メンヘラは必要とされたい【先生編】

確信したぞ、メンヘラは誰かに「必要」とされれば幸せになれる!!!

 

 

 目 次

  1. フリーター、「先生」になる

  2. プライドが高い自尊心が満ち満ちて

  3. 子供を産むと治る説

  4. 健全な「メンヘラ」の運用方法

 

 

1 フリーター、「先生」になる

ある6月の日、無職の僕はバイトのイベント要員として、小学校の講師になりました。10年ぶりの母校に赴いた。用が無いと普通は校舎に入ることはできないから、内心クッソ楽しみにしていて、こうして来客として「お偉い大人」として入校してしまうのか、、、ととてもソワソワした。

「同世代との人間関係」が絶たれたせいか、小学校を舞台とした夢をよく見る。印象に残っている不思議な景色が多々あったんだよな。職員室に行く途中、階段を登りながら僕は考えた。「僕みたいな人間って1番小学校みたいな所に来ちゃいけない人間じゃないか・・・!?ツイッターで散々平気で幼女の画像見てるし、こんな犯罪者スレスレの社会不適合が世の中を知らない純朴な小さき子と関わったら普通に危険やろ、、、偏った思想を植え付けまくるぞ、、、!」と1人葛藤し「おはようございま〜す!よろしくお願いしまあ〜すっ!!」学校の先生方と元気に挨拶を交わした。

 

プライドが高い自尊心が満ち満ちて

社会的底辺が「先生」と呼ばれる快感。これは!!!!誰にも!!!味わえない!!!!喜び!!!(^o^)人(^o^)人(^o^)人(^o^)人(^o^)人(^o^)人(^o^)人(^o^)人(^o^)人(^o^)

知ってるか?先生は偉いんだぞ。「 先 生 」「 せ ん せ い 」はな、 先 に 生 き る 人 と書いて「先生」なんだよ。先生っていうのは無条件に崇め奉べき存在なんだぞ!!!!!!!僕の「存在意義」はこれにして一瞬で解放された。ああ、もう全知全能の神になった気分こいつらの成長は全てにおいて私の力量によってコントロールされるのだ!!!ガハッハハハハ!!!

僕はまた色々分かってしまった!!!!

「先生」が「 先 生 」の理由をな!!!!!!!!!!!!!!!!!

  • 「先生」だから怒鳴り暴力する → 自分が1つの教室を受け持つ唯一の年増であり、自分が最も偉い立場になりやすい環境から支配欲求がもっとも満たされる職業
  • 「大人」が学校に来くると嬉しくなると口を揃えて全員言う → この「学校」という空間が無法地帯のクソ「社会」から確立されて守られすぎているから
  • 「先生」が10年ぶりに給食を食べられていつも嬉しいと言う → 教育大学生活の粗末な1人暮らしバイト生活からバランス最強ご飯を頂ける
  • 教育実習生が別れ際にいつも涙を流している → つまらない大学生活から年下しか居ない学校に教育者として教師を演じる舞台に放り込まれ、無条件に崇め奉られることによって現代に足りない自尊心が完璧なまでに満たされる

偏見・皮肉満点と言われても可笑しくないが、これが僕の辿り着いた「真理」だ!!!

なんとでも言え!僕はこの社会環境から立派に生成された社会不適合者だぞ!!!!!!!!!!!

 

 プライドのクソ高いぼくみたいな人種にとって、最適合職種ではないか。おいおい、ツイッターで神絵師を目指すよりも遥かに簡単に自尊心が満たされる、、、どういうことだよ一体、、、。

学校教育ってシステムが、承認欲求を高めさせるための資本主義適合システムでまんまと洗脳され、その精神ガスガスになって鍛えたれた大人達を今度は「学校教育者」という洗脳的支配者なるための無限循環ループだと思うと嗚呼なんと恐ろしい、、、、!!!!!世の中上手いことできてんな、、、!!!

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3 子供を産むと治る説

ラブホの上野さん」のブログは私の関心ごとが詰まりにつまっているので、更新するたびに読む読者なんだけども、要約すると、子供 = 無条件に母親を必要とする → メンヘラが治る 理論。必要とされる、ということがメンヘラにとって1番大切なことだとすると、健全かつ生物学的に最も理にかなった解消方法は「子供を産む」、ということである。

 

僕は自分の遺伝子を僕の代で根絶やしにしたいので、子供は産まないし遺伝情報は(現状)絶対に残さないと誓っている。メンヘラを直すために、この解決方法を用いることはまずないと判断した。1つ戻り、「必要とされる」という解消方法に着眼点を置くと、今回の"自尊心が渇ききった無職"が誰かに必要とされる場所=学校が最適という解がでてきた。

 

4 健全な「メンヘラ」の運用方法

必要とされる場所 = 認められる場所

 1 必要とされないと感じる場所=ツイッター内輪コミュニティ→ メンタル拗らせる
 2 内定決まらない=必要とされない

   →ブラック企業ホイホイ→ 必要とされている→マイナス(-) × マイナス(-)=プラス(+)

                                =裏の裏の正常状態

   →妥協できない企業探し→ 向いていない職を永遠に理想を追い求める

 3 必要とされる場所 = 他人に認められる場所 → 自分が自分を認めていないので許さない

             ≠ 環境に自分が騙される → ここで良いのではないのか

                              =自分を認められる

 

纏まりのない理論が立ちました。自分にとって「認められる場所」というものを見つければきっとメンヘラは最強になると思います。

たぶん、これは薄々分かって来たのだけど、自分のメンタルのコントロール、運用次第でどうにでもなる問題な気がした。メンタルを世間体的に健全に持っていけば、メンヘラはきっと何にでもなれる。メンヘラの最強の長所であり、弱点である「メンタル」を正しい方向に持っていくのだ、、、、

つまり、「思想」次第でどうにでもなる。「環境に染まりやすい」というのが特徴ということで

「認められる」=「褒められる場所」→「存在理由」=「生きている理由」→「必要とされている」

を見つけていくと、どこまでもきっと伸びる。必要とされる限りメンヘラはどこまででも地を這いつくばって頑張ることができる。「必要」とされることが活力源だから。生まれ持った"パワー"だけはピカイチだと思うので、必要とさえされれば超善人にもなれるだろうし犯罪者並みの悪人にも成り下がることができる。

以下、メンヘラの皆さん、自信持って生きましょう。「目標遂行能力」の高さを生かすために健全に自分を騙して。

 

余談。

自殺大国日本もやばいし、その自己肯定感の低さが創作界隈の文化発展に寄与している気がしてならんのだよ。みんな現実逃避するために必死になって生み出したのが、漫画・アニメなどの創作文化の発展なんだよな。日本社会が「文化」を作ってるんだよ。娯楽文化が突如自然に湧いたんじゃない、それは必然性をもって発展したのだ。

穏やかな時

世の中に逆行している時が好き。

 

 目 次

  1. 決められた生活枠から外れると

  2. 誰のことも感じたくない

  3. 「 自分が価値を見出した商品」を買いたい

  4. 娯楽がないメリット・デメリット

 

平日の昼間、学校のチャイムが鳴る。12:00頃は社会人が休憩に外に出る。

晴れた日、お花見シーズンが終わった緑生い茂る河川敷に用事のある人はいない。子供の過疎化が進む現代のこの片田舎では舗装されていない公園に賑わいはない。住職がいるのかも分からないような小高い場所に佇む古びた寺に参拝する人も見たことがない。11:00、リニューアルした市の情報センターでは受付のお爺さんと友達のお爺さんだけ居て、近所のおいしいご飯屋について談笑をしていて、昼間の暖かさと木の温もりに包まれた空間に余分なぼくは居ない。18:00頃、お年寄りが必死で新聞を何冊も老眼鏡で読んでいて、高校生はいるけど同世代はまるでいない。21:00にもなると道路にひと気はまるでない。道路のど真ん中も平気で走ることができるくらい先の先までハイビームも届かないくらい車もない。

