メディアに洗脳されすぎたぼくら。ズレた基準からくる違和感。

当たり前。

 

とされて来たもの。行為、生活、思想。

  

最近、全てにおいて疑いにかかっているので、自我が消えてしまいそう。

一回離脱すると、ここまでなってしまうのか。共同体に属していた時、何も疑わずして、将来をふわっと見据えていただけだったが、規範から外れ答えを探し彷徨い行き着いた先の読み物から受け取る思想はどうにも受動的で現実味を帯びない。私が住んでいる、目の前に広がる片田舎の景色はただ平和。帰宅したらすぐさまテレビをつけて笑いながらツッコミを入れる母、何を考えているのかわからない父、母の意見に依存して進路を闇雲に探す妹、日々黙々と畑仕事をする祖父祖母、家庭的なバイト先。この平和そうな日常は果たして大丈夫なのか、一切の楽しさを見出せない、といえば極端だがいささか真剣になってしまった。唯一人とコミュニケーションを取っていて笑顔になるのはブラックジョークくらいだ。

  

 前回記事、 承認要求の答えが出てしまった - Go aopink’s blog

で、学校教育が実はやばい所だったことが分かったばかりなのに更に似た思想をほいほい探し当ててしまった。驚きの速さ。この記事はあまり関係ない。

 

 

  

 目 次

  1. 前置き

  2. 友達の家に泊まった時の会話

  3. 彼女の恋愛パターン

  4. 頭で「愛」を学ぶ人達

  5. メディアと自分の認識差

 

 2

世間の記念的な10連休のお休みムードとは打って変わり、毎日がお休みのような私は卒業間近、本命の企業に振られて2ヶ月ぶりに東京に赴いた。卒業後、東京に就職した大学時代の友人の家に早速泊まらせてもらいに行ったのだ。(学生が終わって2ヶ月しか経ってないのに「大学時代」という過去形の言葉を使用しないといけないことすらもう虚しい。一気に年取ったみたいだ。)僕は大学時代人間関係を完全に諦めてほぼ捨てていたので、22歳で身近な人と本気で話ができる相手がいなかった。彼女とは今まで過去やプライベートに踏み込んだ話はしたことがなかったのだが、そこで修学旅行の夜のように話が弾み、印象に残ったものがあったのでまた色々考えたのだ。

  

  • 私には親友って呼べる人がいない。

  • ちゃんとした「恋愛」をしたことがない。恋愛って難しいね。

この言葉が印象に残っている。彼女は僕から見れば誰とでも仲良くなれる超人的コミュニケーション能力を持った人である。彼女は言う。

「誰とでも仲良くできるんだけど、それ以上の深い関わりがない。壁ができちゃう。」

「誘われることはよくあるんだけど自分から誘うことは全然ないな〜。だから、オタクみたいなどこにでも一緒に出かけるみたいな親友っていいなーって思う。」

 

 

 3

主導的に見えて、意外に受動的であった彼女。私と真逆な関わり方ができる彼女は心底人間関係など困っていないのだろうと思っていたが彼女なりに思うところはあったらしい。やっぱないものねだりなんだな。自分が当たり前のように行っていることが、他人の形態を知ることによって正しいのかなと不安になってしまう。それが珍しければ珍しいほど。誰しも不安なんだ。

彼女の在り方として、特徴的だったのが必要とされている場所に当てはまっている、ということ。

本人は周りに流されて生きているのような物言いだったが、話を聞いた感じだと彼女は、自分にとって必要なものを確実に選択している。そこに女の子だから可愛いものを選ぶ、例えばピンク色のものを持つとかスカートを履くとか、周りの子がそれを支持しているから一緒になってそれをするといった、自分以外のフィルターに惑わされていない生き方をしている。彼女は人当たりが良いから、恐らく人間関係はそれに付随してくるだけなのだろう。しかし親友と呼べる人がいないのが不安らしい。

「親友」と呼べるものは2、3人くらいいた方がいい、と一般的に言うがそれは果たして全員に当てはまることなのだろうか。必要がなかったら別にいらないんじゃないか。必要だったら自然とそういうカテゴライズをされた形態になっているのではないか。自分のことは主観が混じり合ってよく分からなくなるが、人のことほど真っ当に考えることができる。なんだかなあ、、、。

 

彼女には彼氏がいる。勘違いから始まった出会いらしい。

本当に好きな人、例えば好みだと思ったイケメンには絶対に近づかないらしい。

 

彼女の場合、面白いと思った人には先入観なしで真正面から関わりに行く。彼女にとってツボにハマるポイントがオタクっぽい男性だったので自ら仲良くしに行ってしまう。恋愛感情ではなく友情として関わりをもったのに仲良くなったら、好きなのかと勘違いされて告白されるパターンが多いらしい。だから、自分から好きになった人と付き合ったことがない、ちゃんとした「恋愛」をしているのか自分でも分からない。本命にはならない人ばかり寄ってくる。一般的に付き合う前が1番盛り上がり、付き合ってからお互いをよく知り、数ヶ月後に倦怠期、徐々に落ち着きを取り戻し数年間付き合うことができたら結婚といったテンプレート。これが恋愛から結婚までの男女の出会い方のやり方、、、、といわれる。

考えた。この場合の「好き」ってなんなんだ?「本当に好きな人」って実は世間のテンプレートが作った幻想、つまりは頭で考えた、無意識に擦りこまれた知識に対して、自分の形態が微妙にすれ違っていることに違和感を感じているのではないのだろうか。

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学校で人の愛し方は教えてくれない。健全な親子関係から「体得」するのだ。頭で考えるのではなく無意識に心で感じる。では、愛されなかった子はどうやってその人間の根元欲求を満たせば良いのか。自ら考える、知る、「勉強」していくしかない

