メディアに洗脳されすぎたぼくら。ズレた基準からくる違和感。

当たり前。

 

とされて来たもの。行為、生活、思想。

  

最近、全てにおいて疑いにかかっているので、自我が消えてしまいそう。

一回離脱すると、ここまでなってしまうのか。共同体に属していた時、何も疑わずして、将来をふわっと見据えていただけだったが、規範から外れ答えを探し彷徨い行き着いた先の読み物から受け取る思想はどうにも受動的で現実味を帯びない。私が住んでいる、目の前に広がる片田舎の景色はただ平和。帰宅したらすぐさまテレビをつけて笑いながらツッコミを入れる母、何を考えているのかわからない父、母の意見に依存して進路を闇雲に探す妹、日々黙々と畑仕事をする祖父祖母、家庭的なバイト先。この平和そうな日常は果たして大丈夫なのか、一切の楽しさを見出せない、といえば極端だがいささか真剣になってしまった。唯一人とコミュニケーションを取っていて笑顔になるのはブラックジョークくらいだ。

  

 前回記事、 承認要求の答えが出てしまった - Go aopink’s blog

で、学校教育が実はやばい所だったことが分かったばかりなのに更に似た思想をほいほい探し当ててしまった。驚きの速さ。この記事はあまり関係ない。

 

 

  

 目 次

  1. 前置き

  2. 友達の家に泊まった時の会話

  3. 彼女の恋愛パターン

  4. 頭で「愛」を学ぶ人達

  5. メディアと自分の認識差

 

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世間の記念的な10連休のお休みムードとは打って変わり、毎日がお休みのような私は卒業間近、本命の企業に振られて2ヶ月ぶりに東京に赴いた。卒業後、東京に就職した大学時代の友人の家に早速泊まらせてもらいに行ったのだ。(学生が終わって2ヶ月しか経ってないのに「大学時代」という過去形の言葉を使用しないといけないことすらもう虚しい。一気に年取ったみたいだ。)僕は大学時代人間関係を完全に諦めてほぼ捨てていたので、22歳で身近な人と本気で話ができる相手がいなかった。彼女とは今まで過去やプライベートに踏み込んだ話はしたことがなかったのだが、そこで修学旅行の夜のように話が弾み、印象に残ったものがあったのでまた色々考えたのだ。

  

  • 私には親友って呼べる人がいない。

  • ちゃんとした「恋愛」をしたことがない。恋愛って難しいね。

この言葉が印象に残っている。彼女は僕から見れば誰とでも仲良くなれる超人的コミュニケーション能力を持った人である。彼女は言う。

「誰とでも仲良くできるんだけど、それ以上の深い関わりがない。壁ができちゃう。」

「誘われることはよくあるんだけど自分から誘うことは全然ないな〜。だから、オタクみたいなどこにでも一緒に出かけるみたいな親友っていいなーって思う。」

 

 

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主導的に見えて、意外に受動的であった彼女。私と真逆な関わり方ができる彼女は心底人間関係など困っていないのだろうと思っていたが彼女なりに思うところはあったらしい。やっぱないものねだりなんだな。自分が当たり前のように行っていることが、他人の形態を知ることによって正しいのかなと不安になってしまう。それが珍しければ珍しいほど。誰しも不安なんだ。

彼女の在り方として、特徴的だったのが必要とされている場所に当てはまっている、ということ。

本人は周りに流されて生きているのような物言いだったが、話を聞いた感じだと彼女は、自分にとって必要なものを確実に選択している。そこに女の子だから可愛いものを選ぶ、例えばピンク色のものを持つとかスカートを履くとか、周りの子がそれを支持しているから一緒になってそれをするといった、自分以外のフィルターに惑わされていない生き方をしている。彼女は人当たりが良いから、恐らく人間関係はそれに付随してくるだけなのだろう。しかし親友と呼べる人がいないのが不安らしい。

「親友」と呼べるものは2、3人くらいいた方がいい、と一般的に言うがそれは果たして全員に当てはまることなのだろうか。必要がなかったら別にいらないんじゃないか。必要だったら自然とそういうカテゴライズをされた形態になっているのではないか。自分のことは主観が混じり合ってよく分からなくなるが、人のことほど真っ当に考えることができる。なんだかなあ、、、。

 