今までは、私が所属する場所に移動する為に電車を使って外に出る必要があった。けど今の生活はすべて市内で収まってしまう。7年間電車が必要な生活から、解放されてしまった。本当に1人になった。インターネットから「社会」を受容してばかりでいると発信しない限り自我が消えそうになってくる。時たま外にでないと自分が帰ってこない。外が社会というよりは、(現代っ子特有なのかもしれないけど)「ネットが社会」

 

誰もいない1人の空間は自身が1番大切にされているなあと感じる。

私がもっとも自然と一体となって、無になって、余分な他人の価値観を許容されない空間。清流の中で生き生きと泳ぐ魚と全く一緒。

何歳なのか分からないくらい昔から鎖に繋がれている犬の横を通り、工業的な音は一切聞こえず、鳥の声しか聞こえず、植物の匂いで一杯になった河川敷を自転車で滑走する時、私は目の前の景色を有りの侭に受容することができる。近代的に舗装されて居ない無骨な有様のまま残る、誰からも見向きもされないようなこの景色は「人」を感じない。少なくとも昔の誰かが作ったものではあるのだけど、「現代人の誰かの意思」を感じにくい。突き放されたような「社会」と確立されたこの空気感はとても私に居心地の良いものを与えてくれた。都会人ぶってんじゃねえと田舎住みの学生に怒られそうだが、私は今そう感じている。

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最近の楽しみは自転車で1分くらいの坂を降りた場所にひっそりとある半無人販売所でいちごのパックを買うこと。もう6月なのにイチゴを200円で売ってくれる。スーパーに行ってもイチゴのシーズンは長くても3月くらいで終わりを迎えるのに、それを過ぎて暖かくなってくると商品価値が下がるから売ってもくれない。個人販売をしている人は値段が低くてもそこに「需要」というものが存在しているから、ぼくみたいな貧乏人の為に必要な人のために売ってくれる。神ですね。スーパーのように必要なものがすべて揃っている場所は便利だけれど、必要なものを必要な場所で目的を持って調達しに行く、といった行為はなんだかRPGのような気分でとても楽しいのだ。

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ぼくはこの町を中心として、旅行からお買い物から就活から日本各地に赴いて来た訳だが、大体の「欲」というものは消化できたと思う。都会に対する娯楽的欲求は大体解消した。もう子供ではない。

土地に根を下ろす。

ここは住みやすい。

娯楽施設がない、というのが田舎の欠点であったりするが、娯楽施設を一切必要としない精神にまで持っていけば、ここは最強の環境ともいえる。集中しやすい。

 

唯一の欠点は電車の民度の低さ。これだけはダメ。上京するときのガキのマナーのなさは本当にダメ。自分達が世の中心だと思っているから。あと、車を運転してる若い奴らも煽りが多いからカス。「車道」は公共のもの、みんなのもの、社会が、自分以外の人が集まる所。いわば、「コミュニケーション」の場。ここは無駄に疲れる。移動手段にコミュニケーション力を無駄に浪費したくない。働く時だけで十分だ。

 

 

■ つくらざるおえない

大学を卒業をしたら、もう作品をつくることはないと思っていた。

 

 目 次

  1. 卒業して見えた「景色」

  2. 「消費者」になるのが怖い

  3. 今まで見てきた「景色」の否定

  4. 「休み」=「逃げ」

  5. みんな本音を言って欲しい

 

なのに私が4年前に想像していた景色とはまるで違う。社会人になったら勉学的に物作りをしていた大学生活から切り替え社会人として新たに平凡な一般人として生きてゆくのだ、と具体的に現実味を帯びていない不明瞭な未来を想像していたのだが、今見えている景色というものはどちらかというと途方もなく現実があり、先があり、今後の「野望」が止まらない。野望というか人生の課題というか、私が絶対に生きている内に成し遂げないといけないこと。僕にしか出来ないこと。俺がこの手で作り上げなければいけないという使命感、に駆られている。私自身が本心から楽しんでやりたいこと、というよりは苦しんででもやらなければいけないこと。

まさか卒業後の空白期間があるなんて思いもしなかったから、こうやって一切の強制力のない生活を過ごしてみると逆にやりたいことが無限に湧いてくる。そうして僕は「職業」にどんどん適応しない人間になる。深夜まで起きてピアノ曲を聴きながら感傷に浸り罪悪感に駆られながら何かをしている僕の生活ルーチンは大学3年生の冬から何も変わっていない。苦しさも向上心も使命感も。"学生のノリ"は消えると思っていたのに、優秀に就職活動を乗り切って行った同級生達に対する謎の「悔しさ」と「執念」は日に日に増すばかり。僕の時間は完全に止まっている。

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ゲームがずっとずっとしたいと言い続け、早2年が経った。ゲームをするとハマってしまうから。限りなく現実逃避がしたい。ファンタジーに浸かりたいし、エロゲに手を出して脳味噌からっぽ人間になりたい。そんなこと言って、ブログもしてるし、業界知識としてアニメも見てるし、関係ない本も読んじゃうし、Google先生に他人に見られたくないような言葉も沢山検索してるし、目標の為に費やした時間ではない遠回りは結構しているのだけど、それは僕のどうにもならないメンタルをマイナスからプラスにする為の回復行動と言ったらこれはただの言い訳である。娯楽も勉強の内、なのだとしたら私は一体何が娯楽なのかわからなくなってきた。

幼少の時の思い出で一番印象に残っているといえばゲームの内容である。「ゲーム」は私の生活にあまりにも溶け込みすぎて、ゲームの話をするとめちゃくちゃニッチなシーンを覚えていたりして、自分がとてもゲームをしていたという事実を改めて知る。そのゲームをしていた時間が無駄だったか、と聞かれたらそうとは思わない。とても楽しい時間を過ごしていたから。各ゲームに費やした思い出、BGMというのは今も色濃く残っている。

そして、そんな楽しいゲームを今から手を出そうと思うと怖くて出来ない。そんなことに時間を費やしていたら圧倒的消費者のままになってしまう。もう私は消費者になるのが怖い。負ける。そんなことを悠々自適にしている間に同級生に出し抜かれる、資本主義に負ける。自分自身で考えて常に苦しみながら自問自答して戦い、生産し続けることこそ正しい姿なのだと、それが有るべき姿、クリエイターとして善人の姿、と完璧に刷り込まれてしまった。

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大学以前は完璧に消費者側でコンテンツを見ていた僕は、academicな学生生活の中で、「一般人とは違う視点から物を見る」という思考が「当たり前」であり暗黙知のように会話が展開していることに、僕の今までの「当たり前」がひっくり返されて追いつくのに大変時間がかかった。18年積み上げた僕の「当たり前」の思考をたかが4年間で取り返すことはとてもじゃないけどできなかった。