例えば女性の場合、少女漫画を読んで恋愛の仕方を学ぶ。異性のことはこうやって好きになっていくのだと。10代で女性向け雑誌を読んで、年上の男の子の落とし方を学んだり、高校での友達の作り方を知る。それが「人を愛する」やり方なのだと学ぶ。そして、それをいざ実践してみてどうだ。ナチュラルメイクを実践してナチュラルブラウンの眉毛で口紅をコーラルピンクにした女を好きだと錯覚するような男はその装いが恋愛対象になるべき人間だとメディアによって学習している男に過ぎない。学習した男女が頭で考えた偽りの恋愛を築いているだけなのだ。そこでくっついた奴らには大抵歪みが生じるのだろう。俗に言う倦怠期というやつだ。そこで別れることなく続いた関係でようやく互いの本当の性格を見直し虚像を取り払うことによって、偽りの恋愛というメディアの呪縛から解き放たれ、本物の人間関係を築いていくことができるのではないだろうか。

 

男性の場合、性欲が多感な時期にセックスの仕方をAV動画で学ぶため、実際に初めてする時、まるで全然気持ちの良くない満足しないセックスで終わる、と聞く。人対人の極めて生物的なコミュニケーションにファンタジー快楽やエンタメ性の強い社会形成された一般論を持ち込んでいるので、目の前の一個体との愛が築ける訳がない。(セックス目的を性欲処理とするか愛かで意味も変わってくるがこの場合、愛)

余談として、疑問が浮かんでしまった。だとしたら「人は学ばないと性行為をすることさえないのではないか」だ。これについて考えだしたらキリがないが、面白いものを見つけたので以下貼っておく。

 

 5

話を戻そう。

そこで彼女の必要とされている場所に自然と当てはまっている行動の取り方は極めてメディアに影響されていないし、自分軸をもっていると思った。追い越せなければ追い越せるようにすればいい、出来なければ出来るようになればいい、これくらいに現実を見据えた人だ。つよい。ぼくにはできない。

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これまたメディアという大きな枠組みに自分は影響され動かされていることが分かってしまった。

そこに個の居場所はまるでなく、理屈で学ばなければ本来の生き方さえ知ることができない。我々は集団として機械を目指していたのか。中国・北朝鮮のように情報規制されていたら知ることすらできず一生奴隷精神で生涯を終えていたと思うと恐ろしい。その点まだ、生命を脅かすほどの悩みではないだけ日本は平和ですがね。死んだように生きている、とも捉えられますが。つか、緩過ぎだろ!!洗脳教育で奴隷にしたいならもっと徹底的にしろ!!!

メディアに全く踊らされずに現代を生きるのもそれはそれで楽しめないと思うけど、この商業で回っている世の中をほどほどに利用して楽しんでやりたいなと思うのでした。

承認要求の答えが出てしまった

 目 次

  1.  すごい人になりたい欲

  2. 成功したい欲

  3. 承認欲求

 

 

なんとなくすごい人になりたい。

すごい人になりたくて仕方がない。

 

昔から自分は大器晩成型だから、「30代ぐらいには業界の重鎮に絶対なってる」ってめっちゃ妹に話して持論を展開している。

物心ついた時からネットの住民だったんで、twitterの存在自体は知っていたが個人情報の流出が怖くて一切手を出しておらず、まとめサイトとかリアルタイム検索とかで世論の把握をする程度くらいにしか閲覧をしかしていなかったんだけども、大学3年生で1人暮らしを始めたのをきっかけに話し相手いなくなるからいよいよ登録しちまうか、、、と思って始めてみたら、ちょっと斜めから傍観者的に見据え想像していた世界とはまるで違った。なんかもっと「おなかすいたー」「自撮りー」「あれきもい」とか一般人の本当にくだらない無益な情報ばかりを投稿して楽しむものだと思っていたら、あれって超有益な情報収集ツールじゃん、って実際やってみて気づいた。表面的なものしか見えていなかった。すっごい人とまるで友達かのように個人的な情報を得る事ができる、すごい人の普段の生活習慣、思想、物の見方、感性、が全部情報としてダイレクトに知ることができる。友達いないとなおさらtwitterで人を感じてしまうので、すごい人と友達になった気分にまでなってしまう。考え方、興味、関心ごとまで全部その人達に引っ張られていって、世界観が全て変わってしまった。同世代の若手ランカー、ばかり見て心の友にしている。フォローしている人によって、タイムラインの感じ方は全く変わってくるのかもしれないけど少なくとも私はそうやって脳が勘違いしていった。

 

そこで履き違えてしまうのは「なぜ私はすごい人ではないのか」。

無意識に比べてしまう環境がある。

俗に言う、「承認欲求の塊」。

評価されている人がすごく見える。そして、特にすごくない自分が外野のような感覚、に襲われる。距離が近いぶん、同じ土俵に立ったような気分になってしまう。会いに行けるアイドルへの勘違いはまさにこのこと。

大学でも、クラスの中ではできる方ではなかったし、周りが最初から技術面で優秀な人が多かったので、制作した作品について目立って評価されてこなかった。コミュ障極まってクラス全体における自分の立場からヒエラルキーの格差も感じて、劣等感拗らせることしかなかった。大学の文句は別記事でたっぷり言及するつもり。

 

同級生が学生の枠から飛び出て、メディアにでて仕事として成立し能力を認められ、成功している(ようにみえる)のが羨ましくてたまらない。実力ないくせに嫉妬心メラメラ。

無職(フリーター)極まって、毎日、人生について、本当の幸せについて、どの会社が本当に向いているのか、どうすればイラストの仕事貰えるのか、なんてことばかり考えて1日中 Google Chromeにタブ50個くらい開いたままPCに這いつくばってる訳だけども、ある日「若くして成功するには」とググり、「成功する人の10の習慣」「成功する人の考え方」とか自己啓発チックな結果ばかり出てくる中、1つだけ真逆のタイトルがでてきた。瀬田乃安さんの『若くして成功する悲劇』

 

 昔を振り返るに、若いうちほど成功したいという思いが強い気がします。若くして成功する人を見ると多くの人が羨望の眼差しで見るからでしょう。

 しかし、還暦を前にして思うのは、そんなに若いうちに成功したら苦しいだろうなっていうことです。若いうちに結果を出す人には世間も大きな期待を寄せる。そして、その期待に応えることが使命だと思い込んでいる。

