから生じる疑問点は何故私が高校生の時に散々進路に迷った癖に「専門学校」を選ばずに「美大生」になったのか。

さあさあさあ、さ〜〜〜〜あ、長くなるぞ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(^o^)

 

 

 

 

 

 

 

 

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大学を選んだのは高校の美術教師の母校で、勧められたから。

まあとんでもなく他人の意思決定に委ねた進路選択になっているのだが、それでもなんでその教師の言うことをすんなり聞いたのかというとその先生が変人で面白い人だったから、というのが1つ。考えて見ると、私は高校も大学も先生に勧められた所に入学していた。勘違いしてはいけないのが、自分の意思がないことはない。性格上昔から拘りが強いことは明白であるので、あそこに入ることはない、と最初から選択肢を除外している。その中から最も妥当な学校を選んでいるに過ぎない。さらに突き詰めて、私が無意識のうちに選択している「先生の意思」の妥当性はどこからやってくるのか。

答えは「人」。

興味の範囲内でコミュニティに属する人の雰囲気」がポイント。

色々な将来の職業選択に迷うだろう。高校選びから、大学選びまで。私の場合、高校で普通科の選択肢はなかった。専門的なことを学びたかったから。普通科に行った所で今までの延長線で勉強をしたくなかったというのが本音だが、ビジョンが見えなかったのが強い。進学くらいしかなくないか?そこで、家から通える範囲で専門的な学科のある高校は、家政科か工業。機械をいじるより家庭的なことをしたいから家政科。(昭和の価値観で止まった男と女で分かれそうな学科の選択肢に近代的な娯楽を一切許さない田舎を感じる)近所の高校は偏差値が県最低レベルで、民度が低そうだから嫌だった。だから通学時間がいくらかかってもまともな人が多そうな遠くの偏差値がそこそこある高校を選んだ。

高校生時の進路選択では、最初に言ったように職を基準にして進路を選んでいた。勉強して良い大学に行く考えはない、親戚周りに学歴の高い人はいないから強要されることもない。勝手にやりたいことやって人並みに稼いでくれって感じ。

オープンキャンパス行って、現地視察っていうか学校とか人の雰囲気わかるじゃない。それでチャラそうだな〜元気いいな〜就職に強そうだな〜綺麗な人多いな〜オタクっぽいの多いな〜とか多少印象が残るんだけど、そんな感じの人たちと一緒に仕事をして生活の大半を一緒に過ごしていくと思うと自分の性格のタイプが違うなと1つづつ判断するようになる。自分が何をすることが好きか、というよりもどういう人達と過ごしたいかが判断基準になっている気がする。

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 色々な方向に興味はあったけど、私は元気な人間よりも静かなの人間の方が好きなのでオタクよりな場所に進学した。「絵」に特化できる自信はなかったので現実味があって潰しのきく「デザイン」を選んだ。(曖昧に「デザイン」を選んだことにより最終的に「人生はデザイン」という哲学的境地に至り、選択肢は増える。実際入ってみて意外にアニオタがいなくて愕然としたんだけど、隠している人が多ければ、やはり興味のジャンルが人それぞれなのでタイプは違った。)

そして、今就活の軸が最大限にブレてしまっている。希望する所に入れない、技術がない、一人暮らしする金がない。三重苦!!! 利益を出せる人間じゃないと、熱意のある人間じゃないと入れない。どうやら就活は職業に「迷う」ことすらさせてくれないらしい。迷走してどこでも良くなっちゃいそうだけど、それは絶対に許さない。数ヶ月足りとも自分の貴重な時間をやりたくないことの為に捧げたくない。私は今までのアルバイトだって毎度拘って探して「決断」してきたのだ。自分の居心地の良い環境づくりのために民度の整った所に属したいし、できるだけ話の合う人と働きたい。

 

 

ツイッターを初めてから人を更に感じるものを見るようになり、「文」で人を判断する事が顕著になる 。興味の方向も今は完全に「人間性」から。どちらかというとこういう人に成りたいかな、という選択で日々の「決断」を下している。ブラックコーヒーを飲む人はかっこいい、音楽やっている人は面白い、モード系のファッションをしている人はこだわりがある、美術やってる人はメイクも心も綺麗、文章強い人は普段からよく考えて生きている、アクシーズブスは舐められる、黒髪の方が大人の扱いをされる、男性的な性格の人の方が話しやすい、などなど、、、

今の私はそういった価値観から形成されたものの結果で、成りたいものを日々追っている訳です。最終的なアウトプットが憧れと同じものに仕上がっているとは限らないけど、これ良いよな〜と思うものを追求して生きたいよね。