「好きなデザイナー(もしくはアーティスト)は誰か?」と聞かれた時に、そんなのは居ない、浮かばない。作者にまで注目して作品を分析しないからだ。私はあくまで、作品のこのコンテンツの雰囲気が好き、そしてあれも面白いから好き、といった完全に消費者思考で生きてきたから。僕以外の学生は今まで聞いたことのない人物を挙げ、当たり前の共通認識として楽しそうに、academicに会話をしている。僕は蚊帳の外である。僕が今まで見てきたものは一体何だったのだろう。ニッチな分野であれば有るほど教授は喜んで学生を評価する。そんな所まで知っている学生こそ一眼置かれ、対等に話ができるレベルに上がるらしい。もう僕は生きてきた全てを否定された気分だ。4年間の劣等感は止まらない。死んだような4年間だった。僕は高校の時から、人格も変わり果てて100億倍成長したと思う。高校の同級生に会うたびに高校生の時の素直な雰囲気のぼくの方が好きだって言われるんだ。ぼくは歪んでしまったのか、わかんないけどとても強くなったというか、戦う為に1人で強く成らざるお得なかった。

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「休んではいけない」という罪悪感と劣等感が常に渦巻いている。消費者になってはいけない。こうしてブログを書いたり、絵を書いたり、裁縫をしたり、有益な情報を探したり、何かを常に生産すること以外許されない気がする。「休む」というのは僕にとって、心が解放されてストレスが発散されている状態ではない。ぼくの心は全くもって晴れやかではない。常に「逃げている」という焦燥感。その不安定な状態が僕のものを作る上の原動力だとしたら大其れた皮肉といったものだが、クリエイターはそんな所なのかもしれない。クリエイターはかっこよく見えがちだけど、自分が可愛いくてプライド高くて人間性に問題のある人ばかりだから安易に好意を抱かない方がいい。いいもんじゃない。全部反比例してんだよ。だから良い作品を作る為に、僕はもっとメンタルがボロクソになってクソな人間にならないといけないのではないのかと思ったり、どっちが有るべき姿なのだと葛藤しているのだけど、まあ色々終わってる。健全ではない。

 

(創造力は不幸力 2019/06/5) “¯lƒQ[ƒ€»ì‚ÌS—Šw@‘æ‚Q‰ñ

限りない承認欲求を健全に創造力に変換できたらいいのだけど、普通は挫折するかふて寝なんだよなあ。創作も一旦疲れたら離れた方がいいとも言うし。結局、自分がそれを許すか許さないか、っていう本当にメンタルコントロール次第でどうにでもなる。

 

私が本当の意味で解放された状態、つまりは「幸せ」になる時はこのブログの終焉だろう。ここまでしてわざわざ自分や物事について考えなくてもよくなったらきっと現実はうまくいっている。物書きは本質的に「不幸」だ。

 

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蛇足。 

生きる上で本当に大事なことは誰も教えてくれない。経験上、僕はもうわかってきた。良い歳した大人はみんな大事なことを隠している、あいつもあいつもあいつも。

純粋な子供に教えてあげたい。誰も信じるな、親も信じるな。自分しか信じるな。僕が大学のアルバイト中にいきなり人生論を語られたバスの運転手に言われた「誰も信じるな。」という言葉はあの時はイマイチ腑に落ちてなかったけどだんだん落ちてきた。あの人にも僕には知り及ぶことのない数十年の"経験"がきっとあった。学校教育的には大変不道徳的な言葉だが、この一見冷たいとも思われる言葉を敢えて、僕に「伝えてしまう」というのは逆説的に自分の事も信じるな、と言っていることと等しい。

最近見えてきた世の真理、景色がある。まだ僕の歳で語るには世間が狭すぎると言われるのかもしれないけれど、本当に大事なことはすべてネットの人に教えてもらった。親でも先生でも身近な人でもない。全く関係のない外部の人の方が余程ぼくを救ってくれたと思うのだ。身近な人が役に立たないと言っている訳ではないが、現実の利害関係が多少なりともあって関係を崩しにくい人物というのは本音を言いづらい、というか本当に大事なことを隠している気がしてたまらない。それがむず痒すぎて、色々爆発してきた。隠すな!!!!言え!!!すべて言え!!!!関係なんてぶっ壊れていいから、お前の本音を話せよ!!!!!!本当はこうなんだろ!??!??!?!?!?!??!?!、と。

定期的に吐かないと無性に苦しくなってくる。ネットのゴミ。

この文章だって、見せようとしなければ非公開にすればいいだけの話だし、PCのメモ書きに残しておけばいいだけなんだけどあえて公開してるっていうのは『何者』の拓人君のように誰かがこの文章を見て、このクソみたいにしみったれた文章について共感してくれるんじゃないかって薄々期待しながら自分の弱小プライドを敢えて強めの熟語に乗せてプライドを誇示してるんだよな、君も。ああ、わかるよ。君とぼくは一緒だ。一緒にするなと怒られそうだけど。

 相手にされていないと感じる時の個人尊重の維持

ぼくを知らない人から見たら、よくあるネットのよくある誰かの書いた個人ブログに過ぎないのだけど、この文章情報は誰かが何かを調べた先に見つけた記事なのかもしれないし、間違えてクリックして飛んだものかもしれないし、タイトル記事が微妙に惹かれるものだったから見て見たけど内容がどうでもよかったからすぐに消え去っただけかもしれないし、どうでも良いけどたまたまアクセスしちゃったら読んでみたけど肌感が違った、それだけで無駄な時間を過ごしてしまったよね。そんなことしている暇があったらさっさと現実充実させて自己実現しろやって話。まあそれが出来ないからネト充なんですが。

フリーターとしてそこそこ働いて実家暮らしをする道もなかなかありな気もしたが、このままぬるま湯に使ったままでいいのか。もう色々なギラついた世界を体感してしまった僕はなんだか苦しくて悔しくて堪らないんだ。なんで相手になされないんだろうって。入学したばかりの時、美人を目の前にした時、飲み会の時、高島屋の商品を見ている時、面接官の前、どれだけ謙っても私を個人の尊厳一切無視したかのように人として見られていない時、従業員、求職者、買わなそうな客、つまらなそうな人間、ブス、としてカテゴライズしてモノとして判断されている時、私もまた生産活動をする大多数の人間の一部に過ぎないのだな、と自分の小ささを知る。海外の括りから見たら私は数億人のイエローモンキーの一部の日本人の括り。ここに個人としての「色」を見せるとしたら私はやはり作家として色濃いものを表現していかないと個人の尊厳が全く無くなる。それはいてもいなくてもどっちでもよいということであり、やはり子を産んで人間としての文化発展を維持するための国家の奴隷を継続的に生産するための装置でしかないということ。それに私は成りたくない。そんなことに一々突っかかることなく生きていけたら幸せだったのだけれど、僕は如何せん突っかかってしまった。なぜだろう。信じ切った先の見えないレールから外れてしまったからか。たぶんそうだな。これがストレートにさらに先を行き、40代50代頃になってリストラされて職のない生活を急に押入られてしまったら、自殺する自信が絶対にある。芸もなければ、新しい知識を吸収する脳みそもない、若さを売りに体を売ることもできない、なら、死ぬしかないだろ。20代で一回ここまで絶望してしまえば、中年で絶望した人よりはまだ未来がありそうな気もしたが、それは後々になって大器晩成さを若干にして約束されたような、いわば長年生きなければいけないという保証のない強要。生きるのは私の勝手だし、死ぬのも私の勝手。「親より先に死んではいけない」というのは宗教的な縛りがあった状態の思想の強制力が働いている場合でのみ長寿の強制が働くのだ。残念ながら自由宗教国家日本で生まれ、さらに無宗教な家庭に生まれた僕は何もかもが自由でありすべての選択はぼく個人に委ねられてしまっている。僕を強制するものは他人に物理的であったり環境的な妨害を与えられた場合のみに働く。たまたま爆発して死んだ、たまたま車に轢かれて死んだ、たまたま無差別殺人事件に巻き込まれた、それくらいしか僕個人としての生命活動を終える要因はない。