 ネットの普及は、そうした期待や声援や称賛をリアルタイムに大量に届けるという状況を作ります。そうした状態が成功者を更に追い込むことになるのでしょう。そして、思うような結果が出なくなると、絶望に苛まれるのではないかと思うのです。

 しかし、そうした人ばかりだと世間もそういうモノかと思うのでしょうが、超人的に結果を出し続ける人がいるのも事実であり、そういう人がいる以上、結果を出せない人への風当たりは強くなると思います。

 若いうちはプレッシャーに苦しみ、老後は、プレッシャーがないのに苦しむ。それは、他力本願であったということかもしれません。自分で考えて行動するのではなく、周りの評価で行動した結果ではないかと思います。

 若いうちに成功しなくて良かった^^と心底思うのです。成功したくて出来なかったくせに何を言ってるんだ!と怒られると思いますが、結果良ければ全て良し!ということではないかと。

 若いうちは余り成功に捕らわれることなく、自分で考えて行動するということを心掛けて生きていけばよろしいかと思います。
(一部省略)

    https://ncode.syosetu.com/n3472eb/17/(小説家になろう)

 

成功したいと思ってしまうのは、成功したことがないから。成功した人の気持ちだって分からないし、表面的な部分しか見えていないことだってわかっているけど、私は世間しらずの若者なので成功して色んな人からの賞賛を浴びたい!評価されたい、認められたいと思ってしまう。が、瀬田さんは成功はするな!とおっしゃっている。

 

 この人が面白いのは、学校教育を真っ向から否定している所。

学校で勉強するからバカになる

学校で勉強するからバカになる

 

 

   『正しい欲望の見極め方』

欲によって動く人間のメカニズムを上手く利用したシステムが資本主義であると言いたいだけです。

 人間には様々な欲望があります。かつて三大欲望と言われた、食欲、睡眠欲、性欲は近年非常に不安定なものとなっている。それに代わって台頭したのが承認欲ではないかと思います。

 過食症、拒食症、睡眠障害、性欲減退など、かつての三大欲求は様々な問題を抱えているのに反して、承認欲だけは留まるところを知らない勢いではないでしょうか。

 今や世界は承認欲で動いていると言っても過言ではないでしょう。

 資本主義を動かすには三大欲ではダメなのです。きっと、三大欲だけなら、こんな発展は遂げれれなかったのではないでしょうか?つまり、資本主義を動かすには新たな欲が必要だったということです。

 もちろん、それを育んだのが学校教育ということ。みなさんは、学校で資本主義に必要な新たな欲望を持たされたということです。自分で持ったのではなく持たされたということに注意してください。

    https://ncode.syosetu.com/n4242dy/70/(小説家になろう)

コラム全編『選ばれし者たちへ』 https://ncode.syosetu.com/n4242dy/(小説家になろう)

 

 

問題はなぜ私がここまで、すごい人になりたい、成功したい、認められたい欲求に囚われているのか、だ。

「承認欲求」ってただの個人のメンタルの持ちようだったり、自己肯定感が低いから自分をもっと認めてあげよう♪褒めてあげよう♪大切にしてあげよう♪といった、クソネガティブ人間にポジティブシンキングをイマイチ腑に落ちない解決方法で押し付けられている風潮がある。こんなの納得できない。

どれだけ検索をかけても、「自己肯定感」が低いのは幼少期の家庭環境が悪いだの、親に否定的に育てられてきただの、もうそれって発育環境が全ての起因であって人格形成もメンタルまで全部それ。それって自分が生まれた家庭を恨むしかないよね???生まれる親を選ぶのだって、運のうち的な記事も読んだけどそんなの知るかですわ。

これだけメジャーな用語になっているのに今の10代20代みんな家庭環境悪いのかよ。うちもなかなか閉鎖的な家庭だったから、外部交流も希薄だし、よそ家庭の事情もそこまで知らないけど、、、

他の記事であったのは、今の昭和の親世代は色々発達して豊かじゃなかったから割と根性論で生きていたため、褒めて育てるというよりは、厳しく育てるのが主流だったからそういう世代の特徴があるという話。

ここまでくると、個人の引き当てた運が悪かった自分の運命を恨むしかなくなる。メンタル良好で、健やかに生きている奴がひたすら妬ましい。

 

 

 

 

そこで瀬田さんの記事を見つけ、世の真理を見つけたかのような発見があり、全て読ませてもらった。

元凶はなんと 資本主義 !!!!!!!そして、 学校教育 !!!!!!!!!

 

正直、こんなスケールのでかいものが原因だとは思わなかった。そりゃそうだ、信じて疑わずに当たり前のように過ごしてきたから。そもそも争ったら社会的に死ぬ。普通頭おかしい。

だが、個人的な家庭環境アレコレより、これが1番しっくりきた。自分のせいにしたくないから、環境(社会)のせいにしているのかもしれない。けど、学校教育こそが承認欲求を拗らせているのであって、競争社会こそが不安の原因だってことがすんなりと腑に落ちたのだ。

 

前回同様、自分のよくわからない根元欲求の正体がいつまで経っても見つからない時はまず前提条件を疑う。この場合は学校教育が諸悪の根元であったということ。資本主義は三角形ピラミッド、上流階級が少数いて下流階級が大勢いて支えられている。必然的に競争するのは当たり前の世の中であった。成績は1位からランキングで示される。あいつよりできる自分はすごい、あいつよりできない自分はすごくない、当たり前に植えつけられてきたやり方であったではないか。な〜〜〜ぜこんなことを普通にやってきたのか、怖い、怖くなってきた。

企業は利益を出すために競争をしなければ生き残ることができない、お金が発生するしそれは当然のことなんだけど、教育の場合はどうだ。今まで生死を競うものではなかったが必然的に競争し、序列をつけることを強いられてきたではないか。(将来役に立つからちゃんと知識として勉強しておかないといけない、という話は置いておいて)何故私たちはテストの点数や成績を競い合っているのか、それはいい高校・大学に入るため、何故優秀な大学に入ってSPI勉強して面接対策クソみたいにやって、クッソどうでもいい社会人マナーおよびメール定型文ESテンプレートを覚えないといけないのか。それって全部、資本主義に適合するためだったんじゃん!!!!!!!!!!!!!ふぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

試験勉強って、資本主義適合チェックだったんですね〜〜〜〜??????

