生きている実感

『アイマイカイワイ』

 ツイッターでみかけて面白そうだったので以下の番組見たんですけど、最後のコメンテーターの感想が

「 生きてるなって思います! 」

みたいなことを言った。

そうだ、この人たちは「港区女子」なんてアホっぽい名前をつけられているけど、戦略立てて、ちゃんと考えて、生きている。そう、生きている。

 

 

  

 

 目 次

 

 

 

 死んだように生きている人ら

この世は嘘で塗り固められている。

バイトしながらいつも思うんだ。客に対する笑顔も丁寧な接客も全ては店の利益のために行なっている虚構、偽善行為なんだって。本気で純粋なのは子供だけなんだと。子供に向けて商売をしていると自分が詐欺師になった気分になってくるんだ。「楽しいよ〜面白いよ〜いかがですか〜」、嘘つくの苦手だから引き笑いになってるだろうしな。元気で一点の曇りのない質問をしてくるガキを見ていると、君の10年後は絶望しかないんだぜ、、、、って悲しい気持ちにしかならない。行き着く先は絶望しか待ってない。大半の子はそのまま学校教育のレールにのって偽りの社会に出荷されるんだ。大人になって絶望しなかったらとしてもそれは虚構の世界に気づいていないだけ、社会の歯車に回されているだけだって思うんだ。(このまま行くとプリキュアの悪役ボスになるな。倒されるのかわいそ、、、、、、)

よくこの社会はできている。みんなきっと理屈のルールに縛られて、きっと死んでるんだ。企業理念がガチガチの宗教じみた会社なんて特にそう、朝一に社訓叫ぶやつとか。死んでもやりたくない。あんなん洗脳してマジで機械人間にして、これが正しいって思わせて死んでる。じゃあ、仕事終わったらみんなどうやって人間やってるのさ。そうやって日中仕事ばっかり考える社畜が生まれるのか?

綺麗事言ってる奴ほど信頼できるものはない。

 

 

 

出会い系アプリが楽しい理由

「出会い系アプリ」は楽しい。 騙せるから。

大学生になって興味本位で使ってみたら、生身の人間とやりとりしてると思うと楽しくて仕方がなかった。傍観者ではなくプレイヤーとして、自分の発言に対してレスポンスが返ってくるのが楽しくて仕方ない。これから会うかもしれない、付き合うかもしれない、ヤリ逃げされるかもしれない、人たちと恋人ごっこみたいな探り合いをするのが超楽しかった。幸い危険な目にあったことはない。

ハマったから一回辞めて落ち着いたんだけど、定期的に手を出したくなる自分がいるんですよね。ここで感じた「楽しさ」や「興奮」って、生きてる実感だなと思った。

出会い系で危険な目に合いそうなドキドキ、リストカットした時の手の痛み、これらはメンヘラ特有の生の実感ですよ。ベースの心が死んでいる分、生命を脅かすくらいのストレスがないと生の喜びを得ることができないのかもしれないな。うわ、言ってて結構やばい。

 

 

 

梅原猛

図書館で、芸術新潮2019年4月号を読んだ。

芸術新潮 2019年 04 月号

芸術新潮 2019年 04 月号

 

梅原猛『人類哲学序説』の冒頭部分 特別掲載みたいなものがあって面白いから読んじゃった。「人間の本質とは」、というはるか昔からある永遠のテーマをこの人が再定義するみたいな内容だった。

「人は戦争する生き物だ」と定義していた。

生物は繁殖するために生きているのに殺し合うのは人間だけ。権力者の考えに従うために反発する人間を殺して、何かを成し得て文明が発展してきた。人は考える、知を欲し、情をもつから戦う。戦ってなくても守るために武力を持つ。

 

 

 

『アイマカイワイ』の港区女子、当事者の女性が言っていた「後ろめたいことをやっているってもちろん分かっているけど、私にとってこれが楽しい」って言葉とてもいいと思う。

後ろめたくないことを当たり前のようにやってる奴、後ろめたいことを後ろ指指して笑ってる奴、オメーらは法に守られた死んだ世界でぬくぬくと生きているだけだ。客観的にダメだと思っていてもなお、その行為をしている人間は自分の力で考えて、戦って、生きていると思う。

そんなひとに、わたしはなりたい。

人類哲学序説 (岩波新書)

人類哲学序説 (岩波新書)