自由意志尊重主義の必要性

職業柄、年配のおばさんと話すことが多いのだけど、「昔は身分とかが強くてどうにも抗えないものとかあったでしょ。女は結婚しろ、嫁げ、家事をしろって強制されてばかりで辛かったのよ、今の子は自由で最高。本当に素晴らしい時代よ」っていうけれど、実際に自由選択ばかりに身を置かれてみてもな、困るんだよ。ぼくは反論したさ、「けど今の時代って逆に自由すぎて困るんですよ、結婚してもいいししなくてもいい、働き続けてもいいしどっちでもいいじゃないですか」今の子は自由自由て、そんなのクソほど聞き飽きたわ!!!実際にこの時代に赤ん坊から投げられて見ろよ。所詮無い物ねだりなんだよ!!!!人間ある程度の強制力が働かないと生きづらいんだぜ。勝手に人生に目的意識を見つけて突っ走れる人間は生きやすくて堪らない時代だけどな、それが大半じゃねえ。だから、どのみちそういう人はいつの時代にも分かれるから両方を幸せにすることなんて出来ないんだって。だから無理なの。両者の意見を取り入れるのは無駄なんだって。クレームの意見を取り入れるのも会社の人間の意見も無駄、正しい意見なんて何ひとつないの。上に立つ者、今でいう社長とかの意見がそっちを向いたらそっちに従うのみ。それに付いていけない、合わない消費者はほっとけばいいの。ああ、もう全てが滑稽。ぜんぶ辞めちまえ。生きるな。生物学者が虫や植物をこよなく愛する理由がよく分かってきたような気がするよ。人間がやってることは全てにおいて無駄だから死んだ方がいい。みんな植物になった方が絶対的に幸せ。みんな早く葉緑体になろう。

朝井リョウ『何者』リアルタイム感想

 「就活」の話の本というブログ紹介を見たので、ベストセラーだし、最近電車で突っ立ってたら目の前の広告に朝井リョウの新作でました!痛烈!どんでん返し!的なことが書いてあったので、私の初めての朝井リョウデビューにするか、、、と思って履歴書を書かずに図書館に言って速攻見つけてきたのでした。

桐島、部活やめるってよ』を散々見たいと言いながら未だに見てない癖に、本から入ってしまったのだが、この人の文体超読みやすい。速読で文章がみるみる映像に変わる。若手作家が書いた文章の方が同世代なだけあって内容もめちゃくちゃ刺さる。だぶん、桐島をみたら私は相当絶賛するだろう。

さらっと読んで1つ映画みたを見た気分になって一時現実逃避してやろうと思ったが、あまりにも朝井リョウの文体が痛烈すぎて、読みながら声だして笑うくらい毒のある言葉が逐一出てくるので我慢できなくなり、途中経過と題して感想を書きたいと思います。

▽ 読後感想

 

私が読んだ古い方↓

 新しい方↓

何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)

 

 今の経過は半分くらい読み終えている。全体の3分の1くらいから、そわそわするようなキラーワードが出ている気がするのだけど(拓人君のクソ冷たい主観的な本音)中盤あたり、瑞月さんが「私はちゃんと就職しないとダメなの。」いったあたりから暗雲が立ち込みまくっている。

突っかかった言葉を引用しながら、脳内イメージ図付きで感想を述べていく。現在p167。

 

 

p167 理系の院生、という、自分のものさしでは測れない人間を、勝手に「人脈として不必要」と判断したことが、その表情からありありとわかる。

お前の名刺が外国人に行き渡ることはないんだから、その裏側のインク代もなにもかもがもったいないと、叫んでやりたい。

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ア〜〜〜〜もうやめたれやwwwwwww拓人君、その後の言葉もキッツイwwwwww

拓人くんが本音を言ってない人物に直接ブチ切れる時はくるのだろうか、、。 

 

p171「メールアドレスから検索できるんです」

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うわ!恐ろしい男!あんまりそういうことやり過ぎるとお前どんでん返し食うぞ、、、

 

p173「選ばれなかった言葉のほうが、きっと、よっぽどその人のことを現しているんだと思う」

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 ア〜〜〜〜〜〜〜ページめくったら食らっちゃったよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

"見えてない"のは拓人君の方だった〜〜〜〜〜〜〜〜(TT)お前が判断してたのはメディアに作られた「人格」なのであって、それだけで ”意識の高そう" な人間を敵対視して器の小ささを露呈された〜〜〜〜〜〜〜ダイレクトアタック、、、、、想像力と一人の視点〜〜〜〜〜〜

 

p176 烏丸ギンジ 自分の表現を突き詰めることと、大衆社会に結合していくこと。〜〜〜

この辺のページ、キツ過ぎるっしょ、、、、「大衆結合」、、、大衆に結合していない俺は周りとちょっと違うんだぜ的な、、、、、ア〜〜〜〜〜〜キッツ〜〜〜〜〜〜意識高くなっちゃうやつ〜〜〜けどそんな取り付くろったクサい「俺」も誰か見ていてくれって自己矛盾〜〜〜〜〜〜〜ア〜〜〜〜〜皆頑張ってるからほっていてくれ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

そんな拓人は俯瞰的になっちゃって自分自身と戦うことから逃げ、時代の戦場から抜けた男〜〜〜そんなお前に隆良をバカにする資格はないって、先輩が言ってっぞ!!!!!!!!

 

p194 ずっと好きだった、と思わず言ってしまいそうになった。

言えや!!! 拓人、、、、お前はいつもそうやって主人公じゃなくなってるんやぞ、、、

 

p197 「前は、こういうところ全然受けないって言ってたのに」

全然、という単語に力を込められたような気がして、俺は何かを否定したくなる。だけど、その方法が見当たらない。

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この一文がなかった普通に読み飛ばす所をわざわざ突っかかる朝井リョウが面白い。この一言にどれだけの意味が込められているのか皮肉満点すぎて、なんてこんな女子らしい気持ちが分かるんだ、、、と謎

 

p200 おめでとう、の目に「エリア職なんだね」と確かめるように理香さんが言ったのを、俺は聞き逃さなかった。

拓人wwwwwwwwwwwwwwwww 理香の「総合職じゃないんだ〜、ふう〜ん^^」が空耳で聞こえる。

 

p202「私も受けていたら、もしかして今頃、同期だったのかもね!」

バトりすぎだろwww この辺ww 理香さん全滅するか、しぶしぶ無名企業に収まってほしい。プライドが崩れてほしい。

 

p206 グループディスカッションのあいだ、小早川理香という人間そのものの意見は、1つも出てこなかった。

理香終わったな、、、肩書きに飲まれすぎの中身スカスカ人間

 

p213 「生きていることって、きっと、自分の線路を一緒に見てくれる人数が変わっていくことだと思うの。」

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大聖母、瑞月。自己実現系意識高々のクリエイター気質満点ガキンチョ隆良くんと現実に根をしっかり下ろした瑞月お母さん。

 

p213 「(前略)したこともないくせに、自分に会社勤めは合ってない、なんて、自分を何だと思ってるの?会社勤めをしている世の中の人々全員よりも、自分のほうが感覚が鋭くて、繊細で、感受性が豊かで、こんな現代では生きていき辛いなんて、どうせそんなふうに思ってるんでしょ?