不適合は足切り足切り〜〜〜ってことか!!!!!

すべて解決!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

こんな競争社会だからこそ、やりたいことより自分にできる事を仕事にしろと言われる訳だ〜〜〜!

それ早く言ってくれよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

そんで「好きなことして生きて行く」のYoutubeの代名詞が若者の間で流行って、時間に拘束される正社員がだけがすべてじゃないし終身雇用もなくなって転職しやすい時代になったし、フリーランスでもフリーターでも寛容な風潮になってきたのは資本三角形が徐々に崩れつつあって民主主義へ移行しているからなんですね〜〜〜〜〜???

 

 

だから社会の授業で、最初にあ〜んなに資本主義と民主主義を覚えさせられたんだ!

これがすべて!!もう永遠の課題!!!時代だわ、時代!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それが分かったところで、私どうやって生きて行くの!!!!!!!! 

漫画 君たちはどう生きるか

漫画 君たちはどう生きるか

 

読んだ事ない!

 

 

 

おわり!

恋愛だと思っていた行為は自己愛の享受なのかもしれない

私は片思いしかできない。

 

最近、大好きな人に 人生初めての告白をし、また1つの恋を終わらせた。

なぜいつも猛烈に片思いをして、妄想と情熱を燃やしに燃やし成就することはなく悲劇のヒロインで終わってしまうのか、自分の「恋愛」といっているもののソレは世間の健全なコミュニケーションのとれたカップルと履き違えているのではないかと思って、暫し冷静になって考えようと思ってしまった。このところ、人生全てにおいて振り返っている気がする、、、

今まで、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学いつも好きな人はいた。自分の恋愛史を振り返ると恋多き女だってことが友達に打ち明けて、喋りながら納得しちゃったんだけど、私はその時々真剣に思いを巡らせているわけだ。なんで自分の形態ってこうなんだろうって真剣に考えないと、この謎を究明しないと、これから健全な恋愛ができない。それが君なんだからそのままでいいじゃんってなればそれでいいのかもしれないけど、何だろ。答えとしては悩みに悩んだ結果、出ている。ただ、現実を見たくないだけ。

A. 恋に恋してる自分が好き。

じゃあ、どうして自分がこの状態にあるのか。今度はそっちが気になる。究極の自己分析ならぬ、自己恋愛分析。こうやって既に答えが出てる癖に、さらに問題を自分で見つけては順繰り順繰り思考のループを辿って、ビミョーに納得しては納得せずにいる。行き着いた答えはまあ、タイトル通り。

 

恋愛コラムは読むに読みまくってた。相手の些細な言動、行動すべて気になることをGoogle先生に検索かけて頭で分析して、行動原理および心理把握して相手の気持ちを測って、分からないことを一生懸命理解しようとしていたのかな。

自分の感情や思いを忘れないようにするために書き殴っていたメモ書きの日記は誰にも見せずに墓場まで取っておいた方がいいやつかな、、、、、、、、、こういうのって本人が知ったとしたら普通ドン引きするのか。私がそういうのを見たとしたら、まず感動するだろうね。私の事、何も知らない癖に私についてこんなに誇大妄想を広げていたのか!すごい!!!気になる!!!ってなっちゃうだろうな。

私のことをストーカーしたくなっちゃうほど好きになってくれる人がいたとしたら、一体どんなところに惹かれてそこまでの何かを掻き立てられてしまったのか知りたくなる。視点を変えて、本来の自分を曝け出した時、それはそれで相手との価値観が合致すればホンモノになれるだろうな、、、

「されて嬉しいことはするべきだ」とはいえそこは一般論と個人的趣向を履き違えてはいけない気もする、うん。キッモって思われて、思い出すだけでゾワゾワするなんて印象を与えてしまったら、お互い嫌な思い出で終わってしまう。そういう終わり方は避けたい。

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今回、大学生活を経て膨大なマンガのような恋愛エピソードがあることは一旦置いておいて、自身の恋愛パターンについて分析したい。

就職活動履歴書の正しい答え方のように結論からいうと、私はどうやら頭で恋愛をしているっぽい。仮説をする。恐らく、自分はこの人が好きなのだと自分で思い込んでいる。そして、その状態が人と恋愛をする正しいやり方なのだと思っている。

いや、当たり前っちゃ当たり前なんだけど、好きなのだから。好きなんじゃん。女子高校生が部活動のイケメンの先輩見て一目惚れしちゃうとか普通にあるじゃん。健常に正常に青春の1ページを刻んで、甘酸っぱい記憶に残るなり成就するなりすればいいんだけど、日常的にそこまで感情を純粋に表現できる人間じゃないので、当方至って苦しい。

肝心な今まで見てきた恋愛コラムを参考にしながらグダグダと論じればいいのだが、探してURL貼るのも面倒臭いし、もう読みすぎてたぶん頭の中に叩き込まれているだろうから自分の言葉で書くぞ!!

(経験としてはたまたま大学の友人と恋愛の話をしていた時に、彼氏の行動原理が手に取るように理解できてしまいアドバイスをさらさら言えてしまった実績があるため、これ手の知識は完璧に組み込まれている)

前置きが長い。

で、難しい熟語で表したかったからタイトルに「自己愛の享受」とまとめたんだけど、少し前にこれだ!!!!自己愛の享受だわ!!!って発見したため新鮮さがどうにも薄れてしまいその時よりも的確な答えを忘れてしまった。

 

 

私が恋をする上で行なっていることが、自分を好きになるための確認行為なんじゃないかっていう里見八犬伝。恋に恋してる自分が好きだってこと。

けどこれっておかしいよね。普通、相手のことが好きで恋愛って成り立ってるはずなのに自分を愛するために相手を好きになるって。

相手を好きになること=一般的な恋愛

という前提条件を取っ払って、

相手を好きになること=自分を好きになること

という仮説が立った。考えても解決しない問題とは、常に前提条件を疑わないと話が進まない。今まで真剣に向き合おうとも思わなかった問題に向き合ってみるとスッキリする。

 

小島さんの記事(下記)は、そんなに関係のある話ではないけど正に自分のモヤモヤと世間の常識を一回疑って見て、自分をそれに定義づけるというスタイルで解決した話。ほほう、納得〜〜〜となったんで、このスタイルは結構好きなんで積極的に真似していきたい。


 

人を好きになる傾向として、まず条件。

  • 細身のイケメン
  • 皆に対する優しさではなく、個人に当てられているだろう優しさを感じ取れた時
  • 気がありそうな瞬間を感じ取れる行動

こんな少ない条件ですぐ落ちる。ちょろいな〜〜〜。Fall in Love.