彼女には彼氏がいる。勘違いから始まった出会いらしい。

本当に好きな人、例えば好みだと思ったイケメンには絶対に近づかないらしい。

 

彼女の場合、面白いと思った人には先入観なしで真正面から関わりに行く。彼女にとってツボにハマるポイントがオタクっぽい男性だったので自ら仲良くしに行ってしまう。恋愛感情ではなく友情として関わりをもったのに仲良くなったら、好きなのかと勘違いされて告白されるパターンが多いらしい。だから、自分から好きになった人と付き合ったことがない、ちゃんとした「恋愛」をしているのか自分でも分からない。本命にはならない人ばかり寄ってくる。一般的に付き合う前が1番盛り上がり、付き合ってからお互いをよく知り、数ヶ月後に倦怠期、徐々に落ち着きを取り戻し数年間付き合うことができたら結婚といったテンプレート。これが恋愛から結婚までの男女の出会い方のやり方、、、、といわれる。

考えた。この場合の「好き」ってなんなんだ?「本当に好きな人」って実は世間のテンプレートが作った幻想、つまりは頭で考えた、無意識に擦りこまれた知識に対して、自分の形態が微妙にすれ違っていることに違和感を感じているのではないのだろうか。

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学校で人の愛し方は教えてくれない。健全な親子関係から「体得」するのだ。頭で考えるのではなく無意識に心で感じる。では、愛されなかった子はどうやってその人間の根元欲求を満たせば良いのか。自ら考える、知る、「勉強」していくしかない

例えば女性の場合、少女漫画を読んで恋愛の仕方を学ぶ。異性のことはこうやって好きになっていくのだと。10代で女性向け雑誌を読んで、年上の男の子の落とし方を学んだり、高校での友達の作り方を知る。それが「人を愛する」やり方なのだと学ぶ。そして、それをいざ実践してみてどうだ。ナチュラルメイクを実践してナチュラルブラウンの眉毛で口紅をコーラルピンクにした女を好きだと錯覚するような男はその装いが恋愛対象になるべき人間だとメディアによって学習している男に過ぎない。学習した男女が頭で考えた偽りの恋愛を築いているだけなのだ。そこでくっついた奴らには大抵歪みが生じるのだろう。俗に言う倦怠期というやつだ。そこで別れることなく続いた関係でようやく互いの本当の性格を見直し虚像を取り払うことによって、偽りの恋愛というメディアの呪縛から解き放たれ、本物の人間関係を築いていくことができるのではないだろうか。

 

男性の場合、性欲が多感な時期にセックスの仕方をAV動画で学ぶため、実際に初めてする時、まるで全然気持ちの良くない満足しないセックスで終わる、と聞く。人対人の極めて生物的なコミュニケーションにファンタジー快楽やエンタメ性の強い社会形成された一般論を持ち込んでいるので、目の前の一個体との愛が築ける訳がない。(セックス目的を性欲処理とするか愛かで意味も変わってくるがこの場合、愛)

余談として、疑問が浮かんでしまった。だとしたら「人は学ばないと性行為をすることさえないのではないか」だ。これについて考えだしたらキリがないが、面白いものを見つけたので以下貼っておく。

 

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話を戻そう。

そこで彼女の必要とされている場所に自然と当てはまっている行動の取り方は極めてメディアに影響されていないし、自分軸をもっていると思った。追い越せなければ追い越せるようにすればいい、出来なければ出来るようになればいい、これくらいに現実を見据えた人だ。つよい。ぼくにはできない。

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これまたメディアという大きな枠組みに自分は影響され動かされていることが分かってしまった。

そこに個の居場所はまるでなく、理屈で学ばなければ本来の生き方さえ知ることができない。我々は集団として機械を目指していたのか。中国・北朝鮮のように情報規制されていたら知ることすらできず一生奴隷精神で生涯を終えていたと思うと恐ろしい。その点まだ、生命を脅かすほどの悩みではないだけ日本は平和ですがね。死んだように生きている、とも捉えられますが。つか、緩過ぎだろ!!洗脳教育で奴隷にしたいならもっと徹底的にしろ!!!

メディアに全く踊らされずに現代を生きるのもそれはそれで楽しめないと思うけど、この商業で回っている世の中をほどほどに利用して楽しんでやりたいなと思うのでした。