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アアアアアアアアアアアアアアア、クリティカルヒット、、、!!!その言葉は最も言ってはいけない。俺に刺さる、、、、、やめろ、、、、、やめるんだ、、!!!それ以上言ったら隆良くんが死ぬ!!!!

お母さんごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

 

p216 「十点でも二十点でもいいから、自分の中から出しなよ。自分の中から出さないと、点数さえつかないんだから。〜〜〜自分とは違う場所を見てる誰かの目線の先に、自分の中のものをおかなきゃ。そうしないともう、見てもらえないんだよ。100点になるまで何かを煮詰めてそれは表現したって、あなたのことをあなたと同じように見ている人はもういないんだって」

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怒涛のクリティカルヒット、瑞月さんが全部ぶちまけてしまった。

もうそれぞれが衝突しすぎて誰が正しいのか分からなくなってきたよ、、、、、ここが山場だよね?もうこれ以上ハラハラさせないでくれ、、、、

 

p247  「誰も知ってるでけえ商社とか、広告とかマスコミとか、そういうところの内定って、なんかまるでその人が全部まるごと肯定されてる感じじゃん」

肯定、というような、光太郎らしくない言葉がなめらかに出てきたことに、俺は少し驚いた。

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光太郎きゅん、、、、そんなことで悩まなくたっていいんだよ、、、お前みたいなのが健全に世の中回してくんだ、、

 

p249 「就活は終わったけど、俺、何にもなれた気がしねえ」

「就活」は聖人の心さえ歪ませる

 

p257 「就活2年目になっても内定ゼロなんだよ」

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え?          

なにそれぼく知らない          理香怖いわやめろその目

 

p259 「私、ずっと読んでたよ、あんたのもうひとつのツイッターアカウント」

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ウッワ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

怖い!!!!!怖いよママ〜〜〜〜〜〜〜〜助けて〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!! 

拓人くんの読者に教えてくれなかった裏切り行為もひどいけど、女こええええええええ

誰も信じることができないママ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜もう読みたくないよ〜〜〜〜(TT)

 

p260 「たまーに見知らぬ人がリツイートしてくれたりお気に入りに登録してくれたりするのが気持ちよくて仕方がなかったんでしょ?だから他人から見られないようにロックもしなかったんだよね」

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理香それ以上やめて、拓人も死ぬし俺も死ぬ。(CV伊瀬茉莉也で罵倒されてる)

 拓人に殺されるぞ、、、

 

p265 「ダサくてカッコ悪い自分を理想の自分に近づけることしか、もう私にできることはないんだよ」

り、、り、、、、理香、、、、あ、、、、涙でてきた

ごめん、そこまでの「想像力」ぼくにもなかった。理香も偽善者って超自覚してんじゃん。それでもお前そんな戦ってたのか。そこまでして頑張って、一体何になるんだ、、、?目標っていうか自分見失ってない?意識高いツイート、行動を笑われてるかもしれないし、ダサいことだって俯瞰してるお前は全くダサくないそこまで気づいてない奴の方が大半なのに。

 

p271 「私だって、ツイッターで自分の努力を実況中継していないと、立ってられない」

               f:id:gogoaopink:20190530160108j:plain

理香から拓人に当てられた言葉なのに、筒抜けてぼくに刺さってくる。すいません。本当にすいません。ぼくもこうやって意識の高さをネットに書いてカッコよく見せて誰かに評価してもらわないと生きていけません。ぼくのアイデンティティが消えます。現実でまともに評価されないから別分野で逃げることしかできません。ごめんなさい。イッタラーは所詮そんな生き辛い人間の集まりなんだってね、露呈してくれたよ。(ブチギレから静かになるまでの流れが、総統閣下シリーズを凄く思い出してしまうから嘘字幕いけそう、クソどうでもいい)

ああ、なんで今もこんな言葉いちいち引用して感想述べてるんだろ。どうせ俺は全部社会のせいにしてる甘ったれの甘ちゃんだぜ、、。ぼくが世界の中心にならないとこの弱小メンタルが健全に保てないんだ。そんなこと分かってるよ。それが俺にとって一番生きやすいんだ。拓人、お前だってそうだろ。嗚呼、ぼくも虚無になった、、、、、どうなるんだこの先、、、

 

 

 

 

 

おわった、、、拓人の懺悔だった。

最初から言ってた冷たい心の声はだいたい合ってる。それわざわざツイートしなくてよくない?もっと分かんないようにしろよって思うけど、ぼくのツイートだってかき集めたら個人特定できそうだし誰にあてて言っているか周囲の人ならだいたいわかるよね。直接文句を言えるほど自分は立派じゃないからっていうのがたぶんそう。周囲のカッコ悪さを観察する前に自分のカッコ悪さを見直して見ろよ、演劇やりたいなら素直にやればいいじゃねえかって周りは思ってる。それを自分が一番封じ込めてる。周りが思ってることが案外適正だったりする。それが「社会」で生きていくことだから。俯瞰者はどこまで言っても俯瞰者。熱意はない。そんな自分が当てはまるような場所に適合するのが「職業選択」。拓人の人生は長い。

 

 

 

 ま と め

SNSで虚像を作っている大学生と現実の出来事、うまくいってそうでいってない奴、考えてなさそうで自分を見失ってない奴、本音を出したくても出せないむず痒い環境、綺麗事を言ってる女ほど批判したくなるもどかしさ、色々乖離してるみんな、拓人くん朝井リョウじゃね、、、?と思ったくらい本音が詰まっていそうな気がする。それ以外の人格が沢山登場する朝井リョウ天才かよ、、、とか思ってた。こうやって、私がはてなブログに書いている文章でさえこの本の一種の皮肉対象として混ざりそうだ。発信者側になれば分かる、見せたい情報しかネットには載せない。こう見られたいという自分しか。それは一種の現実の裏返しであったりする。現実でもそのまま意識の高い格好良さを誇っていると思ったら鵜呑みにしない方がいい。ネト充は上手くいってない奴が大半だ。

自分が「何者」なのか、考える年頃である。このブログでさえ、私が「何者」であるかを自分自身が知るために自身の人生を振り返って、文字で書き表しているのだ。書かないと自分が分からない。私のアイデンティティは自分が生み出した言葉の外側にある。若者の生態を顕著に現した、時代の批評ともいえるだろう。

 

現実の意識高いツイッタラーがこれ読んだら死んじゃうよ。幸い身近に留学して海外ボランティアしてます☆的な人はいないからまだましだけど、(まあ少し憧れたけど、、、)現代アート意識高い気取りマンは大学的に真面目にリアルにいて、ぼくは嫉妬の炎で狂わされているから、もう凄く隆良が大変意識の高い男だって分かるんですね。あんなこと本人に言ったらキレッキレに研ぎ澄まされたプライドが簡単に折れてしまいそうだから、そしてぼくもそうだからどれだけモヤモヤした気持ちが合っても言わないし、言えない。けど女子は言っちゃうのかな。言った方がいいのかな、これはあくまで創作なのかな。

みんな痛々しい時のとんがった自分をどうか大切に生きて欲しい。意識高くても「行動」してる奴は偉いよ。悔しいなら俺も行動すればいい、それ原動力。

 

読後は、ずっと女子チームに殴られた気分。

 

 

あ、、、読書感想文嫌いなのに立派に書いちゃってるじゃん、、、、、

ホストを刺した女の子について一連とその周囲

先日Twitterに上がりまくっていた「ホストを刺した女の子について」思ったことと自分の経験を照らし合わせたいと思います。

 

 

 

#グロ画像

#ホスト

#血まみれ

ヤンデレ

 

 

 