落ちたら急転直下なんだけど、いつもね、相手との熱量の差があると思うのね。たぶん相手はそこまで思ってないわ。話して悪い奴でもなさそうだし、見た目もそこそこだから好意を示しておいて損はない、くらいのノリであろう。私はそこで勘違いをしてしまう。自分に向けられた好意を少しでも感じてしまうと途端に嬉しくなって私のもっとも求めてしょうがない「恋愛」に発展する可能性があるのではないのかと。

そこで自分のモチベーションを一気に高めて、相手の分析を始める。目はどこをむいていたか、何を話していたか。そんで、自分からLINEでデートなりきっかけなどのアポを必死で持ち込む。

たぶんこの辺だ。この辺から男女の熱量の差が生じている。信頼関係をろくに構築していないにも関わらず、女が積極的に好意的に話を持ちかけている。この時点で相手にとって異世界人。

で、私も何が何でも目的を達成しないと落ち着かないタイプだから、相手を絶対に否定しない、気を悪くしないであろう言葉を選びとって"女子"を演じているだろう。一応常識の範囲内でしつこい女に収まっているはずだから、ブロック・ミュートされるほどネット映えする強烈キャラな痛い人間にはなっていない。

 

私のポリシーとして、明日のナージャに登場するローズマリー大先生の名言。

「優しくて可愛くて、誰からも好かれてるってだけじゃ、幸せになんかなれないのよ」

及び「幸せは自分の手で掴むのよ」といったお言葉は、私の行動の軸になっている。 この女は大変強い。

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行動しないとなにも始まらない」のだ。この世は残念ながら少女漫画のように自分が動かずして周囲が都合のいいように変異して、喜ばせてくれる所ではない。ほっといても好かれる愛嬌のいい娘はモテるから恋愛欲に狩られることもないだろう。私の場合、昔は健やかに片思いをうっすら浮かべ、自分からグイグイ行動するなんて烏滸がましい・・・と日本古来の奥ゆかしい女学生のように消極じみていたが、高校生あたりから自分から行動しないと何もはじまんねえなという事実に本気で思うようになってから自分で掴みにいくスタイルを確立した。

 

男性とデートをすることによって、自分が女であることを改めて自覚できる。私は女の子として女の子を振る舞うことがきる。人だかりの駅や水族館やカフェで2人で共にお話ができたり、電車で隣に座ってくれたり、ちょっと手が触れちゃったりするのが単純にドキドキして楽しいんじゃなくて、それっぽい振る舞いをできている自分が嬉しくてしょうがない、のか。ドキドキはするんだけど、それってもしかして相手が純粋に好きで楽しくてしょうがないの好きじゃなくて、緊張から来るものを脳みそで後から"好きな人とドキドキした思い出"と定義づけているんじゃないのか、、、それがもうゴールになっちゃってるんじゃないか。

リアルの五感で味わう刺激的な現象を得ている瞬間は、"好きだ"って感情が消え失せているかもしれない。相手にどう見られているのか、ばかりに気を取られていてうまい返事ができていない。私は本当の意味でコミュニケーションが取れていない。相手と向き合っていない。

事実として、家に帰ると相手のことを思い出しながら妄想して、"好き"をさらに固めた上で好きな理由を固めて、ああ好きだなと思っている所。直接会っている時よりも、会っていない時、例えばLINEで会話している時の方が"好き"の気持ちが圧倒的に強い。なぜか。自分の思い通りの想像の余地があるから。

直接会ってる時は想像もクソもない。目の前に物体は存在しているから。事前にこれ話そうあれ話そうと会話内容をシュミレーションしていたとしても、絶対ペースが崩れる。そもそもシュミレーションしている時点で、

 

(自分)ーーーー(((意識)))ーーーーーーーーーーー>(相手)

         ll壁ll<ーーーー(((意識)))ーーーー

一方通行にしかなっていないんじゃないか。届いていないというか、、、

現実の男性から、虚像を切り取ってそれを恋愛に置き換えて脳内変換して楽しんでいるだけなんじゃないか。となると僕は一体何を見ているのか、そう、頭で考えた恋愛の幸せを享受している。

 

頭で考えた"幸せ"を現実から変換して受け取っているこの行為は、さらに飛躍し自分を愛することに繋がるという答えがでた。冒頭のアンサーのように「恋に恋している自分が好き」に帰結する。

実際に会った時の情報から、妄想の糸を手繰り寄せて、何倍にも膨らませた「もしかしたらそうかもしれない話」を何時間でも話していられる。脳に余裕があるとすぐにそっちの妄想にリソースを割いている。朝起きて、自転車乗って、ぼーっとしながらバイトして、twitter見て関連したものを見つけた時、そいつの思想に似たものを感じた時、会話内容からすべてをほじくり出して全部広げている。自分のものにしている。

そうやって想像して、会話と行動内容を見つけ出して合点のいく形で論を広げるのが楽しくて仕方がない。その自分にとって楽しい行動、楽(らく)な行動をすることが自分を大切にする、愛することなんじゃないかと。

恋愛はゲーム(遊び)だ、って感覚とどうにも似ている気がするが、そう言っちゃうと印象が悪いな。ゲームだと思っていて人の気持ちを弄ぶのが目的な本物の遊び人とはちょっと意識が違うと思うけど(ああいうのは対象を困惑させて自分に意識を向かせることで快楽を得る、かまってちゃん)、なんか恋愛の定義がズレてる根本的な原因は同じだ。"ゲーム"と捉えると悪に聞こえるし、私の場合は"自分を愛するため"に相手を利用させてもらっている善行なんだ。正当化した綺麗事だけど、幸せになるための。