 目 次

  1. Twitterキーワードの上がり方

  2. ホストにはまった我が自伝

  3. 「好きで好きで仕方がなかった」の気持ちの行き先

  4. 誰も救ってくれない笑い者、どこかの遠く国のお話

  5. 日本におけるホストクラブの在り方

 

 

 

 

 

1 Twitterキーワードの上がり方

今回の事件の話題の上がり方

  • リアルヤンデレかよwww
  • 犯人がかわいい
  • 新宿こええ
  • 血まみれの写真構図がかっこいい

という世の意見を見た。一体なんだこの事件は・・・と思い画像検索すると、血まみれの女がスマホ片手に煙草を吸い、上半身裸の腹から夥しい鮮血が流れているホストを警官が若干被り気味に事情聴取をしているといった本当に生々しい写真が拡散されていた。

Twitterって恐ろしい。テレビには絶っっっ対に上がらない、まるで隠す気の無い”リアル”を平気で一般人が拡散する。興味本位で見て、これは面白い、漫画みたいだ!みんなが見たら絶対驚くぞ!はいリツイートって。その気持ちは圧倒的に他人本位だし、全部他人事の世界。終わってると思ったよ。

 


  

2 ホストにはまった我が自伝

私はまず、犯人の女の子が気になってしょうがなかった。テレビのテロップに上がっていたのは

好きで好きで仕方がなかった。大体察した。私はこの手の周辺情報、業界事情をすべて把握している。何故かというと、私もホストに本気ではまりそうになったから

 

ホストにハマるのは大体メンヘラです。題しているだけあるだろ。ホストクラブってね、本当にイケメンが揃った現実味のないネバーランドなんですよ。現実世界は目が汚れるようなブッサイククソ仏頂面人間が不本意に視界に入ってしまってすごく萎える時もあるんだけど、この世界には見るべき対象物が店内空間と一緒になって光輝いてるのね。私が興味をすごくもったのは『ねほりんぱほりん』のホスト回でざっくり知ったんだけど、これ絶対はまるな、、、と行く前から思ったわ。興味はあってもさすがに1人で行く勇気もないしハマる予感もしたから自ら行こうとはしなかったのだけど、友達に誘われてしまい、超乗り気で行ったのさ。

友人の友人が働いているという謎の安心感に包まれ、初めて足を踏み込んだ名古屋の夜世界はいかがなものだろうかとこんな夢にも思わないハッピーチャンスを大学4年生で体験することができた。名古屋みさとさんのブログに読みふけって危ない世界に興味津々だったから遂に僕も彼女の追体験ができる、、、!!!と心を弾みに弾ませていたのだ。

まんまとどハマリする。

そこまでオラオラしていない比較的良心的な店と聞き、初回は店内にいるホストさん達が数十分ごとに巡回してくるのだが、それまた常識のありそうな比較的まともな感性をもつホストと共通の趣味で意気投合してしまい仲良くなる(そもそもホストに良心もまともな奴もいる訳ねえだろと言われたのは後日談)。ホストの文化でLINEを交換して担当指名になるというものを知らなかったので初対面でホストと友達かよ、、、と若干焦った。よく訳のわからない世界に放り込まれてしまった、、、と思ったがその非日常間が楽しくて楽しくて楽しくて堪らんかった。現実から逃れたい時ほど目がズレにズレていく。23時頃帰宅したら、早速1通のメッセージがくる。

 

「無事に帰宅した?遅くまでごめんな!m(_ _)mめっちゃ楽しかった!今日はありがと!ゆっくり寝てな!」

 

 

 

 

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、いや、、、、、、、、、、、、、、、

もう、、、、、、、、、、彼氏かよ/////////////////

 

そしてあくる日、「(名前)〜〜〜!!今日は何してるの?電話していい???('・ω・)」

 

授業後に電話する。大学で精神的に孤独を極めていた私は、もう完全に擬似彼氏であった。

 

「沖縄行ったんだ♪お土産お揃いの買ったから!今度渡すな!」

 

いやさ、1回しか会ったことないのにお土産って普通に考えておかしいじゃん。けどさ、その彼の優しさ()が最終的に何を目的としていてどう行き着くのか私は具体的に想像が出来なかった、しようとしなかったのだ。ただその時のコミュニケーションを大切に大切に噛み締めていた。

最初の1週間程度は毎日LINEをしていたものの、日に日にあちらからの連絡が少なくなる。寂しくて仕方のないぼくは自ら連絡をするほどに好きになっていた。いや〜〜定型的な流れに添いすぎかよwwwwwwwww

なんかね、他の人がわかんないからアレなんですけど、すっごく話しやすい人だったの。それで長身イケメンじゃん、そりゃ好きになるわ。ホストの癖に飾っていない感じがすごい好きだったんだよね。素直に友達になりたい人だと思ったし、相手も商売ってのは十分承知なんですが、時折見える正直な心境がポロっと出た時に感じる人間味にどうも惹かれた。店に誘ってこないし、連絡もこないからホスト特有の行動分析をしまくって知恵袋さんにはお世話になった。

好きすぎて自分から押しまくった癖に、自制心が働いてやっぱこれ以上やりとりするとヤバイ(煩悩に支配されすぎて学業に何も手がつかない)よなと思って自らシャットアウトした。そこから連絡は途絶えてしまった。

見切りをつけられたからなのか、私が金を落とさなそうだからか、はたまた私がホス狂にならないように連絡を絶ってくれたのか、どこまでが商売でどこまでが本人の意思なのか僕には複雑すぎて判断ができなかったけど、あの人はとても優しい人だと思う。そんな幻想を抱いてる僕もバカにされそうだけど、楽しい会話、感じた空気感。私と彼のやりとりはまた私と彼にしか分からないのだから。夢の時間をどうもありがとう。

 

 

 

「好きで好きで仕方がなかった」の気持ちの行き先

刺した彼女と刺されたホストは2年ほどの付き合いらしい。1ヶ月で儚く散った僕の愛情とは比べ物にならないものが積み重なっていただろう。ホス狂になる女の子は大体風俗でお金を稼いだ分、全部ホストに貢ぐらしい。それが幸せなんだって。お金を積むこと=彼の幸せ=私の幸せ→彼に幸せになってもらうには?→お店のナンバー1にすること、私が死ぬ気になってお金を稼がなきゃの無限ループ。ああ、恐ろしいね。けどそれが本当に彼女にとっての全てだったら世間の常識とか一切通用しないんだよ。家族と疎遠とか、一人暮らしとか、友人関係が希薄とか、色々な現代的な諸要因が重なって孤独になって外部の意見もないような環境になったら、それがすべてなんだよ。お金がただ沢山必要っていう魔物に囚われて、彼のための幸せをひたすら祈って身を削ることを「幸せ」としている、彼女らは。ただ「幸せ」になりたいだけなのに。形態が違う。

メンヘラって忠誠心人一倍あるのね。これが軍事国家の国民だったら最強だと思うんだな、、、。

 

 

 

4 誰も救ってくれない笑い者、どこかの遠く国のお話

今回の事件の1番の肝です。問題なのは加害者でも被害者でもない。その周囲。

 問題が複合的に絡み合っている。複雑すぎて終着点が見えなくなってきた。

 

その日に流れていて、私がおおよそ確認したTwitterハッシュタグの単語。

#グロ画像

#ホスト

#血まみれ

ヤンデレ

おいおい、漫画の世界かよ、、、と言わんばかりの語彙の強さであるが、この1枚の写真に写る現実の風景をTwitterユーザー、一般層がキャッチーに拡散するための言葉がハッシュタグとして表現されたのだろう。

「好きすぎて刺した」という行為は常人には理解のできない話だ。そんなのはあくまでも空想の世界で、作りものの世界のエンターテイメントとして楽しむものなのである。現実でやっていはいけないことを創作娯楽がやってのけてくれるから自分とは一切切り離して、安全神話に考えることができるのだ。そのエンタメが現実に起こっていたとしたら、多くの人は身近にある似たものから想起するだろう。

なんていうんだ、、、自分がエンタメから理解した作りものの行動原理を現実の人間に照らし合わせて考える、ためにそれ以外の想像力が圧倒的に欠如しているため主観でしかものを判断できないひどい人間が(※Twitter発信者に)多いということ。

 

一般人でも有名になれるSNS世界では、なにかに斗出した人間がより目立ち支持される。テレビで編集されていない、規制のまるでない一般層が作り上がるエンターテイメントとは、芸に秀でていない人間が地位を確率するには良くも悪くも他人とは違うことをし、とにかく目立つこと。それが仮に当事者が目立とうとして行なっていない行為にしろ、個人がたまたま見つけてしまった他人の行動でさえメディアに記録をし世界に発信できる。個人のエンターテイメントが世に理解される機会がどこにでも溢れている。

テレビを主体として世の情報を受け取ることのできる時代は終わった。取捨選択されたテレビ編集局の誰かのそれまた意思のある情報を無条件に受け取り、洗脳された時代は終わったのだ。しかし、それで世の中の人間の目が醒めたのか?醒めるどころか正直無法地帯になってきていると思う。言っちゃえは人間の本来の欲望を表しているような、野生的な姿じゃないか。

あれ?人間って進化してるの?退化してるの?

 

1人の人間の過ちがハッシュタグの中に簡単にエンタメ要素を大多数の聴衆によって内包されている。「ヤンデレ」とか記号的に。見世物か?彼女をいち個人として、心情を理解しようとする人は一体どれだけいるのか、、、心配だといった安易な言葉で片付けたくはないが、この事件の一連の流れに世の動きに対して結構引っかかるものがあった。

その辺の「想像力の欠如」っていうか、エンタメ脳に支配されて「自分で考える力」を失っているというか、、、いやもうほんとマジでヤバイと思う。SNSに流されて、Twitter社に流されて、広告に流されて、誰かの意思によって無意識的に動かされていて、どこまでいっても外側が見えない、、、、、。

「自分には関係のないこと」だと切り離してるのが良くないという論説は腐る程ありそうだから、私の意見として更に違う視点で言わせてもらうと、自分が常識と思っていて、その考えに到るまでの思考もまた外側の権力によって動かされていることに気づくわけがないようになっている仕組みがヤバい。

 

 

 


 日本におけるホストクラブの在り方

 

「愛」は「金」で買える。

 

ホストクラブに行き痛感した。

 

高校生の時から、不思議だったことがある。

栄周辺の大通り、高級ショッピングモールあたりに出没するカップルはなぜ、男側がめちゃくちゃオシャレで高そうなサングラスをかけて一丁前に気の強そうな女と一般人とは浮いた格好をして歩いているのか。僕は普通にオシャレな人が沢山集まってるんだなあ、都会はやっぱ違うなあと素直に思ってたんだけど、気づいてしまった。あれはホストのアフター。

それに気づいてからすごく腑に落ちたのだ。すべての辻褄が合う。ホスト街が近い、ブランド品を買ってプレゼントをしやすい環境、テレビ塔で高頻度で周りがまるで見えてないイチャついたカップルを見る、ホスト業界のお作法を熟知したおかげて、この街の仕組みがヤバイほど鮮明に見えた。すれ違うオシャレな男が皆ホストに見える。この街は全くもって平和ではなかった。

 

 

日本は愛情表現に乏しいと言われる。海外にはジェントルマンがいるので、わざわざ女性をもてなす「ホストクラブ」なんて店は鼻から必要がないのだ。それに変わって、日本の「ホストクラブ」の形体は画期的すぎる。唯一の女性が女性として無条件に大切に扱ってもらえる場所じゃないですか。こんな幸せな所他にありますか?????????????????

「愛情」が満たされてまともな子はいいのよ、そんな人はお呼びじゃないのよ。けどね、そこに需要と供給がうまいこと合致すればなんだって人はするんだよ。なかったらとっくに文化が廃れてる。風俗辞めれなくて、最終的に血肉の愛憎劇になることが後を立たないんだ。何人死んで何人笑ってる。一体どれだけの人が金に狂わされてるんだ。Twitterのホストのアカウント、動画見てみろよ、ひどい人は本当にひどいから。同じネット世界に当たり前のようにそんな人もいて見ようと思えば簡単にアクセスできる。あんなのと普通に会話していたと思うと人間なんて絶対に見た目で絶対判断できないからな。

 

 

ねほりんぱほりん』に登場する女性が言っていたのだが、

「お金を払ったぶんだけ、対価が返ってくる。普通の恋愛ってどれだけ尽くしても裏切られちゃうことってあるじゃないですか。ホストの場合それは絶対にない。明確な指標がある。」

私にとって彼女らの倫理は真っ当すぎた。「愛」は「金」で買う、もっとも効率的な行為ではないか。

 

なのになぜ、安心できない。

満たされない、底を尽きない。

終わりがない。

 

その「愛」って本当に「愛情」なの?

「愛情」ってそもそも何?

 

さあ、これが分からないから「メンヘラ」なんだよ。

本能で知る元来の「愛情」を体得できずに育ったからだよ。

 

アホみたいな金狂いになってるようにみえるけど、彼女らはそうやって学習してんだ。

真実の「愛」を。

 

 

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いつまでも子供ではないが大人でもない。属したいコミュニティは何処か。

 どれだけ年をとっても常に迷っているし、いつも決断は苦しいものだ。

 

 

 

 

 

 目 次

  1. 専門学校

  2. あの時の進路選択

  3. 結局大学はどうだったのか

  4. なぜその時に「迷い」なぜその「決断」をしたのか

 

 

 

今日、専門学校のオープンキャンパスに行った。ゲストに希望業界の講話があったからだ。その専門学校に入る気はさらさらないが、大学を卒業し就活真っ最中の私は少しでも情報を聞き出す事と質問をして顔を覚えてもらおうという気合を入れて申し込んだのである。業界の大人と話す時はいつも思ってるんだ。「いつか、数十年後、あなたと一緒に働くことになるか、取引先か、ライバル企業になってるぜ。」まだ業界に入ってもいないのに根拠のない自信はある。 人に説明する際、既に"うちの業界"って言うほどだから。後に引けないし、引かない。今のところ。

 

 2

専門学校のこの縦長移動の佇まい、懐かしいな。午前中に味気のない蛍光灯とプロジェクターのある薄暗い部屋で学校説明を受ける流れ、私以外ほぼ高校生の子らの元気のない挨拶、受け身がちな姿勢、ださい私服。そういえば今から5年ほど前も私はこのような場所に色々足を運び、進路選択に悩んでいた。私は一体何になるのだろう。製菓学校に行ってパティシエになるのかな、ファッション学校でデザイナーになるのかな、歯科衛生士になるのかな、医療事務のお姉さんになるのかな、パソコンに強い所に行ってゲーム会社を目指すのかな、短大行こうかな。

いや〜夢だけは無限に膨らんだね。専門学校様にオープンキャンパスという甘い、大変あま〜〜〜い汁を吸わせてもらったよ。学校はやっぱ ”学校” って感じ!!!守られている、うん。教育機関を卒業すると見える景色がある。就活しながらよく分かったよ。けども今回のテーマ、「迷い」と「決断」に就活ネタを書いてしまうときっと飽和状態で無個性になりそうなのでメインテーマにはしない。