 

 

私の"恋愛"認識は自己愛の享受ということがわかった。

そして、恋愛=コミュニケーション=就職活動

という答えは真実だと思う。まさに人は適材適所。

下記、藤本シゲユキさんの記事は、相手のことが好きすぎて依存傾向に走りメンタルがやられていた時、1日中読ませていただいた。男性視点の非常に現実的な指摘は、私のような夢を見てしまう残念な現代の女の教科書であり、クソみたいに長いウジウジした女の恋愛相談のコメント欄を見ていると、メンヘラの大切な受け皿になっているなあと思ったり、、、

 

そして、問題なのは私の中の定義が

恋愛 ≠ コミュニケーション(素直な自分でいることができる)

ということである。コミュニケーション、、、、つまり話していて楽しい、素直に会話ができる人間は私にとって恋愛対象には絶対にならない。ドキドキ、キュンキュンする人じゃないと恋愛ではない。

だとしたら妥協点はどこか、

  1. コミュニケーションが自然にできる人こそが真の好きな人であり恋愛対象とする(既存の価値崩壊)
  2. 虚構の恋愛をし自己愛を認知した状態で納得する(継続)
  3. 同じタイプを探す(新しい選択肢)

1に関しては、いい加減夢から冷めて、自分の考えを折らないといけない。たぶん友達のように仲良くできて素をだせる人が本物ってこと。結婚、将来の伴侶に近い。

2は今後また魅力的な人間が現れて、ああ多分この人のこと好きになっちゃうだろうなってのが経験上体感的に分かるから、必要に関わらないようにする、自己防衛おばさんになる。もしくはこりゃ叶わんだろうな〜〜〜って諦めながら、仕方なしに妄想を広げておく。

3は見つけるのが難しそう。同じく、コミュニケーションが素直に取れてしまったらダメって考えの人を探さないといけない訳だから。これは嘘つき同士が付き合うってこと。セフレってことか。素を出したくない人同士がどうやって出会うのさ、初っ端からセフレになろうぜ!なんて公言できるほど性にオープンな世ではない。広告サイトにありそうな無人島でセックスパーティーをする海外の人達並みに一見世紀末と捉えることのできる場所に身を投じたいとも思わない。言うなれば疑似恋愛か、『クズの本懐』を思い出してしまった。あれくらいが理想。頭で恋愛しているタイプを探すのは難しそう。一目惚れとかで告白されない限り。

クズの本懐(1) (ビッグガンガンコミックス)

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note.mu

もしその人が病気という障害を取り除いた後の自分の能力が大したことないと気づいてしまった場合、それは本当に幸福と言えるのだろうか。むしろ病気や障害を言い訳にして理想の自分を夢見続ける方が幸せな場合もあるかもしれない、と。
幸せへの道も、自分の不幸の原因も、みんなきちんとわかっている。ただ、『ちょっと不幸』でいつづける方が楽なのだ。
何かのせいにしつづけていれば、ちっぽけな自分に気づかずにすむから。
自分と向き合うことは辛い。だから人は何かを身につけたり環境を変えたりと外に原因を作って、自分と対話する時間を作らずにすむように日々を忙しさで埋めようとする。

ちょっと不幸なままの方が幸せ、できない言い訳ができる余地を残しておいたまま幸せを望んだり夢を持ったりしておいた方が案外現代人にとって精神的に居心地がいいのかもしれない。真っ正面から向き合うと死んでしまう、ってあたりがそのまま自分のモヤモヤを取り出ししてくれていた。

「不幸」であることを自ら選び取っていることを意識的に開示してくれて、それを肯定してくれた話ってなかなか巡り合わない。少し関連した余談。

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考えなくてもいいことを沢山考えてしまうので、やるべきことに集中できるようになりたい。切実に、、、。

就活2周目の不満感と初めての内定

一昨日面接して、その日の夜にほぼ内定の電話がきた。

 

入る気は全くなかった。

 

大学で紹介された(登録させられた)就活エージェントを介して、紹介された会社。

既に卒業したお前を雇ってくれる寛容な会社はここくらいしかないって。

職歴に空白期間が空くのは今度のキャリアを考える上で傷だって。

せっかくの大卒が勿体無いって。

正社員やりながら夢を追っていく人が大半だって。

 

 

 

 

 

 

 

 

うるせえええええええええええええええええええええええええええええええ

しらねええええええええ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

だまれええええええええ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

こっちの事情も知らないくせによく言ってくれるわ。

外側から見てるやつはよお、いくらでも言えるんだ。

準備を固めろとか、着実に稼ぐ方法を考えろとか。

そんな保守的で確実な方法を冷静に模索している間に、目標に掲げる情熱なんてとっくに消えちまってるよ。

何も知らないくせに。

情熱もクソもない現実主義め。

 

石橋を丁寧に渡った奴はその後幸せになってのか?

フリーターから正社員に絶対なれないなんて法律じゃないだろ。

今は無理だからある程度妥協してきた奴らが、 視野を広げてエージェントに頼んでやってんだろ。

そこにはある程度フィルターがあるじゃないか。

現実を見れない本物の馬鹿(いい意味)はそんなことすら視野に入れてないからな。

正社員っていう安全で時間を取られる職に就くなら、1人でやりたいことずっとやってんぞ、性分的に。

 

 

今回の面接だって、今までの失敗経験からできる限りの仮面を被り微妙な入社意志と使える人間アピールをしていた。微妙な間と、微妙な吃りと、微妙な緊張感と、微妙な作り笑顔。

最近やっとわかってきたけど、会社のこと調べるのめっちゃ大事じゃん、、、、、って気づいた

私はいつも自分が履歴書に書いたことすらまともに覚えきれずに面接に挑んでいたけど(単純に余裕がなかった時期とか、やる気のない会社とか)、自分の手持ちの面接用テンプレート文言集が完璧に暗記できていなくても、会社や職種について知っておいて何が必要とされているのか知って入れば、自然と言葉がでてくるんじゃないかって、、、、、