 

高校3年生の進路選択で、あの時、別の学校を選んでその道に歩んでいたとしたら、今の私はまるで形作られていないだろうし、今の悩みとはまた全く違った方向を向いた人間になっていたのかもしれない。迷いと選択は人類永久テーマ。高校3年生のあの時に戻った気分になり、数ヶ月前まで過ごしていた大学生活4年間をまるっと一度タイムリープさせる。ちょっと箱から抜いてみる。

大学選びに失敗した、というのは同級生含めうちの大学の人は結構言っている。少なくとも自信をもってここは最高だぜ!オススメ!と言っている奴はいない。劣等感を抱いている人が多い。県立落ちの所詮妥協Fラン、的な。

だが私は結果的に、今の大学を卒業してよかったと思っている。終わりが全てよかったから。

通っている時はそれほど楽しくなかったけど。(留年しかけた時以外は)大学を途中で辞めようとも思わなかったし、他の大学に転学してやろうとするほどの熱もなかった。「大学」が何たるものか私は本気で分かっていなかったから(高校の進路選択の時、大学の欄に専門学校の名前を書いてたくらい)、兎に角1年、2年と何を目指して何の為に勉強しているのか分からなかったのよ。先生の面白さの価値観がまるで分からなかったり、意味不明な世界を知った。で、就活をはじめてから自分に足りない所がごまんと見えたり、大学でやったことが如何に社会に通用しないか打ちのめされたわけ。

しかし失敗して、迷走して、自分を見失って、迷って迷って、当たってみて、頼ってみて、ゼロから人脈作って、散々遠回りをして、ここを卒業しなかったら、振り返りシリーズの人(以下)は出会ってないし、こんな劣等感にまみれたブログの内容だって無い。順調に進んでいたらそもそも書こうと思わないよね。失敗したと思うからどうすれば軌道修正できるか考えるし、成功したら考えない。

 2019年に出会った沢山の人を振り返る【 part1 】乙女成分強め - Go aopink’s blog

2019年に出会った沢山の人を振り返る【 part2 】卒制と就活 - Go aopink’s blog

2019年に出会った沢山の人を振り返る【 part3 】自己実現さがし - Go aopink’s blog

 

 

「出会いは ”奇跡” ♪」

という某CMの呑気な言葉は好きではないが、まあ出会った全ての人達に感謝も大事よね。いくら想像で可能性を広げた所で全ては結果論なのだから。まず目の前の人を大事にすること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……さあ!ここでシメにするとキリが良いのだけど、「〜〜〜みなさん、いかがでしたか?♪」といった身も蓋もないまるで解決策にもなっていないゴミ記事は大嫌いなので、言及する。

 

今回の記事を考えるに至った経緯は、専門学校のオープンキャンパスに5年ぶりに行って高校生に戻った気分なり人生の分岐点を過去回想した話であるが、そこから生じる疑問点は何故私が高校生の時に散々進路に迷った癖に「専門学校」を選ばずに「美大生」になったのか。

さあさあさあ、さ〜〜〜〜あ、長くなるぞ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(^o^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 4

大学を選んだのは高校の美術教師の母校で、勧められたから。

まあとんでもなく他人の意思決定に委ねた進路選択になっているのだが、それでもなんでその教師の言うことをすんなり聞いたのかというとその先生が変人で面白い人だったから、というのが1つ。考えて見ると、私は高校も大学も先生に勧められた所に入学していた。勘違いしてはいけないのが、自分の意思がないことはない。性格上昔から拘りが強いことは明白であるので、あそこに入ることはない、と最初から選択肢を除外している。その中から最も妥当な学校を選んでいるに過ぎない。さらに突き詰めて、私が無意識のうちに選択している「先生の意思」の妥当性はどこからやってくるのか。

答えは「人」。

興味の範囲内でコミュニティに属する人の雰囲気」がポイント。

色々な将来の職業選択に迷うだろう。高校選びから、大学選びまで。私の場合、高校で普通科の選択肢はなかった。専門的なことを学びたかったから。普通科に行った所で今までの延長線で勉強をしたくなかったというのが本音だが、ビジョンが見えなかったのが強い。進学くらいしかなくないか?そこで、家から通える範囲で専門的な学科のある高校は、家政科か工業。機械をいじるより家庭的なことをしたいから家政科。(昭和の価値観で止まった男と女で分かれそうな学科の選択肢に近代的な娯楽を一切許さない田舎を感じる)近所の高校は偏差値が県最低レベルで、民度が低そうだから嫌だった。だから通学時間がいくらかかってもまともな人が多そうな遠くの偏差値がそこそこある高校を選んだ。

高校生時の進路選択では、最初に言ったように職を基準にして進路を選んでいた。勉強して良い大学に行く考えはない、親戚周りに学歴の高い人はいないから強要されることもない。勝手にやりたいことやって人並みに稼いでくれって感じ。

オープンキャンパス行って、現地視察っていうか学校とか人の雰囲気わかるじゃない。それでチャラそうだな〜元気いいな〜就職に強そうだな〜綺麗な人多いな〜オタクっぽいの多いな〜とか多少印象が残るんだけど、そんな感じの人たちと一緒に仕事をして生活の大半を一緒に過ごしていくと思うと自分の性格のタイプが違うなと1つづつ判断するようになる。自分が何をすることが好きか、というよりもどういう人達と過ごしたいかが判断基準になっている気がする。

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 色々な方向に興味はあったけど、私は元気な人間よりも静かなの人間の方が好きなのでオタクよりな場所に進学した。「絵」に特化できる自信はなかったので現実味があって潰しのきく「デザイン」を選んだ。(曖昧に「デザイン」を選んだことにより最終的に「人生はデザイン」という哲学的境地に至り、選択肢は増える。実際入ってみて意外にアニオタがいなくて愕然としたんだけど、隠している人が多ければ、やはり興味のジャンルが人それぞれなのでタイプは違った。)

そして、今就活の軸が最大限にブレてしまっている。希望する所に入れない、技術がない、一人暮らしする金がない。三重苦!!! 利益を出せる人間じゃないと、熱意のある人間じゃないと入れない。どうやら就活は職業に「迷う」ことすらさせてくれないらしい。迷走してどこでも良くなっちゃいそうだけど、それは絶対に許さない。数ヶ月足りとも自分の貴重な時間をやりたくないことの為に捧げたくない。私は今までのアルバイトだって毎度拘って探して「決断」してきたのだ。自分の居心地の良い環境づくりのために民度の整った所に属したいし、できるだけ話の合う人と働きたい。

 

 

ツイッターを初めてから人を更に感じるものを見るようになり、「文」で人を判断する事が顕著になる 。興味の方向も今は完全に「人間性」から。どちらかというとこういう人に成りたいかな、という選択で日々の「決断」を下している。ブラックコーヒーを飲む人はかっこいい、音楽やっている人は面白い、モード系のファッションをしている人はこだわりがある、美術やってる人はメイクも心も綺麗、文章強い人は普段からよく考えて生きている、アクシーズブスは舐められる、黒髪の方が大人の扱いをされる、男性的な性格の人の方が話しやすい、などなど、、、

今の私はそういった価値観から形成されたものの結果で、成りたいものを日々追っている訳です。最終的なアウトプットが憧れと同じものに仕上がっているとは限らないけど、これ良いよな〜と思うものを追求して生きたいよね。