だから、職種についてわかってないと熱意も言葉もまともにでてこないんだよな、、、、

 

面接後にエレベーターで一緒になった子に話しかけたら20卒の1こ下で、自身の経緯を話した流れで「あ〜、面接練習的なノリですかー?」って言われて、その言葉は私の本心と相違はなかった。改めて、他人に言われるというか確認をされると、私はひどくひどい人間な気がしてしまった。

面接官の人事だってどこまでが面接用の仮面を被って求職者にいい人ぶってるかわかんないけど、態度・要所に出る発言が全部嘘なことはないだろうし、たかだか数時間で初対面の人間に興味をもつのは不可能でしょ。

今回も少しづつ磨いてきた、「自分の経験は御社に適合してますアピール」がんばったよ。

自分が割となんでもできる=特筆した点がないっていう点が1番嫌いなのに、そこが評価された。そんなの誰でもできるし、誰でもいいじゃんって解釈にどうしてもいく着く。私じゃないとできない理由がそこにない。

まあ、ただ内定をもらえちゃったことによって仮面 vs 仮面の土俵にしっかり乗ってしまったんだろうと思うと酷く虚しく、私も残念な作りものの汚くつまらない人間になってしまったものだと思った。

こんなんでいいの。

ガツンと小学生みたいにやらかして怒られるくらいがちょうどいいんじゃないの。

 

今まで割と面接やってきたけど、初対面の人にいきなり個人情報・経歴をさらけ出すこんな行事、茶番を繰り返して、落ちて自己嫌悪に陥って、また受けて、書類通って喜んで、気分を何回も何回も浮き沈んでバッカみてーーーーーーーー

見えない社会風潮に踊らされてるだけな気がしてきた。

 

なんにせよ大学時代はぼっち貫いてきたのに、就活やって否応がなしに他人と関わる機会が増えて、中途半端に人の顔色伺って合わせる(実際合わせられているのかは自信ない)能力が身についた。

こうやって人は社会に属する大人になっていくのか。

だとしたら本当にくだらない。

2度と会わない人間ばかりで、本当に嫌になる。

自分もまた関わった相手にとって、一過性の人間だったのか。だれかのモブ。

「ああ、そういえばこんな人がいたなあ」って記憶の片隅に残る。ただそれだけ。

 

誰も本当の意味で守ってくれる人なんていない。

今は自分の可能性しか信じることができない。それしか縋るものがない。

 

(話逸れるけど、だからアニヲタは自分の都合のいいように解釈のできる二次元にはまるのか…!)

みんな現実なんて見たくないんだよ。どうにかしろよこの風潮。

アニメ産業だって一応商業なわけだから、またそういったいい大人達で構成されているんだけども、、、

現実見たくない人と、非現実を見せてくれている人が互いに需要と供給がうまくはまっているからこの業界もなりたってて、JapanAnimarionなんじゃん、、、、

 

そんな世の中に個人としてどう適合していくのかが今後の課題です。結論になってんのか。

夢(目標)を見ることについて

もっと現実を見ろって。

 

戦略的撤退も時には必要だ、と。

 

履歴書に穴の開くことのない綺麗なキャリア形成を考えろ、

 

やりたいことではなく、自分に出来ることを考えろ、

 

散々言われる。

むかつく。

 

 

なんで夢を見てしまうのか。

ひたすら夢をみて執念深く諦めない自分の気持ちにすら懐疑的になって嫌気が差す。

さっさと適性を考えて諦めて、20年間一般家庭の人間として育ってきたんだから、その辺で事務の女にでもなってりゃ平和なんだ。好きなコンテンツだって、ただ消費側に回ってりゃ幸せなんだよ。

やってきてもないのにいきなり生産者の立場になって、提供しろって言われる方が無理な話だ。

社会経験もしたことないのに、「こんな適性があるから御社に〜貢献できます。」って嘘ハッタリもいい所だぜ。そこにいつもくっ付いてくるのは「〜です。(たぶん)」だろ。机上の空論でしかない。

新卒採用は虚構だったのか、大半を落とすための茶番なのか。一体どんな奴が受かってんだよ。

 

フリーターになるつもりで受けたバイトさえ、落ちる。

返事待ちで相手に考える隙を与えたのが多分ダメだった。やり手のナンパ師や営業マンのように相手に冷静に考えさせる余裕を与えずに、女をホテルに持ち込んだり商品を購入させるように売りつけたりすればよかったのかもしれない。ただこれを落ちた理由にすると、技術とか経験うんぬんかんぬん、、話術とか人心掌握術の問題になってくる。そうじゃないだろ。

明確な理由はある。私の進路先が自分でもわかってないくらい不明瞭だから。

仕事にならん、ただそれだけ。

 

 

 

夢を見ることは素晴らしいこと

 

世の基本倫理。

 

私はこれに対して完璧に絶望した。

幼い頃から、テレビアニメ上で教え込まれてきた夢と希望は絶対に諦めちゃいけない精神。最近人生の壁にぶちあたって行き着いた答えは、女児アニ思想の弊害なのではないかということ。

なにかのせいにしている時点でクソですね。

幸せをこの考え方から沢山与えていただいた分、大人になっても現実を見れない人間が育った。

もしかしたらと希望を抱いては現実を知らされ、また別の希望を抱き、裏切られの繰り返し、、、

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アイカツスターズ!のOP「スタートライン!」 

 

 

夢を追うために、大卒で敢えてフリーターになる選択。

関連でこんな記事まであった。

toyokeizai.net

 

見出しでうわあ、、、、、、、、、、、と。

着実に小さい目標設定をしてそれを現実的にこなすことが夢に近づく一歩だと。

 

 

そんな記事、腐る程みた。

いかにそのやりたいことを出来る状態に、自己の無意識下に置いて当たり前に行えるかって話だよな。

だから夢がすでに当たり前にあるような状態、モチベーションをつくるみたいな。

そうやって現実に落とし込んでいく作業が必要らしい。

 

それがすぐにできないから苦しい。

できてしまったらそれはもう夢ではない。憧れでもない。

当たり前にできた時、夢を抱いていた理想像は消えてしまうから、叶った自分はもう当たり前だから何もすごくない。

出来るようになるために自分なりに努力はするけど、方向性の正しい努力でもなかった。

一体なんのために頑張っているのだろう。頑張っているのかもわからない。

 

 

ただ同情を誘う文章を一瞬でひらめいてしまうことは、自分の強みかもしれない。

内定ゼロで大学を卒業した3月末の話

絶賛、人生の迷子。

 

いっ時はフリーターとして1年生きる!とか宣言しつつ、

やはりデザイン・印刷会社なり、ちゃんとした正社員になった方がいいのではないか、、、これの繰り返し。

 

 

 

中途半端に就活エージェント的なのに登録しているため、電話がかかって来る。

適当な気持ちで地元のハローワークをあたり、これまた色々紹介される。

本気で正社員になる気もないのに色々当たってしまう。

 

 

私は動かないと死ぬマグロか。

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1つの会社に絞ることができない。

バイトも1つに絞って働く気にならない、所属先を絞りたくない。

狭い職場に週5回も出勤してたら飽きる、たるすぎる。

 

自分自身週何日も働く気はない。稼ぐ気がまるでない。貯金する気ない。

目的が稼ぐことなら、もっと働くなり数年スパンで正社員になるなり

目標決めろやって話だけど、決断できない。

ただ時間の猶予と自由がほしい。

 

1年前は家から出るつもり満々だったけど、

実家暮らしはまず金の心配ないし、会話相手はいるし、食事は考えなくていいし

やっぱ最強じゃん、、って思いましたよ。

 

金銭の心配しなくていいから、生理的欲求がすでに満たされている。

自己実現に向けてマズローの上の階層にいけて、悠々自適に妄想を無限に広げることができる余裕が生まれる。

 

これからあんなこともできるし、こんなこともできるかもしれない、とか。

 

 

「 まだ東京で消耗してるの? 」

 

って言葉があるけど、ある程度経験値積めばわざわざクソみたいに人が

ひしめき合う所に住む必要性もないかもしれない。

だぶん30代くらいになれば、夢から覚めて、

一丁前に修行を終わったあと落ち着いて、地方に自分の店を出すようになるんだよ。

 

けど、私はまだ経験値のない田舎者のガキンチョだからあちらの生活に夢見てしまう。

場所に縛られない生活をできるようになりたいのは一般的な理想だと思うけど、

 

私は若いから。都会で生活してました、ってドヤれるくらいには

まだ場所、土地に縛られた生き方をしたかったりする。

 

 

 

私は色々知りたいんだよ。

 

知るための時間が欲しいから、すぐに決断ができない。

とりあえずの決断ができない。完璧主義の弊害かな。まあ失敗を恐れているだけというか、、、

 

ブログを始めた経緯とアイデンティティを築く決意

これは絶望からはじまる物語です。

 

なんて言ったらアニメの序章みたいでしょうか。

アフィリエイトブログなんて散々あるし、今頃ブログを始めたところでGoogleさんの検索に引っかかるかもわかりませんが、私がインターネッツに居場所を残したかったのは、「note」や「ユーチューバー」ではなく文字で記す"ブログ"でありましたのでつらつらと書いていきたいと思います。

 

 

 自己紹介を兼ねてここに至った経緯を書きます。

 

もう嫌なんです、Twitterが。いいねとかフォロワー数で人間ヒエラルキーを感じたくなくても、数字を見るだけで無意識に感じるじゃないですか。

 

特に痛感したのは、今年の"あけましておめでとう"ツイート。

1月1日に一斉にタイムラインに並ぶ、フォローしてる人の同じ文字。同じ文字なのに、ごく普通の人間層(非生産者?創作?)とそこそこに創作する層と有名人との数字の違い。あんな数字だけで人間のランクが一覧に並んでいるみたいな。

 

すっげーむしゃくしゃして、何も言いたくなくなった。

 

PCとスマホ閲覧だと、更新具合とかでまた感じ方は違うだろうけど、自分がなんで呟いてんのか分かんなくなった。自分が見てるから他人が見てるとかいう前提で話すのもアレだし、ツイッターは他人なんて気にせずに呟きたいこと呟いているのが本来のあり方なんだよ!とか言われればそれまでですが、、、

多少なりとも反応する時ってあるじゃん。さらーーーっとやっぱ近況が見えちゃうじゃん。

 

あの形態、どうしても人と繋がるから楽しいけど、あんなん見てると自分を見失うからダメ。ほんとダメ。

私のフォローの仕方に問題があるのかもしれないけど、アカウント丁寧に使う分けてジャンル毎にフォローするなんてのもめんどくさいし。。

そこそこすでに名が知れていたり、リアルアカウントを公言した上で、開設しないと無名なままだれかをフォローしたり呟いてもひたすらに自尊心がゴリゴリと削られます。

 

何者でもない自分に嫌気がさします。

 

 

だから、ブログです。

固有結界、自分だけの砦を作りたいのです。

少しづつ自分の思いを累積していけば数年後には自己のアイデンティティの積み重ねになり、それはそれは強固なものができあがっていると信じています。

 

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今、本当に人生の迷子なんです、社会のレールからはずれちゃったんですよ。

 

 

一週間前までは "大学生" だったのに、今は "無職" なんですよ。

 

卒業式に進路調査票みたいなものを提出したり、なにかしらの書類で自分の肩書きを示す際、私はどっこにも所属していない人なんです。

 

 

当たり前のように今までだって、ビジネスメールで「お世話になります。〜〜大学〜〜学部〜(名前)です。」って書いていたのに、もう卒業したから所属先を名乗ることすらできないのよ。

私はただ名前しか名乗ることしかできない。

 

いきなり名乗られても、誰やねん!としかならんでしょ〜、、、、、、、

真面目につらい。

 

最近になって、ぬくぬくな学生の箱庭から放たれ、

いよいよ社会という荒野に野放しにされたことを日々実感する。

 

将来のことは知らないけど野放しになって、自由になって、ようやく落ち着いて人生の回想と今後の成長を内省していきたいと思います。

 

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